ハードディスクが虫の様な音を立てて起動する。
幾つか来ていたメールに、リプライを打って、次の画面を開く。
「コーヒーが入りました」
「ありがとう」
「午後からの面接はどうなさいますか」
「午後からは出かける。君に任した」
「社長、またタイイングですか」
「そう言うなよ、年に一回の八久和参りなんだから、今月だけは、俺の好きにさせてくれ」
「何時も好きにしているじゃないですか。それに、いつ私を八久和に連れていってくれるのですか。トイレが無いなんて、おっしゃらないでくださいね、前にも言いましたが、私は何処でも、大丈夫なんですから」
直通電話が鳴ったので、私は魅躯を片手で制して受話器に飛びついた。
 魅躯は両手でお盆を抱えながら、肩を竦めて出ていく。頭の回転も速いし、気も付く、そして、日本人離れしたプロポーション。183センチある私と並んで歩いても、決して見劣りしない。ただ、今ひとつ、殻から出れないのは、きっとあの事件が原因なのだろう。
 私も詳しくは聞いていないが、17歳の時に強姦未遂にあったことは、彼女が珍しく酔った、昨年のクリスマスイヴの晩に聞いていた。それ以上は、私も聞きたくなったし、彼女も黙って涙を流し始めたのだった。
「今日の予定は」
 聞きなれた声が、受話器を通して聞こえてくる。
「午後は、予定通り自宅に帰って、最後のタイイングだ」
「わかった。二時頃俺も行く」
「装備も、もってこいよ」
受話器を置くとすぐに内線が入る。
「美対銀行の支店長です」
「入ってもらえ」
 最近、墨友銀行との合併で、活気づいているのか、よく顔を出す。どうせ、ゴルフの会員権とか、設備投資の借り入れをしてくれとの事だろう。
 私の会社は、これ以上ないという位、健全経営だった。一時期、『野心を持て』を合言葉に一心不乱に事業をした。気が付いた時、金と地位という野心と引き換えに、私は、家族と誇りを無くしていた。自分自身の誇りを無くした男がどれほど惨めか、身を持って知った。そして、事業に対して、白けていけばいくほど、業績は伸びていく事も、皮肉な事ながら知った。
 結局、支店長は、私とのゴルフの約束をした事で、意気揚揚と帰っていった。確かに、以前私はよくゴルフをしたが、今では年に一回するかどうかだ。
 私は幾つかの書類に目を通し、指示を出す。最近、新たに始めたシニアハウスの事業も順調のようだ。Pm1:30。エレベーターも使わず急いで階段を駆け下りる。あいつは、いつも時間に遅れるくせに、私が遅れると、まるで鬼の首を取った様に文句を言う。
 F355、今の私の足になってくれている。他に、パジェロエボがあるが、パジェロはほとんど釣りに行く時しか乗らない。水温計が動くのを確かめ、ローにいれる。チンとシフトゲージから、フェラーリ独特の音がする。乱暴にクラッチを繋ぐと軽くホイルスピンさせて、F355は蹴飛ばされた様に飛び出していく。
 東道路を230キロで、パイロンを縫う様に一般車を追い抜いていく。84号の旧道と合流すると、さすがにそんなには飛ばせなくなる。ゆっくりと、竿屋のトラックの後を走る。竿屋のトラックが急ブレーキをかけ、左折する。ボディの横に『鴫原屋』と入っているのが見えた。
 私は、携帯電話を出して、番号をプッシュする。
「遅いぞ。今、何処だ」
「悪い。出る時に、運悪く美対の支店長に捕まった」
「もう、30分待っている」
「なんだ、おまえも今、来たところか」
「30分待ってると言っただろう」
「おまえが30分も待たないのは知っている。待っても、3分だな」
「俺も、今来たところだ」
「もう、旧川に入った、あと5分もかからんさ」
 電話を切って助手席に放り投げると、四速から一気に二速にシフトダウンして、アクセルを踏み込む。三台をごぼう抜きにして、三速にシフトアップする、四速にいれた時には、一瞬200キロをオーバーしていた。交差点の手前で、三速、二速とヒール&トウで減速しながら左折する、ス-と流れるテールに軽くカウンターを当てながら、また加速していく。
 自宅の駐車場に飛び込んでいくと、蓮が軽トラックの荷台で、たばこを吸っていた。
「相変わらず、良い音してるな。二速シフトダウンしたあたりから、よく聞こえていたよ」
「ここの所、6千~7千の間に少しもたつきがあってな、たまには回してやらないと可哀想だろ。ところで、待ったのは6分といったところか」
「その根拠は」
「そこに転がっている、二本の吸殻さ。拾っとけよ」
 蓮は黙って吸殻を、ポケットに入れた。
「おまえの、そのくだらない洞察力、どうにかならないか。俺はここに着いてから、時計とにらめっこをしていたが、ピッタリ6分だ」
 私は苦笑いしながら、玄関を開けた。


つづく

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

もしもボカロキャラが35歳だったら・・・2 (ハードボイルド版)

八久和(一級河川)
八久和参り(釣りに行く事)
タイイング(毛ばりを作る事)

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投稿日:2011/07/22 20:30:47

文字数:1,979文字

カテゴリ:小説

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