ほらほら笑いなさい
可愛いお顔で
毛皮をまた被って
芝居に戻る
「……ねぇ、ちょうだい?」
─────────────
十月の終わりが迫り、肌寒さは身にしみてくるこの時期、一人の若い男が山中で叫んでいた。どうやら車のタイヤがパンクしたらしい。こんな山奥でパンクとはかわいそうに……それにそんな薄着では寒いだろう。
「くっそ、わざわざこんな山ん中でパンクすんなよ! 携帯もつながんねぇし、歩けってか!?」
いや、心配はいらないみたいだ。あれだけ元気な人間も珍しい。
ただひたすらにいら立っているのだが、どうもその原因はタイヤがパンクしたことだけには見えない。
男は自分が乗っていた赤い車のタイヤをこれでもかと蹴飛ばしてから、徒歩で山を下り始めた。携帯がつながるところまで歩くようだ。
その間もブツブツと何かをつぶやいている。仕事がどうだのパーティがどうだの言っているが、何ともひとりごとの多い人間である。
そのつぶやきを聞く限りどうやら男はどこぞのベンチャー企業の若き社長らしい。確かに車もイタリア製の高級車だったし、着ているスーツも何となく高級感が漂ってくる気がする。
そんな感じで木々に左右を囲まれた山道をある意味で騒がしく歩いていた男だったが、急にその独り言をやめた。同時に足も止め、怪訝そうに辺りを見回した。
ようやく周囲の異変に気づいたらしい。男の背中には冷たい汗がにじんでいた。そのくらい気味の悪い雰囲気が一帯を覆っていた。
「霧か……ここまで何も見えないのは初めてだな。道もよくわからんし、めんどくせぇ」
男が霧の向こうにそう言い放つとその霧の中から人影が見えた。男もそれにすぐ気がついた。
「ん? 人か? こんな山奥歩いてるってことはもしかしたらこの辺りの人か……ラッキーだな」
このプラス思考が正直うらやましくも見える。それが成功の秘訣なのか。
男はその人影に向かって歩みを速めた。人影の方も男の方に向かっていたので、出会うのはすぐだった。
相手の姿がはっきりと確認できないうちに男が先に声をかけた。
「すみません。道をお尋ねしたいのですが……!」
男は最後まで言い終わらないで道を尋ねるのをやめてしまった。
無理もない。その人影の正体は、とても道案内など出来そうもない小さな子供だったのだから。
その子供は男の腰くらいまでしか背丈はなく、なぜか真っ黒い服に身を包みフードまでかぶっていた。表情は見えず、男としては気味が悪い子という印象が真っ先に浮かんだ。
その印象のまま男はその子供を無視して行こうとしたのだが、子供は男の前に小走りで向い、立ちふさがった。
「何だ? もしかして、道案内してくれるのか?」
期待はしていなかったが、さすがにこんなふうに眼の前に立たれてはどうしようもない。
一応と言った感じで男がめんどくさそうにそう聞くと子供は首を縦に振った。そして、言葉を添えた。
「とりっく、あんど、とりーと。おかしくれなきゃ、嫌だよ」
そう言って開いた右手を出す子供の声自体はかわいげのある無邪気な声だったが、言っていることはかなりおかしい。
「trick and treat……? それを言うならtrick or treatじゃないのか? それだと『お菓子をくれてもいたずらするぞ』になるだろ。つーか、今日ハロウィンだったのか」
実際、日本でハロウィンの日に本当に仮装して家々を回る子供なんてめったにいない。だから、その日がハロウィンだということ自体覚えている人間の方が少ないのではないのだろうか。まぁ、それでも最近、少しくらいは浸透してきたらしいが。
男はその最近の日本人には該当しない人物で、今日がハロウィンだということを完全に忘れていたし、そもそもたとえ今日がハロウィンだと知っていても何かアクションを起こすつもりなど微塵もなかった。
だから当然、子供のために用意するべきお菓子など持っていなかった。
