第一章 殺戮人形は籠の外

 東歴七〇一年。軍事基地総司令部《ジャッジメンテス》にて。
 ボコボコボコ……
「なんだかなぁ、ここ」
 一人の少女、十代後半だろう。が、情けないセリフと共に入室する。
 無理も無いことかもしれない。一歩この部屋にはいれば、視界百八十度ずらりと並ぶ円筒形の水槽。さらにその中では、少女とそう変わらない歳の少年少女が眠っている。
「お化け屋敷より全然怖いよ。先輩の嘘つき」
 ほとんど泣きそうな声で、それでも彼女が独り言を止めようとしなかった理由は唯一つ。
何か音を出していないと機械音がまともに聞こえてきてその機械音がありもしない気配の存在を発生させるから、だ。
「なんでこんなことになっちゃうかなぁ……?」
 籤で決めたこの当番の、たった三十六分の1の可能性に三回も続けて見事に大当たりするなんて、自分の籤運の悪さに呆れて嘆くしかない。だがどんなに呆れようと嘆こうと、当番が無効になるわけでもない。
運、ね。本当に運が悪いだけなら、まだいいんだけど。
父が元軍人の士官とは言え、楚螺の家系は貴族でも何でもない。不運な事故でその父親ももういないのだ。妙に保守的な、ほとんどが貴族の出身者である他の下士官に楚螺が受け入れられないことは、ある意味当然のことだった。
彼女は入室してから十六回目の溜め息をついた。
 ウィーン、ガコンッ……
「え?」
 今まで、嫌になる程聞こえていた音とは別の機械音。
 速やかに加速しだした心臓の鼓動はといあえず無視して、今の状況を整理してみる。
 ここはこの国の軍の総司令部で、もっと細かく言えば戦中に使われた生体兵器、通称“強化兵”の保管庫で、だもんだから当然それがたくさんいるわけで、ここで明らかな異質の音が聞こえたというのはつまり、強化兵の、
「脱っ」
 脱走。と、最後まで言うことはできなかった。
後ろから伸びてきた腕が、自分の首を締めた。
「げっ……」
保存漕の内包液の臭いが鼻をつく。
「何する……」
 途中まで言ってから空気が足りないことに気づく。呼吸できないほどではないが、無駄に言葉を話せるほど余裕がある状況じゃないらしい。一生懸命呼吸していると自分を締め付けている物体から低い声がかけられた。
「どこだ? ここは」
 多分、答えないとこのまま首の骨を折られるか締められるかして殺せれるのだろう。でもだからって答えても生かしてもらえるかはわからない。どっちにしろ殺される可能性が高い気が……
 みしりっ と自分の首の骨が軋む明確な音がした。
「答えろ」
「……ジャッジメンテス」
 今奥歯がカチカチいってないのは奇跡だ。
「それは知ってる。それのどこか聞いてる」
「強化兵の保管……」
「番号で言え」
「……十三のC」
 答えてしまってから、殺されるんだろうなあ とどこか壊れていた思考を回らせた矢先に解放された。
 急に込められていた力が抜けたので、体の三箇所ほどを打ちつけながら床に尻餅をつくはめになった。
 立ち上がろうとして、膝が笑っていることに気づき、しかし気づいたところで体勢を立て直すことができずにまた尻餅をついた。
「……お前、軍人なのか?」
 純粋な真顔で、今まで少女の首を絞めていた人物が訊ねた。
 今、眼前で起こっていることは悪夢であると信じたい。戦中最高の傑作とまで謳われた人造人間がいま次々と保存槽から抜け出してきているなんて、性質の悪い冗談としか思えない。もちろん、ここに保管されていた保存槽を残らず解放しているのは先程原因不明の脱出を果たし、彼女の首を絞めた青年だった。
