懐かしい匂いを感じて辺りを見回しますが、少女の影はありませんでした。
風が通り抜けていったので、匂いだけが運ばれてきたのかもしれません。
真後ろにいる2人に振り返り、にこりと微笑みます。
それでは行きましょうか、と。





#8 誓いの大樹





「優しそうな店主さんですね」

何を思ったか、突然そんなことを言い始めた女性に、私は思わず振り返って目を丸めてしまいました。
優しそう? 誰がですか?
思わず聞き返した私に、女性はくすくすと笑いながら「オールド・テイルの主人です」と答えます。
空耳や幻聴の類ではなかったことにため息をつきながら、女性の隣に立っている無口に戻ってしまった男性に視線を向けました。
あの店主と比べれば、この無口な男性の方が幾分かマシというものです。

「助手さん、おもしろい方ですね」

くすくす微笑む彼女の隣で、私に無言の視線を送っていた男性は、その視線を私よりずっと遠くへと向けました。
助手……そんな風に見えるのでしょうか。
何だかとても心外なのですが、やっていることは確かにそうかもしれないので反論もできません。

風が、鉄の匂いがしみ込んだ砂を舞い上げます。
黙り込んだ私の鼻先を掠めて、少女の香りを掻き消すように。
そんな場所を歩く私たちの足取りは、――いえ、少なくとも私の足取りは、決して軽くはありません。
荒れ果てたこの場所がそうさせるのでしょうか。

「――私たちは、力を合わせて一緒に戦っているつもりでした」

聞こえてきた声に振り返ると、女性が家の壁であっただろう瓦礫の方に近付いてそれに触れていました。
表情はこちらから見ることは叶いませんが、きっと痛ましい表情をしているのでしょう。
男性もそれに倣うように、別の場所の瓦礫に触れます。

「いつの間にか、離れて互いに生死もわからない状態になって……それでも、約束を糧にして全員で生き抜きたかった」

彼女と一緒に戦っていた人と、彼と一緒に戦っていた人は、それぞれ戦死した――。
彼女の弱々しい言葉でそのことを思い出しながら、少しばかり目を伏せます。
ですが、亡くなった彼らも他の戦死者よりは幸せでしょう。
こうして一緒に戦っていた彼女らが、約束した時の気持ちを同じ場所に眠らせてくれるでしょうから。
戦場となったこの地のあちらこちらで白骨化する、なんていう悲しく寂しい末路を辿ることはないのです。
それだけは、彼らにとって救いであることでしょう。

小さく息をついて歩き出した女性の手には、砂にまみれた人形が握られていました。
男性が歩き出した彼女の後に続きます。
人形の汚れを払いながら、女性は続けました。

「守れなかったことは、今でも後悔しています」

手にした人形を瓦礫にそっと立てかけて、女性は立ち止まり、手を合わせます。
人形の持ち主の冥福を祈っているのでしょうか。
それとも、共に戦った誰かの冥福を祈っているのでしょうか。
どちらにしても、悲しいものです。
男性が手を合わせたまま悲しそうな目をしている女性の肩を軽く叩くと、彼女はまた歩き出しました。
私にはよくわかりませんが、これが恋人同士というものなのでしょうか。
言葉がなくてもわかりあえる――それは、私の目にはあまりにも眩しいものでした。
何故かは、わかりませんでしたが。



+++



廃墟の街を通り過ぎると、草が少しも見当たらない丘がありました。
少女の匂いがすぐ近くでするのですが、姿は見当たりません。
緩やかな坂を上ったところには、大きな樹。
他に草がないというのに、その樹は奇妙なほど青々と生い茂っています。
月を背負っているせいで真っ黒に見えますが、枯れ葉がこすれ合う独特の音がしないことから、それが枯れているわけではないでしょう。

「カイト」
「……ああ」

嬉しそうな2人の声。
懐からそれぞれ布袋を出して、それをぎゅっと握り締めていました。
少し足早になる2人の後を見つめて、私はその場に立ち止まります。
ここで邪魔をするほど、私は空気を読めなくはないですから。
大きな木の前で手を取り合って向かい合う2人に、私が苦笑を浮かべた時でした――強い風が、私めがけて吹いてきたのは。
まるで「見るな」と言われているようで、私は目を細めます。

…………あら?
風が止んで目を開いた時、私は思わずそう声を漏らしていました。
今まで樹の裏か影にでも隠れていたのでしょうか、あの時剣を私に託した少女が、2人の前に佇んでいたのです。
少女は優しく微笑んでいました。
知り合いだったのでしょうか。
そんなことを考えていると、少女はこっちに向かって礼をしました。
2人もそれに倣うようにこっちに体を向け、一礼。

「ありがとうございました」
「ああ、とても感謝している」

優しい微笑みを浮かべて言う女性に続き、無口で無表情な男性までもが微笑みを浮かべて言います。
いいえ、私は何も、と微笑む私に向かって、2人はまた幸せそうに笑いました。
好きな人と眠れるなんて、何て素敵なことでしょう。

――好きな人と、『眠れる』……?