右手を差し出す子供の格好を見ると、確かにハロウィンというのならおかしくもない格好に見えた。今の今まで男は気づいていなかったのだが、子供の背中には小さな赤い羽根が付いている。ヴァンパイヤの仮装だろう。
男は子供に対する警戒心を解くと、お菓子について正直に答えることにした。
「悪いな。まさかこんなところでお菓子を要求されるとは思わなかったんでな。あいにく持ち合わせがない。どうか見逃してくれないか?」
男は優しくそう言ってみたのだが、子供の方は首を横に振って、もう一度、
「とりっく、あんど、とりーと!!」
と強く言った。
らちが明かないと思ったのか、男は深くため息をつくと子供の後ろ側に続いていると思われる道を指差した。
「じゃぁ、山から下りたら何かやるから、それまで俺に道案内してくれないか? それでいいだろう?」
こんなところでお菓子を求めて仮装しているということはこの近辺に住んでいる子だと思って間違いはないだろう。そう判断した男は子供に道案内を頼むことにしたのだ。もちろん、お菓子はちゃんと買ってやるつもりである。
それを聞いた子供は「やったぁ」とうれしそうに両手を広げてそのまま一と半分回った。
「じゃぁ、進もう!」
そう言って男を急かした子供は、さっと男の手をつかんで引っ張った。
思ったより強い力だったので、男の方は転びそうになった。
「急かすな。ゆっくりでいいよ。それより、君、名前は?」
「ん~とね、今はヴァンパイヤだから、ヘルシングでいいよ」
「それじゃ、退治する方だろうが。まじめに答えろ」
「何だっていいじゃん。僕だってあなたの名前聞いてないんだし。こじんじょーほーはむやみに公開したらいけないんだよ」
そんなことを言いながらこうやって男と歩いているこの子供は明らかに矛盾しているともいえるのだが、男はこれ以上何も言わないことにした。ただ少し変わった子なのだということで済ませた。
「ねぇ、どうしてあなたはこんなところを歩いていたの?」
子供は男の前を機嫌よさそうに歩きながら実にどうでもよさそうに尋ねた。その問い方に男の方もそれに見合った適当さで答えた。
「車のタイヤがパンクしたんだよ。この辺、携帯使えないから歩くしかなかったんだよ」
「どこに行ってたの?」
「病院」
「なんで?」
「知り合いが病院に運ばれたから」
「誰?」
「知り合い」
「彼女?」
「だった」
「今は好きじゃないの?」
「まったく」
「へぇ、そっか、そうなんだ~」
終始適当な会話が展開された。誰が聞いてもぞんざいなやり取りにしか思えない。
男はどうせこの場限りのかかわりだとでも思っているのだろう。また、子供の方もそこまで男のことに関心を持っているわけでもないのだろう。
子供は男を質問攻めにするのに飽きたのか、今度は歩きながら上機嫌に歌を歌い始めた。
「シナモンスティックは魔法のステッキ♪ 一振りするだけでシロップが増える♪」
「なんだ、その歌は?」
「え? ハロウィンの歌だよ。想像してみてよ。こんな素敵なステッキあったらうれしいよね」
そう言って子供は手近にあった木の棒を拾い、くるっと一回転させた。当然何も起こらない。が、次に発せられた子供の声は今までと重さが違った。
「ねぇ、なんでその人のこと嫌いになったの?」
ついさっきまでの明るい無邪気な声はどこに行ったのか。声だけで人を震え上げさせることができる、そう思えるほど重く暗い声だった。
男は質問に答えられない。ただ口を呆けたように開けている。そこから魂でも抜けるのではないか。
「ねぇ、黙っててもわからないよ」
男はかすれる声で何とか答えた。
「別に嫌いになったんじゃない。ただ、付き合っていけるだけの時間がなくなったんだ」
「時間? それが理由?」
「そ、そうだ。別に愛していなかったわけじゃない」
「苦ささえ忘れて甘い夢の中♪ 天蓋に護られて眠りに堕ちる♪」
この曲自体は聞いたことがなかったが、男にとってそんなことはどうでもよかった。ただ、何となく曲の雰囲気を不気味に感じた。
