◇◇◇◇
「あーいたいた。うわっ、先輩も変わってないねー」
それから少しして、校門の近くの老舗の喫茶店で時間を潰していると、凛がやってきた。
校門から喫茶店に移動したことをメールで伝えると「ちょうどいいからそっちに行く」と返事が来ていたので、そのままここで待っていたのだ。
彼女の言葉を聞いても、初めは彼女が凛だとは気づかなかった。当然といえば当然たが、彼女はこの十数年でずいぶん変わっていたし、何より――。
……子供を、二人も連れていたのだから。
凛は赤ちゃんを抱きかかえ、もう一人、小学校に入る前の女の子の手を引いていた。
それは、想像していなかったぞ。さすがに。
「え……? 本当に、あの凛か?」
俺の、我ながらあんまりなリアクションに、凛も微妙な顔をした。
「そうですよー。今じゃ二児の母。専業主婦なんだから」
時の流れとは、実に恐ろしいものである。
「……あー、とりあえずは、久しぶり、かな」
高校の頃の凛は、美久とそう変わらない格好をしていた。違ったのは、髪の長さくらいだったんじゃないだろうか。同じような傷んだ金髪に、濃い化粧。ピアスに短いスカートと、美久を真似しているとしか思えないほどだった。
それが今では、やや長くなった黒髪はサラサラしているし、服装も物腰も、二児の母にふさわしい落ち着きが感じられる。……未だに一人暮らしをしてふわふわと生きている俺とはずいぶんな違いだ。
「今朝、ダンナに高校の時の先輩に会ってくる。男だけど。って言ったら、あの人すっごい複雑な表情してたわ」
「それは……悪いことしたな」
少しだけ、凛の旦那に申し訳ない気持ちになる。
「いーのよ。この前の友だちのことでって言ったら納得してたから」
凛は少しだけ目を伏せて、さみしそうにそう告げた。
「……そうか」
凛は、死んだ、という言葉は使わなかった。恐らくは、気を使ってくれたのだろう。でなければ、凛自身まだ信じられないのか。だが、凛のそのもの言いに、美久がこの世にはいないのだという現実を、改めて俺は思い知らされてしまったのだった。
彼女は俺の向かいに座り、飲み物と子供用にとケーキを注文した。
「ミク姉、会うたびに毎回先輩の話をしてたんだよ。すっごう楽しそうに、あいつが一番いい男だったーって」
「……そうか」
俺には、そう繰り返すことしかできなかった。
その言葉は嬉しくもあり、むず痒くもあったが、実際のところ、まったくと言っていいほどそんなことはなかったと思う。思い出が美化されるとか、そういうことだろう。
それでも、美久にそう言われていたのなら光栄だと思うし、嬉しかった。
「ホント、こんなことになるなら早いとこ先輩にメールでもして、無理にでもミク姉に会いに帰ってきてもらえばよかったなぁ……」
凛はそう言うと、窓の外に見える学校を懐かしそうに眺めた。
◇◇◇◇
凛は幼子をあやしながら、高校卒業後の美久のことを、ゆっくりと語って聞かせてくれた。
凛は、美久がどうして死んでしまったのかをすぐには言わなかった。だが、それは俺にとってはむしろありがたかった。それを真っ先に聞いてしまえば、他のことなどまともに聞けるとは思えなかったからだ。
高校卒業後、美久は俺と同じようにバイト暮らしのフリーターになった。俺が知っていたのはせいぜい一つ目のバイトがコンビニだったということだけだったが、卒業してからもちょくちょく会っていたという凛から聞くのは、知らなかったことばかりだった。
就職というものは、性別が女だというだけで不利だったのだという。
俺は五件目のバイトが建設業の下請け業者の日雇いだった。そこで現場の職人さんに気に入られたおかげでようやく長続きした。仕事場がこの片田舎から都会へと移り、今でも準社員として続けている。
美久の場合は、そううまくはいかなかったらしい。
バイト先の人間関係がうまくいかなかったり、薄給でこき使われたり。いわれのない噂でやめざるを得ない雰囲気にされてしまったり。たまに長続きしても、昇給やアルバイトからの昇格などほとんどなく、生活は安定しなかったという。いわゆるワーキングプアというやつか。
美久は、そんな生活にウンザリしていたのだという。金のためにと、キャバクラなんかの夜の仕事にも手を出していた時期があったそうだ。
そして、少なくとも凛が把握している中では、合計で三人の男と付き合っていたそうだが、そいつらは凛から見てもクズ野郎ばかりだったという。
「給料の少ないミク姉にお金をたかって、そのほとんどをキャンブルに使い込んで借金ばっかりしてるようなやつばっかりだったわ。何度もミク姉に縁切った方がいいって言ったけど、あのバカはあたしがいないと生きてけないからとかいって、しばらくズルズル付き合って、っていうパターンが多かったわ」
そのクズ野郎どもについて、凛はそう言及した。
俺はそれを聞きながら、今さら遅いとわかっていても怒りを納めるのが大変だった。こぶしを強くにぎりしめている俺を見て、凛が悲しげな顔をする。先ほどの「無理にでもミク姉に会いに帰ってきてもらえばよかった」という凛のセリフが頭をよぎった。
