ロボタの電子頭脳の作りは割と単純なものだった。
製作当時ネットで公開されていたオープンソースのAIプログラムをベースに
独自の感情パラメーターを設け、メインコンピューターに幾つかの補助回路を繋げたオーソドックスな構造だ。
しかしそれでもロボタの心は、時として人間のそれを凌駕する。
ロボットが人間を超え出している…、そんな事を昔姉が言っていた気がした。
その頭部に搭載されたバイオセンサは周辺の生物的な機微に反応し、
日々データを蓄積しながら、CPU及びGPUを用いた学習機能によって最適解を模索しているそうだ。
それは経験測となって集合知が生み出した人間心理の体系を読み解き、
共感を伴った良好な相互コミュニケーションを実現する事が理論上は可能だという。
天才鼓リズムの産み出した技術特異点、このロボタは本当にそうなのだろうか?
その日、カノンは机に向かって姉のリズムから渡されたテスト問題に取り掛かっていた。
科目は数学、関数のグラフや因数分解、連立方程式…大体中学から高校で学んだような内容だ。
「なーんでこんな事してるんだろ?」
鉛筆を持った右手と空の左手を天井へ伸ばしながらカノンは退屈そうに呟く。
これでも大学に入るまでそれなりに勉強をして来たのだ、カノンにとってこのくらいの問答…解くのは簡単だった。
余計な宿題を終わらせると、彼女は暇潰しにスマートフォンを取り出してネットの記事を物色しつつ物思いに耽る。
(今度の休みの日に、どこかへ遊びに行けないかな?出来れば一人じゃなく友達と一緒に。)
そうしてカノンはそのままスマホの画面を切り替え、
SNSのメッセージ機能を使って登録してある古い友人達に向けて要望を送った。
「今度の休日にみんなで旅行でも行きませんか?…っと。」
すると速い人なら数分も待たずに返事が返って来る。
一番最初はカノンの先輩の一人、弦巻マキからの返信だった。
「ごめーん、ここんとこ休日はずっと予定が入ってて…。次の第三日曜ならなんとか空いてるんだけど。」
絵文字の入った可愛らしい文面だったが、そこには案の定お断りの文章が記されていた。
高校を卒業した後、アイドルとして日夜活動しているマキの事だ、多忙でも仕方ないのだろう。
その次にメッセージが返って来たのは一つ下の後輩、御手師マリーからだった。
「すみません休みの日はマキさんのライブに行くつもりで…、第三日曜なら空いてますけどどうでしょう?」
これもマキからの返事を見た時点で大体予想出来ていた内容だ、マリーはずっと憧れの先輩であるマキの追っかけをしていて、しょっちゅうライブやイベントへ足繁く通っているのを知っていたからだ。
そうして同じ日程を二度聞いて、カノンは少し苦い顔をしていた。
実は第三日曜はこちらの方の予定が埋まっているのだ。
実験に使用する機材の部品を作る為、大学に置いてある工作機械を使いたいのだが、
予約が回って来るのがちょうどその日なのである。
もしこの予定を逃すと諸々の作業は1ヶ月ほど先伸ばしになってしまうだろう。
出来れば私もそのようなロスは避けたかった。
最後に、大学で勉強しながら実家の見習いをやっている先輩のカナから返事が来た。
「休日は家の仕事、ごめんなさい。」
短い文章で簡潔に断りの文言を入れて来られて、彼女はすっかり不貞腐れてしまった。
「カノン姉は大学の友達とかいないニョ?」
居間で事の経緯を愚痴っていると妹のメロディにそう言い返される。
「べ…別に、いない訳じゃないけどぉ…。」
残念ながらカノンの通っている工学系の大学にはまず女の子が少ないのだ。
それに、今の彼女は家族や高校の友達とお出掛けをしたい気分なのだった。
けれどもおねぇちゃん…姉のリズムだって近頃は育児で忙しいし、
やはり昔のように集まるのは困難な状況になりつつあるのだろうか?