 今は何の拘束もされていないとはいえ、入軍して僅か三ヶ月の彼女にできることなど皆無だった。情けないことに、「余計なことをすれば殺す」と単純な脅し言葉一つで、すぐ側にある警報装置に手を伸ばすこともできないまま、座り込んだままだった。
 彼女が強化兵に囲まれるまで数分とかからなかった。なぜだか決して敵意だけがあるわけではなく、十数人の強化兵がそれぞれ思い思いの雑談を展開する、ある意味平和な空間にさえ見える。
「なんで出れたんだ? 瀧夜」
 自分の身体の動きを確かめながら、最後に出てきた青年は救世主に向かって訊ねた。
「俺にも良く解らない。多分、そいつのおかげじゃないか?」
 彼女の首を絞めた青年、瀧夜が、ちらりと視線を向けたが、彼女に見返す勇気は無かった。
「なんかの操作ミスかなぁ? あー、久々に外の空気。いやあまさかまた覚醒できるとは思わなかったよ」
 無邪気な笑顔を見せて深呼吸する青年は、軍事基地という背景の中でかなり異質に見えた。
「……俺もだ」
「ね、その子の名前は?」
「知らない。本人に訊け」
 青年は瀧夜の言葉を忠実に実行し、俯いている彼女の顔を覗きこんだ。
「名前は?」
「…………楚螺」
「おれは深雷。助けてくれてありがとう」
 激しく方向の間違った言葉に、彼女、楚螺は呆然と宵を見上げた。
 その時、楚螺の腰にぶら下がっている無線のコール音が無機質に囲まれた保管庫に響いた。その場の全ての強化兵が瞬間的に静まる。もちろん、楚螺も全身の筋肉が硬直した。
 鳴り続ける電子音に瀧夜が動く前に、深雷が楚螺には視認不可の速度で動いた。
 楚螺を後ろから抱きしめるような格好で座り、楚螺を膝の上に乗せた。
「誰からか判る?」
 首筋に突きつけられているナイフの冷たさもさる事ながら、そのさっきと何一つ変わらない友好的な声音も、最初からゼロに近い楚螺の抵抗心をマイナスにまで落としてくれた。
「た、多分、管理局の人だと……ここの見まわりの、報告が遅いから、連絡が……」
「なんて答えれば良いか分かるよね?」
 場に似つかわしくない穏やかな声に、返って恐怖を煽られた。大きく動かすと怪我をしそうなので、細かく何度も首を動かした。
 深雷は優しく微笑み、無線の通話ボタンを押して楚螺の口元に近づけた。
『出るのが遅いぞ。何かあったのか?』
「いえ、なんでもありません。初めてなので、少々手間取ってしまいました。申し訳ありません。もう終わりました。異常ありません」
 恐怖の限界を超えると、人間は返って平淡な声しか出なくなるらしい。自分でも憎たらしくなるほど冷静に、言うべき事と真逆な言葉が吐き出されていく。
『了解。次からはもう少し手早くしろ。』
「はい。ご迷惑おかけしました」
 ぶち。と、通信の切れる音は、楚螺の希望の切れる音にも聞こえた。
「はい、ごくろーさん♪」
 深雷に楚螺の顎をつかまれて九十度回されて、何事かと考える間も無く唇を柔らかいものが触れた。
 頭の中が真っ白になる暇も無く男の唇と体温は離れていき、この状態にも関わらず口に触れて頬を朱に染めた。深雷は自分の接吻によるこの楚螺の一連の動きを、いつのまにか移動した真正面で見ており、腹を抱えて大爆笑していた。周りの強化兵は深雷を見て呆れたように苦笑いしている。楚螺はさっきとは違う意味で再び俯くしかなかった。
「いつまでもここに居ても面白くないよ。どうすんの?」
 ひとしきり笑い終わって、ようやく深雷は目じりの涙を拭った。
「ああ、ここを落とそう」
 瀧夜とは別の強化兵が、まるで食事のメニューを決めるかのような軽い調子で、この国の軍事総本山の占領を宣言した。

