「どうもー! 藤原徳訓です!」
ガランとした楽屋に、徳訓の張り切った声が虚しく響く。返ってくるのは、古い扇風機のガタガタという音だけ。
「……誰も聞いてへんやないかい!」
ツッコミを入れる相方もいない。いるのは、使い古された鏡台と、所狭しと置かれた小道具だけ。
藤原徳訓、28歳。吉本興業所属、ピン芸人歴5年目。売れない日々を送っている。いや、「売れない」なんて生易しいもんじゃない。劇場の最前列ですら空席が目立つ始末だ。
「なんでやねん……俺、おもろいはずやのに……」
徳訓は、子どもの頃からお笑い一筋だった。クラスの人気者で、学芸会の漫才では会場を爆笑の渦に巻き込んだ。高校卒業後、迷わずNSC(吉本総合芸能学院)の門を叩いたのも、お笑いへの熱い思いがあったからだ。
NSCでは、持ち前の明るさとネタセンスで頭角を現した。同期の中でも、期待の星と目されていた。卒業後、コンビを組んだ相方は、クールなツッコミが持ち味の秀才肌。正反対の性格ながら、息はぴったりだった。
「M-1、絶対獲ろうな!」
夢と希望に満ち溢れていたあの頃。しかし、現実は甘くなかった。賞レースでは、いつも予選敗退。テレビのオーディションも、書類選考で落とされる日々。次第に、相方との間に溝が生まれ始めた。
「ネタ合わせ、ちゃんとやってんの?」
「俺だって、他の仕事もあるんや!」
「他の仕事より、漫才やろ! 俺らの夢は……」
「夢? そんなもん、とっくに諦めたわ!」
あの日の相方の冷たい瞳を、徳訓は忘れられない。コンビは解散。徳訓は、ピン芸人として再出発することを決意した。
「……大丈夫や。俺には、お笑いしかないんや!」
徳訓は、鏡の中の自分に言い聞かせるように呟いた。どん底からのスタート。それでも、徳訓の心には、微かな希望の光が灯っていた。
「よし、今日も客席を満員にするぞ!」
誰もいない楽屋に、徳訓の力強い声が響き渡った。
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2024/06/30 04:54:28