通信機器の発達によって互いに連絡を取り合うのは容易くなっているものの、
物理的な距離や生活環境の変化はやはりいかんともしがたいと、
カノンは人付き合いの難しさを改めて思い知るのであった。
「A子ちゃん、ちょっとお願いがあるんだけど…。」
翌日、気を取り直した私はある事をA子に相談していた。
彼女はここ最近我が家に下宿して家政婦を務めている女の子だ。
「荷物運びですか?」
朝食後の皿洗いの手を止め、A子がカノンに聞き返す。
しばらく大学の研究室に居させたままにしていたロボット「ロボタ」。
それをカノンは一度家に連れて帰ろうと考えていた。
ロボット工学の研究室は彼の居場所にピッタリだと思っていたのだけれど、
ずっと同じ部屋の中というのもあんまり良くないと…。
いや違う、私が寂しいからだ。
だから家でもロボタと一緒にいたいと、そう感じていたのだろう。
そこで彼女は用意した台車をA子ちゃんに持たせて、電車とバスで大学を訪ねてもらう事にした。
それなりの大きさ・重量であるロボタを遠くまで運んで行くには、結構な時間と労力を必要とするのだ。
「これでよし。あんまり動いちゃダメだからね?」
研究室までやって来ると、カノンとA子は二人して手押し台車の上にロボタを誘導する。
さしずめそれは、ロボタの為の乳母車のようだった。
「ガガガ?」
ロボタはその腕でジェスチャーをしながら不思議そうに答える。
「この子はA子ちゃん、少し前から家でお手伝いをしてくれてるの。」
残念ながら私には、おねぇちゃんと違って彼の言葉は分からなかった。
けれど、なんとなしに独り言を会話っぽく取り繕う。
今のおねぇちゃんは赤ちゃんの事で手一杯なんだから、ロボタの面倒は私が代わりに見なくっちゃ。
カノンはそう思いながら半ば独りごちていた。
「それでは、行かせて頂きます。」
メイド服を着たA子がそう合図をすると、小さなロボットを乗せた台車はゆっくりと動き出す。
研究室を出て歩いて駅まで向かう私達のその様子は、周りの人達には少し変わった風に見えていただろう。
ロボット自体はそこまで珍しくもなくなって来た現代日本だが、それでもメイド服の女の子がそれを車に乗せて運んでいるというのは、やはり奇っ怪に映ったに違いない。
「ガガ、ガガガ。」
「なるほど、久々のお出掛けなんですね。」
まるでロボタの言葉に応じるようにA子は喋った。
「A子ちゃん、ロボタの言葉分かるの?」
少し離れて後を追いかけながら、私はその後ろ姿に声を掛ける。
「いえ、何を言ってるのかサッパリです!」
カノンの質問に、確かな自信を持って彼女は答えた。
「なーんだ。」
それを聞いて、私は呆れると同時に少し安心する。
もしも分かったなんて言われたら、ずっとロボタと一緒にいた自分の面目が丸潰れになる気がしたからだ。
ガラガラという手押し台車の音と共に歩き続けた私達は、駅までたどり着くと駅員さんに事情を説明し、そのまま電車へと乗り込む。
「ロボタだってみんなに会いたいよね?」
「ガガガ、ガガガ。」
カノンの質問に返事をするロボタだが、やはり私にその意味を理解する事は出来なかった。
「カノンさん、もし良かったらこれを食べてみて下さい。」
そう言うとA子はエプロンの前ポケットから何かを取り出す。
それは灰色の光沢を持った四角いゲル状の物体。
所謂こんにゃくと呼ばれる日本の伝統的な加工食品だった。
「ほえっ、これを…食べれば良いの?」
驚いて間抜けな声を上げた私は、促されるままにそのプルプルした物体を受け取る。
しばらく手に持ったそれを観察していたが、いつまでもそうしている訳にも行かず、恐る恐るこんにゃくの角に口を付けた。
歯で噛み千切ったその一片の風味を舌の上で確かめるが、特にこれと言ったものはない。
弾力のある柔らかな歯応えを感じながらモグモグと咀嚼した後で彼女はついにそれをゴクンと飲み込む。
「ガガガガ?」
ロボタは心配そうな声を上げるが、私の身体に特に変化は無いように思われた。
「何も起こらないけど?」
そう言ってカノンはA子を訝しむ。
「まぁ、ただのこんにゃくですからね。」
静かに揺れ動く電車の中で、あっけらかんと私に言い放つA子。
「・・・・」
その日、私のお腹の中には一塊の味気ない食物繊維が転がっていた。
そんなこんなで家に着き、周辺の後始末を終えたカノンは、
「はぁ…。」
と溜め息を吐きながら、またスマホ画面を眺めていた。
そこに映し出されたとある一枚の写真。
それは以前jamバンドのみんなと共に、先輩である弦巻マキのライブへ応援に行った際に撮影したものだった。
マキのライブは最初こそ小規模な講演だったけれど、
回数を重ねる毎に少しずつ集まる観客の数は多くなり、着々とファンの数を増やして行った。
しかしそんな様子を見て、カノンは自分とマキの生きている世界が少しずつ遠くなっている事を実感するようになっていた。
そもそもバンドにいた時だって彼女達は偶然同じ空間にいただけだ、
あくまでほんの少しの間、近くで過ごしただけなのだ。
初めから、私とあの人は違っていたのだ。
そんな風に思っていると、カノンは自身の胸がキュッと締め付けられるのを感じた。
「僕は、いつかマキさんのお手伝いを出来るようになりたいんです!」
そんなマキの姿を見ながら自分の夢を語るマリー。
あの時、私はあの子になんて言っただろう?
「そうだね、マリーちゃんならきっと出来るよ。」
そんな凡庸で無責任な言葉を使って彼女を応援した事を思い出すと、
カノンは身悶えをしながら潰れたカエルのような喘ぎ声を上げそうになっていた。
「ガガ…?」
ぐったりした乙女の耳にそんな機械音声が届き、私は我に帰る。
いつからそこにいたのだろう、足元からロボタがカノンに声を掛けていた。
ようやくその事に気付いた私は両手で彼を優しく抱き抱える。
(ごめんね、ずっと一人にしてて。)
心の中で呟いたそれは、彼女が誰かに言って欲しかった言葉だったのかもしれない。
目を閉じて、カノンはその機械のボディに温もりを探した。
『楽しかったね、また一緒に行こう。』
ふいに私は自分が前にそんな事を口にしていたのを思い出す。
「…心配してくれたんだね、ありがとうロボタ。」
しばらくしてカノンは彼をそっと地面に下ろすと、再びスマホの画面を操作してメッセージを入力していた。
「マリーちゃん、何度もごめんなさい。
今度のマキちゃんのライブ、良ければ私も付いていっていいですか?」
そうして一呼吸を置いて送信ボタンを押すと、彼女は静かに友人から返事が来るのを待つのだった。
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