15 スカイラインGT
翌日の土曜の早朝、土岐の携帯電話にメールの着信音が鳴った。枕元の携帯電話を開けて見ると南條からだった。件名に@バッジ@とだけあった。添付ファイルに写真があった。写真を開くとバッジが映っていた。まさしく、黒地に金文字はメソポタミア文字だった。もう一枚はその裏の写真で中央部分が抉れたように欠けていた。土岐はそのバッジの写真と長田の盗撮写真を添付して亜衣子のパソコンのメールアドレスに転送することにした。
日曜日の夕方、亜衣子から携帯電話に着信があった。
「パソコンで拡大してみたけど画素が少ないんで、不鮮明だったわ」
「ごめん、僕の携帯電話、安売りで買ったもんだから」
「でも、私のビデオ・アイには十分な映像だったわ。写真の男はたしか、町屋の斎場の受付にいたわ。しかも、襟穴にバッジをつけて」
「町屋の平野敬子の葬儀会場の受付にいたの!すごーい!」
「だから、ビデオ・アイ子と呼ばれているって言ったでしょ」
「でも、そのとき本当にあのバッジをつけていたの?」
「まちがいない。ピカピカしていた。模様迄は確認できなかったけど。葬式に光物はいけないのよ。宝飾は真珠に決まっているでしょ」
「僕は早々に立ち去ったけど、そういえばじろじろ見てたね」
「ビデオ・アイはじろじろ見るのがこつよ」
「でも何で運転手が、平野敬子の葬儀会場の受付にいたんだろう?」
「運転手ってなに?」
「話すと長くなるんで月曜日に説明するよ」
と土岐は携帯電話を切った。南條にメールでこの事実を伝えた。
@大発見です。舞浜の運転手は火曜の町屋斎場の平野敬子の葬儀で受付をやっていました。しかも例のバッジを襟穴につけて。遺族に受付をやっていた運転手は何者か確認する必要があると思います@
さっそく、南條から返信があった。
@申し訳ない、別の重大事案が発生して、そっちに取り掛かることになった。とてもじゃないが、手が回らないんで平野敬子の家の固定電話番号を教えるから、その受付の男について聞いてみてくれ@
二月最後の月曜日の朝、土岐は統計研究所の玄関前で平野敬子の遺族宅に電話した。例の中年女が出てきた。
「はい、平野です」
という寝ぼけたような物憂げな声が返ってきた。
「先日墨田署の南條刑事と一緒に伺った土岐という者です。早朝から申しわけありません。お訊ねしたいことがあって電話しました。火曜日のお嬢さんの葬儀で受付をしていた男のことなんですが」
「町屋斎場の、ですか」
と声はまだ布団の中を夢遊しているようで、覚醒していなかった。「町会から来た人です。初めてあった人です」
「どういう人なんですか。名前は分かりませんか」
「あとの精進落としにも来なかったし。町会に聞いて貰えますか?」
とそっけない返事をして電話が一方的に切れた。土岐は統計研究所のパソコンからインターネットで電話番号を調べて、町会の会館の方に電話してみた。当番の女らしいのが出てきた。
「平野鉄工所のお嬢さんの葬儀のことでお聞きしたいんですが」
「私は何も知らないんで町会長のお宅に電話してもらえますか?」
と言うなり、事務的に電話番号を読み上げた。土岐は電話を掛け直した。老婆のしゃきっとした江戸弁の声が出てきた。
「こちら、墨田署の関係の者ですが、町会長さんはご在宅ですか?」
「はい、少々お待ち下さいよ」
ややあって、様子をうかがうような老齢の鼻声が出てきた。二日酔いのような思考のピントが合っていない声だ。
「墨田署の関係の者で土岐といいますが、先だっての平野鉄工所のお嬢さんの葬儀のことで、ちょっとお尋ねしたいことがあって」
「なんですか」
と背筋を少し伸ばしたようなトーンに声が変わった。
「斎場で受付をやってた男のことで。名前は分かるでしょうか?」「平野さんの親戚の方だと思うんで。香典詐欺ですか?」
「町会の人でないというのならいいんで。平野さんに聞いてみます」
と電話を切ってから土岐は少し考えた。午前中、深野が出所すると、土岐は先週金曜日の永山奈津子のクレームを報告した。
「CDLのクレームの件ですが」
と土岐が話しかけると深野は自分の机の上に薄っぺらなカバンを投げ出して興味なさそうな顔をした。
「CDLと少女の事故死の関係は単なる仮説で、明確な因果関係がないことをしかるべき方法で公表してほしい、とのことでした」
「大げさだね。そんな情報はニュース性がないからマスコミは無視するよ。マスコミなんか気紛れだからほっとけば、世間は忘れるよ」
「じゃあ、なにもしないということですか?」
「しなければならないとう義務もないだろう」