 ほぼ同時刻。
 軍人の中のほんの一握りの幹部が使うことを許された、豪奢な執務室。その中で幼い顔には不釣合いの階級章をつけた少女が、至極退屈そうに机の上に座り、両足をぶらつかせていた。
 扉の叩かれる音が鳴り、いかにも面倒そうに少女は入室を許可した。
「失礼します。架月准将」
 外見上は少女よりも年上で、落ち着いた雰囲気の女性が架月の前で敬礼した。
「何か用? 富崎中尉」
 架月は富崎に顔を向けることもしなかった。富崎もそれは慣れている。気分を害することも無く話を始めた。
「鳳中将が今からお話があるとのことです。ご案内いたしますので、今すぐおいでください」
「それは無理だよ」
「は?」
 上官からの命令をあっけなく拒否したことが理解できず、富崎は思わず声を上げた。
 古今東西、軍人にとって上官からの命令は絶対である。
「だって今からわたしは、東の支部に視察に行かなきゃならないんだよ? そんな急な話は無理だよ」
 架月は東支部への準備を終えて部屋の出口へと歩きながら吐き捨てる。
「ですが、鳳中将からのご命令で……」
「命令でもなんでも無理なものは無理。あの偏屈爺にはそう伝えておいて」
 富崎は狼狽し、一瞬返す言葉を見失ったが、やがて自らを叱咤して告げた。
「上官からの命令は絶対です。背くというなら、軍法会議にかけられてしまいます」
 その科白でようやく架月は一旦足を止め、嘲るような笑みを富崎に返した。
「軍法会議、ね。まあ、その報告もここの課に言うんだろうけど。そんな時間は無いよ。少なくともわたしの会議を開く時間はね」
 富崎が何か言い返そうと口を開いたが、唇からもれたのは声ではなく人の生命の源である赤い液体。深紅の血液が彼女の軍服をぬらした富崎は己の腹から生える華奢な右腕を信じられない目で見つめた。
 架月の腕が引きぬかれ、富崎が自らの血溜まりに沈んだ。
「今日、ジャッジメンテスは陥落する。それは――……」
 腹の風穴からは躊躇なく血が流れ出し、遠のく意識の中、富崎はその科白を最後まで聞くことはできなかった。最期の視界には、架月の寂しそうな顔が写った。
「さて、もうそろそろ本当に時間が無いかな」
 右腕の関節部が痛む。万が一の緊急手段のためとはいえ、右腕だけの覚醒にはかなり無理があったらしい。
 軽く嘆息して富崎が事切れたことを確認し、血に濡れた軍服を着替えてから架月は士官室を辞した。
 何も知らない下士官を殺したことで、逃げ場は断ち切った。もう迷うことも無いだろう。と、他人事のように自分を分析できた。
 彼ら側への準備は整っている。
時間はそう無い。必要なものを取り揃え、早々にここから出発したほうがいいだろう。
 そう計算して足早に目的地に急ぐ架月の目は、冷徹な軍師そのものだった。
 到着したのは別の士官室。架月程では無いが、それなりの上級仕官が使うものだ。
「……は? 俺が、視察のお供ですか?」
 用があるのは口に煙草をくわえて机で事務仕事をしながら、思いもよらない上官の来訪に全く対応しきれてない態度の仕官。架月はついさっきまでの不穏な感情を一切隠し、極めて自然な態度で言葉を継ぎ足した。
「うん。少しで済むからさ、一緒に来てくれないかな? 後、一応言うならここは禁煙」
「いや、俺……じゃない私は、構わねーけど……違う構いませんが。何でまた?」
 慌てて煙草の火を揉み消している、「能力はあるが礼儀が無い」と評判の仕官を眺めて、架月は思わず吹き出してしまった。
「あ、いやごめん。君の噂は聞いてたから。この平和な世の中、たった七年で大佐まで上りつめたんだからね。しかも敬語さえ使えればもっと昇進してたんでしょ? 紅野大佐」
「はあ、その通りです。どうも礼儀知らずですみません。入隊して七年になりますが、どうもまだ敬語が上手く扱えません。未熟者故とご理解頂ければ幸いです」
さっきよりは大分ましな科白を吐いて、そこでようやくもっと根本的な問題に気づいたらしい。座っていた椅子を盛大に蹴散らして直立不動で敬礼した。周りに居た部下が苦笑しているが、それは悪意からくる冷笑ではではなく、親近感のある笑いだった。
「格闘技の達人なんだよね。何試合か見せてもらったよ。完成された型は本当に綺麗だった。ああ、礼儀作法は気にしないで。わたしも苦手だったから」
「ありがとうございます。それで……」
「うん。わたしたちの間では大佐は有名だからさ、一回話す機会が欲しかっただけ。どうにも個人的な理由で恐縮だけど、付き合ってくれないかな?」
「はい、もちろん。お供させて頂きます」
 意味不明の依頼に不吉なものを感じながらも、宵は笑顔と敬礼で返した。
 宵が架月と共に東支部へと出発した約一時間後、国の軍事総司令部《ジャッジメンテス》は陥落した。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

心の設計図1-1

ようやく完全オリジナルを書けました。
もしよろしければ、読んでやってくださいませ。
楚螺(そら)・瀧夜(そうや)・深雷(みらい)です♪

閲覧数:128

投稿日:2013/04/07 19:34:46

文字数:5,007文字

カテゴリ:小説

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