自分で考えたその言葉に疑問を抱いたその時、ザァと葉をさざめかせて、再び強い風が吹き抜けていきました。
目を開けていられないほどの風です。

風が止んで目を開くと、風が吹いている間にこっちまで歩いてきたのでしょう……少女がすぐそばに立っていました。
その少女の苦笑に近い微笑みは、先ほどの疑問を思い出させます。
謎が解けそうで解けない、もどかしい感覚がしました。

彼女たちの約束では、仲間と共に眠ろうと決めた場所がこの樹の元ではなかったでしょうか。
この場合の眠るという言葉は、ここを墓と決めるのと同じこと。
けれどそれは、一体どういうことなのでしょう。
生きている彼らがここで眠るというのは、ここで死ぬまで暮らすということなのでしょうか。
それとも、今ここで命を絶つということなのでしょうか。

わけもわからないまま、けれど私は少女から視線を逸らせずにいました。
少女の強い瞳がそうさせたのかもしれません。
どういうことですか――。
吐息のように零れた小さな問いに答えたのは、やわらかな風だけではありませんでした。

「あなた方は私たちよりも長くここに在るせいで、もうお忘れなのかもしれませんね」

少女は背を向け、樹の方へと歩いていきます。
忘れる? 一体、何を?
その疑問が口から出ることはありませんでした。
振り返った少女の姿が、私をその場に縫い付け口を閉ざす力を持っていたかのように。
すいっと、少女の手が私の後方を指差します。
思わず私は自分が歩いてきた方を見ることになりました。

「あなたたちが生まれてから随分経っていますから、もう時間は十分のはずです」

何を、とはまたしても声になりませんでした。
いえ、声にしてはいましたが、彼女の方から吹く強い風のせいで彼女には届かなかったでしょう。
顔の前に手をやって風を避けて声をかけようとしますが、少女は淡々と続けました。

「探しモノは、彼の一番近くです。忘れてしまっているだけ」

風の中で確かに鼓膜を打つ声。
待って、という私の声は聞こえなかったのか、風が止んだ時、少女の姿はおろか――いたはずの男女の姿もどこにもありませんでした。

ルカはあなたの近くにいる――。
そんな言葉と共に取り残されて、何だか狐に化かされたような心地でした。

『私たちよりも長くここに在る』というのはどういうことでしょう。
私たちが何を忘れているというのでしょう――ああ、わからないことだらけです。
わからないことだらけという状況には慣れたつもりでいましたし、それなりに全て知らないままでも放置できるようになったと思っていたのに、どうもこれは少しばかり悩むことになりそうです。

私はそっと樹の方を見ました。
すると、先ほどは気付きませんでしたが、樹の目の前には剣が刺さっていました。
近付いてみると、その剣から先ほど別れた2人の香りがします。
暗がりですが、剣にも見覚えがありました。
けれど、2本の剣には私の知っているその剣と決定的に違うことがあります。
束に下げられた布袋。
そして、それぞれ束に汚れきった石が埋め込まれていたのです。
私が少女に託され、店主に渡し、そして持ち主である2人にかえった剣……私の目が正しければそのはずです。

吸い込まれるように指で束にはめ込まれた石に触れ、少しだけこすってみました。
汚れが落ちると、片方は青い石に、もう片方は赤い石に姿を変えます。

『赤を基調とした服を着た女性がきたら――』
『あなたが探しているのは、青い髪の男性――』

蘇る店主の言葉。
探し合う男女――どちらも酷く汚れた依頼人。
そして剣を置いて消えた2人。
剣を見つけた時にその2人が見せた、懐かしそうな表情。
それが意味することは、

『ああ……やっと見つけた。私の大切な……』

――まさか。
頭に浮かぶ幸せそうな2人の顔に、私は眩暈を覚えました。
きっとそうなのです。
相棒と彼らが呼んだ人たちは、主人であり、その主人たちの願いを叶えるために彼らは――。

そこまで思考を巡らせた時、ズキン、と体のどこかが痛みました。
それが何なのかわかりませんが、少女の言葉が頭を駆け回ります。
あの少女に言われた通り、何かとてつもなく大切なことを忘れている気がして、私は走り出していました。
今まで何も気付かないでいたことが不思議なぐらい焦燥感が募ります。
忘れている自分を恐ろしいとも思いました。

走って走って走って、体中痛くて仕方がありません。
そうしてやっとのことで店内へ駆け込むまで、私の頭の中にはほとんど進まない読書をする店主の姿が、ずっと再生されていました。




ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

Tale House #8

どこまで謎が解決できるか……力試しです。
読んでる方のことを全く考えていなくてすみません。
もう少し続きます。

閲覧数:129

投稿日:2010/09/05 19:56:14

文字数:4,030文字

カテゴリ:小説

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