そして、それとは別にひとつの疑問が浮かぶ。
凛の話が、いまいちしっくりこないのだ。
特に「あのバカはあたしがいないと生きてけないから」と美久が言ったということが、信じられなかった。
仮に、もしあいつが誰かにほれこんだとしても、俺の知る美久であればそんなことは決して言わなかったはずだ。
その疑問をぶつけると、凛はその問いがくることをわかっていたようだった。
「ミク姉は、卒業してから変わっちゃったんだよ。……ううん、卒業してからじゃなくて、先輩に会えなくなってから。……あたしじゃダメだったんだ。ミク姉には、先輩がいなくちゃダメだったんだよ……」
そう言って凛は泣いた。
俺は、何も言えなかった。俺は、何も知らなかったのだ。美久がつらい時期でも、そんなこと知りもせずにのうのうと自分の仕事に追われていた。またも、凛の「無理にでもミク姉に会いに帰ってきてもらえばよかった」という言葉が頭の中にこだまする。
幼い娘が「ママ、どーして泣いてるの?」と凛を見上げて問いかけるのを、俺は呆然と見つめる。
凛に抱えられていた赤ちゃんも、母親につられてぐずりはじめる。
凛はわが子に返事をすることもできず、娘と赤ちゃんの二人を抱きしめて泣いた。
◇◇◇◇
卒業式が終わって。
俺たちはいつものように、けれどこれが最後だということを噛みしめるように、集まった。
一学年下の凛も来ていた。
みんなといつものように下らない話をして、けれど、一人また一人と帰っていった。
やがて凛も帰ってしまい、残ったのは俺と美久だけになった。
「卒業、しちゃったなぁ……」
「……そーだな」
俺はどう返事をしたらいいかわからず、あたりさわりのない返事をする。
「……で、あんたはどーすんの? やっぱニート?」
「何がやっぱだよ。ニートなんかなれるか。まーフリーターだけど」
美久は乾いた笑い声を上げる。
「はは、とりあえずはあたしもそんなだなー。でも仕事はだりーな」
「だからってニートはねーよ」
「そーだけどさー」
美久はため息をつく。
「あーあ。でももーちょい女子高生やってたいなぁ」
あれから、俺と美久の距離は少しだけ近づいたような気がしていた。だが、こうやって無目的に会うなんてことはなくなるかもしれない。
その現実には、なんとなくだが嫌な気分にさせられた。
俺も、ため息をついてしまう。
こうやって美久と時間を潰すのは最後になるのだろうか。それはなんとなく嫌だったが、俺たちの関係はわざわざ会いに行くような間柄とも言えない。
「さて、あたしもそろそろ帰るかな」
「あぁ……そーだな」
美久は立ち上がって、俺の頭をポンポンと叩く。いつもなら振り払いたくなるそれが、なぜか今は心地よかった。
……と思っていたら、振り払われないのをいいことにえんえん叩き続けた。
「いーかげんやめろ」
ポンポンポンポン。
「まあまあ」
何がまあまあだ。
「どうせしばらく会えなくなるかもだし、今のうちにたくさん叩いとかないとね」
意味のわからないことを言っていた。
ポンポンポンポンポンポンポンポン、ポン。
「よし」
何がよし、なんだよ。
「……やっと満足したか」
「うん。そーね」
俺も立ち上がって、美久を見る。
彼女はてくてくと歩き始めたが、少しして振り返り、俺を見る。
「じゃ、またな!」
そう高らかに宣言する美久に、俺も片手を上げる。
彼女は、今までで一番いい笑顔をしていた。ただ、赤く充血した目だけを除けば。
「おう。またな」
そうして、最後までさよならと言うことなく彼女は帰っていった。
また、というあやふやな再会の誓いが果たされることはなかった。
へたにセンチメンタルにすることなく、いつものように、颯爽とした後ろ姿が、俺の見た美久の最後の姿となった。
それから十数年後に、美久の訃報を知らされるとは、このときの俺にわかるはずもなかった。
◇◇◇◇
話を再開するのには、時間がかかった。
凛が再び話せるようになるまで、というだけでなく、俺自身に続きを聞く覚悟ができるのにもまた時間を必要としたのだ。
ついでに言えば、凛の娘には俺はママを泣かせた悪いやつとして認定されてしまったようだった。
地味に……否定できないところがつらいところだ。
「ミク姉がね、最後の人と別れたのが……もう、半年くらい前かな」
そう言って凛は、時折鼻をすすりながら話を再開した。
美久と別れてからも、そのクズ野郎(三代目)は何かと美久に金を借りに来たり、ストーカーまがいのことをやってきたのだという。……実際には借りるではなく、たかりにきていたわけだが。
俺にはそんな美久が想像もつかないのだが、そういうのを断りきれなくなってしまった彼女は、毎回数千円かずつ渡していたのだという。
何度も凛が言ってもあいまいな返事ばかりでちゃんと断れない美久に業を煮やして、凛は美久の家に張り込み、そいつをボコボコにしてやったそうだ。
さすが凛、と思ったものの、二児の母親だというのに、子供をほったらかしにしているという点については触れないでおくことにした。