そんな感想を抱いた瞬間、男は急に辺りが真っ暗になるのを感じた。あまりに突然の出来事で、何が起きたのかさっぱり分からない。
「おい、急にどうしたんだ!?」
慌てた様子で子供に言った。当然何も見えていないようだが、子供の姿を探すかのように首を左右に振っている。
「僕はここだよ。急に目が覚めた? ほらほら、手を貸して。ちゃんと案内してあげるから」
男の感覚にも子供が右手を取るのがわかる。それでも、相変らず何も見えないことが男を焦らせる。
その時偶然だが顔に触れた左手が何か布のようなものを感じた。
「そうか、目隠ししたのか。これがお前のいたずらか。こんなもの取れば問題ねぇよ」
「あっ」
男が勢いよく目隠しを取ると、当たり前に視界が開けた。しかし、それと同時に男はその行為を後悔した。
「お、お前……は…………」
ランタンが発する光からできる影は見知ったシルエットを浮かびあがらせた。思わず身の毛がよだつ。
「もう眼が覚めたの? 面白くないなぁ」
その影の主は口角を気味悪く引き上げ言った。その声は先ほどまでの子供の声ではない。悪魔の憑いた女の声だった。ただ、男はその声に心当たりがあったのは言うまでもない。
「お前、自殺して運ばれたんじゃ……」
「さぁ、あなたは誰のことを言っているのかしら?」
「さっき言ったろ? お前のことは愛していたって」
その言葉に彼女は懐に手を入れた。何が出てくるのかはだいたい想像がつく。
「『愛していた』なんて免罪符、いまさら存在すると思う? 目隠しをとっちゃったのなら盲目にしましょうか?」
ナイフが男の眼球につきつけられる。足の力が抜けた男はその場に倒れるように座り込んだ。
それでも男は弁解を重ねる。
「お前とやっていくには時間がなかったんだ。仕事が大変だったのはお前も知っているだろ? 許してくれ!」
その様子を満足そうに見て、彼女はそのナイフで男の頬を傷つけた。
男はもう軽い痛みは感じなくなっている。
「仕事と私の二者択一であなたは仕事を選んだ。そう、二者択一だからいけないの。二者択一の原則なんてかなぐり捨てて! あなたの時間も私が全部もらってあげる」
彼女はナイフについた血液を舌先でなぞった後、優しそうに聞こえる声で男に語りかけた。
「ほらほら、笑いなさい、ね?」
最後の『ね』のところで、子供の声に戻った。
もう、男の前に悪魔はいない。いるのは黒い服をかぶり、背中に赤い羽を付けた子供が一人。その子の表情は男からは確認できない。
辺りはいつの間にか真っ暗になっていて、あんなに立ちこめていた霧すら見えない。子供の持つランタンだけが、この奇妙な世界を照らしている。
何がどうなっているのかわからず呆然とする男の正面に子供が立ち、真っ白い右手を差し出した。
「とりっく、あんど、とりーと……ねぇ、ちょうだい?」
男の体は動かない。指一本、いや髪の毛一本すら動かなくなっている。そんな男に子供は無邪気な笑みを作り、男の頭を自らの手元に引き寄せた。
「どうしたの、そんな目で身体を震わせて。温かいミルクでもてなして欲しいの? さぁ、中にお入り。ここはとても温かい。見返りはポケットの中身でいいから、ね?」
次の瞬間、そこには誰もいなくなった。
─────────────
ここは、深い深い森の奥。
この森のある山は有名な山。
ハロウィンの日に出掛けた人が帰ってこない。
それは毎年起きること。
毎年山で誰かが消える。
山にいるのは小さな子供二人だけ。
二人の子供は仲が良く、いつも二人でお歌を歌う。
二人の歌を聞いたなら、それがあなたの最期の時。
trick and treat!
お菓子をくれてもいたずらするぞ!
さてさて、あなたはどんなお菓子なの?
trick and treat・完
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