深野の投げやりな言い方に土岐は少し憤激した。
「風評被害があったんで、対応次第では提訴するといってましたが」
「それは、逆効果じゃないの。かえって、寝てる子を起こすようなことになるんじゃないかな。先週末、友人の証券アナリストに会う機会があったんで、CDLの株価について聞いてみたんだが、低調気味ではあるが、とりたてて値下がりしてはいない、と言っていた。CDLが提訴したって、風評被害を立証できないんじゃないかな」
「そうですか。先方はかなりカリカリしてましたけどね」
「それがよくわからない。今回の情報はCDLの売り上げを増加させる方向に作用しないことは分かる。だからといって訴訟に持ち込む程のことなのか。その渉外担当の人こそクレーマーじゃないのか」
昼ごろになって、CDLの固定電話番号に掛けてみた。
「永山奈津子さんはおられますか」
「はい、私です」
と言う即答に無音で舌打ちした。土岐は送話口に紙を一枚挟んだ。
「こちら先日テレビのワイドショウで女の子の自殺とお宅のテーマパークの関係について見た者ですが、それについて是非聞いていただきたい重要な情報があるんですが、お会いできないでしょうか?」
「どんな情報でしょうか?」
「込みいっているんで、お会いしてから」
「今どちらですか?」
と奈津子の落ち着き払った問いかけがあった。
「いま、ランドのゲートの前にいます」
「すぐまいりますので、そこでお待ちいただけますか。お名前は?」「住田と言います」
「失礼ですがどんな服を着ておられますか?」
「ブルーのダウンコートを着ています」
「すぐ伺います」
という電話が切れて3分して土岐は同じ番号にかけた。
「渉外係です」
と文言は同じだが奈津子の声ではなかった。
「永山奈津子さんおられますか?」
「今、席をはずしております」
「お話をしたいことがあるんですが、今日は何時ごろ退社ですか?」
「今日は彼女早番なので、三時の予定になっています」
「帰りの足はなんですか?」
「車です」
「BMWですか?」
「いいえ、スカイラインGTです」
と聞いて土岐は一瞬眉根に縦皺を寄せた。
「ボディは白でしたっけ?」
「いいえ、シルバーです」
「そうですか。BMWに乗ることはありませんか?」
「さあ、見たことはありませんが」
「伝言願えませんか?今日この時間にゲート前でお会いする約束したんですが急に所用ができて行けなくなったので連絡して下さい」
「はい、承知しました。で、お名前は」
「住田といいます」
午後一時を過ぎると南條の携帯電話に掛けた。
「永山奈津子はシルバーのスカイラインGTに乗っているようで、BMWは通勤に使っていないようです。運転手の男のことはまだわかりません。彼女今日は早番で、三時ごろ帰宅だそうです」
そう土岐が力なく言うと、南條は暫く考え込んでいるようだった。
「署に二時ごろ迄に来られるか?」
「所長の許可をとらないと」
「それじゃ、とってくれ」
と用件だけ言って切れた。土岐はすぐ、深野の机の前に行った。
「午前中に報告したCDLの風評被害の件で、墨田署の南條刑事が今日これから相談にのってくれるというので、早退したいのですが」
「それも業務の一環と言えないこともない」
と深野は元気なく言う。土岐は亜衣子に早退を告げて墨田署に向かった。墨田署に到着したのは二時少し過ぎだった。建物入って受付で南條を呼び出そうとしたら薄暗い階段を膝のぬけたよれよれズボンのガニ股が下りてきた。
「よし、行こう」
と南條は行き先も言わずに署の建物を出た。
「どこへ?」
と土岐はさすがに訊ねずにはいられなかった。
「この通りの裏の駐車場だ」
とぶっきらぼうに言う南條の早足について行くと署の裏手に五台ばかり駐車できるスペースがあり年季の入った赤い軽自動車が一台だけ駐車していた。南條の指示に従って乗り込んだ。窮屈だった。助手席を目いっぱい後ろに引いても、膝が少しつかえた。
「こんなの警察は使ってるんで?暴走族に簡単にまかれちゃう」
「こんなんで悪かったな。これは私物だ。ガソリンは公費だが」
という南條の言葉で土岐は口をつぐんだ。車が走り出すとゴーカート程ではないが目線が低く、走行しているという臨場感があった。
「永山奈津子はBMWを使ってないんです。彼女の通勤車はシルバーのスカイラインGTで」
「じゃ運転していた男は自分の車に乗っていた?」
「そうです」
車は路面の凹凸を座席に伝える。錦糸町方面に南下し始めた。
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