結果、美久がそのクズ野郎から何かをされることはなくなったそうだ。
「これで……昔の話は、おしまい」
凛は、そう言ってうつむいた。
「って……おいちょっと待てよ。まさか、そいつが今になって逆恨みでもしてきたから、とか言うんじゃないだろうな?」
俺の嫌な想像に、凛は首を横に振った。
「違うよ」
「じゃあ、その前のクズ野郎か?」
「違う」
「じゃあ、美久は誰に殺されたっていうんだよ!」
我慢できず、イスを蹴立てて立ち上がりながら叫んだ。せまい店内に俺の声がひびき、周囲の人々がぎょっとする。
凛の抱える赤ちゃんが、驚いて泣き出してしまった。
「……違うの、先輩。お願いだから……よく聞いて」
また泣いてしまいそうになるのをこらえている凛が、そう懇願するのを聞いて、ようやく頭が冷えてくる。
若干の気恥ずかしさとともに、俺はイスに座り直した。
「ミク姉はね……交通事故に、巻き込まれたの」
凛は静かに、そう告げた。
交通事故。
それまでの美久の人生とは一切かかわりのなかった男が、居眠り運転をしていてそのまま歩道に突っ込んだ。
そこをたまたま美久が通りかかった。
ただ、それだけの事故。
脈絡も劇的さもない、テレビのニュースですら取り上げてくれないような、他人ごとであれば俺自身気にも留めないであろう、単なる事故。そんなものによって、美久の人生は終わりを告げたのだという。
怒りは、無意味だった。
車の運転手に怒りを覚えるが、その怒りにどれだけの価値があるだろう?
もう事実は変えられないのだから。
やり場のない怒りなんていうバカらしい感情を、俺は初めて理解した。
美久の母親が、裁判の準備を始めているのだという。それでどれだけの金額が手に入っても、美久は帰ってきやしないというのに。
「事故の直後、あたしはミク姉に会った。包帯だらけのミク姉に」
そこで美久は、息も絶え絶えにつぶやいたのだという。そしてそれが、彼女の最後の言葉になったのだと。
美久は「あいつに伝えて」としか言わなかったそうだ。だが凛には、その「あいつ」が俺であることを疑わなかった。美久が何かを伝えたいと願った相手は、俺しかいないから、と。
「ミク姉の最期の言葉。『さよなら。それから、ずっと好きだった』って」
「……バカ野郎」
声が震えた。
さよならなんて、言わねーんじゃなかったのかよ。
なんで、今さらになってそんなこと――。
「バカ野郎」
他には何も言えず、ただそう繰り返した。
視界がにじむ。
溢れ出した涙がほほを、あごを伝い流れる。
涙なんか流したのは、いったい何年ぶりだったかわからない。
俺は、暗い水底に深く深く沈み込んで浮き上がってこない、深海魚と同じだったのだ。
俺はずっと子供のままだった。
青春の思い出を、ズルズルと引きずっていたのだ。
俺は今になってようやく、目を背けていたことを直視しなければならなくなった。
いくら年を重ねても、体が大人になっても、心だけは子供のまま取り残されていた。
美久のことを、俺はこれからも何度だって思い出すだろう。
気恥ずかしい青春の思い出として。
痛みと悲しみをともなう思い出として。
この世に神様なんていやしないことの証明として。
あのときの熱を、まだ持っているフリをして。
あのときの彼女の鼓動を、忘れていないフリをして。
そうして俺は、やっとのことで大人になる。
神様なんていない僕らの 下 ※2次創作
最終話です。
ここまでお読み戴きありがとうございました。
そしてPolyphonicBranch様、こんな変な文章を書いてしまっていろいろと申し訳ありませんでした。
ですが、すばらしい楽曲の数々に沢山勇気をもらっています。PolyphonicBranch様の楽曲に出会えて本当に幸せです。これからもすばらしい楽曲を聴かせてもらえれば、これに勝る喜びはありません。この場を借りて感謝申し上げます。
例によって今回もおまけがあります。
ただ、今回のおまけはこの「下」の別バージョンな訳ですが、いろいろと雰囲気が違いすぎるので要注意です。
少なくとも、ここまでお読み戴いてちょっとでもしんみりしてしまった方は、読む事をおすすめ致しません。少し時間をおいて、気持ちが落ち着いてから、あらためて前のバージョンに進んでくださいますようよろしくお願い申し上げます。
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[BPM: 138]
[INTRO]
(Melancholic and distorted Clockwork, Antique Music Box solo)
(BPM 138 / 44 Time)
[VERSE 1]
ねえ知ってる? わかってる?
Nee shitteru? Wakatteru?...信じたい嘘

Kerororo
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