客が帰った後、獣が書斎に戻って例の文献を紐解いていると、しばらくしてアヤが数冊の本を抱えて部屋の中に入ってきた。
「あんたが言ってたのって、どれ?なんか似てるのがあったから、どれだか分かんなくて全部持ってきたよ。」
そう文句を言いながら本を抱えるアヤに、その辺りに置いておいてくれ。と文献に視線を落したまま獣は素っ気なく言った。
さらさらと、なにやら手元の紙にメモを書きつけて、しかしほどなくしてぐしゃりとそれを打ち消す。眉間に皺を寄せて文献の頁をめくる獣に、なんだか大変そうだね。とアヤは言った。
「そんなに大変なのか?その、王様に頼まれた事は。」
そう言いながら、アヤは獣の手元にある文献を覗きこんできた。
この古い文献は国家機密であり、選民のみが有するべき知識。アヤのような子供に見せてはいけない。だが、獣はアヤが見てもどうせ解らないだろう。と手元が覗かれているそのままで、ため息をつきながら言った。
「あいつらが欲しい情報はもう解読終わっているんだ。かつて栄えた文明の歴史なんかを知りたいんじゃない。人は、その文明が遺した財産のありかを知りたいだけだ。」
そう嘲るように獣は言い、つい、と文献の頁をめくった。
「その財産を指す文章も隠してある場所についても、もう読み解けている。どうやら金や銀などの希少な鉱物が埋もれているようだ。あとは、何かを精製するための技術が記してある書物が一緒にあるみたいだけれど。これは何なのかは、まだ分からない。」
そうほとんど独り言のように呟き、獣はぱらぱらと文献の頁をめくった。
沈黙が部屋の中に落ちた。獣が喋ってアヤが喋らないのは珍しい。初めて目にするものに対して、返事がなくても煩いくらいの質問をぶつけてくるアヤが何も言ってこない。おやと獣が眉をひそめて顔を上げると、今までに見た事のないほどの硬い表情で、アヤは獣の手元を見つめていた。
「どうした。」
訝しげに獣がそう問うと、アヤははたと我に帰り、そして取りつくろう様に微笑んだ。
なんでもない。と笑ってアヤは誤魔化すように笑った。
なんでもないことは、ない。と獣は心の中で呟いた。普段は一点の曇りのないアヤの笑顔が、今、後ろめたさで翳りを帯びている。アヤは嘘をつく事が出来ない。全て顔に出てしまうから。そんなことでよくここまで生きてこれたな。と心の中で苦笑を浮かべながら、しかし、興味無い、とでも言うように獣はふいとアヤから視線をそらした。
知らなくてよかった。隠し事をされるのは、自分が信用ならないから。アヤが何かを隠している事があって、それを獣には知らせないというのであるならば、わざわざ聞く必要はない。
何かあったのか、と尋ねて、そして何でもない。と拒絶されたらもう、目も当てられない。
なあ。とアヤが少し躊躇うように声をかけてきた。
「あんたさ、その、王様が欲しい情報はもう解読したんだろ?全部解かなくてもいいんだろ?なんで読むのを続けるんだ?」
アヤの問いかけに小さな落胆の息を吐き出して、獣は再び文献に視線を落とした。
読み解けない謎。未知の思考。隠れた意味を含む文字。
この世にある知識は全て、欲しい。
「知らない事だから、知りたいんだ。」
そうぽつりと零した獣の言葉に、アヤが真剣な表情で再度問い掛けてきた。
「知った事が、自分の手に負えないほど大きな事だったら?」
「まず知らなければ、その判断すらできない。」
至極当然の事、と獣はそう言った。
獣の言葉にアヤは眼差しを揺らがせた。短く無造作に切られた前髪の下で、まだ幼さの残る瞳がどうするべきかと迷うように揺らいでいた。何かを推し量るように、揺らぐ視線を真っ直ぐに獣に向けてきた。ざわざわと、それだけで獣の内側で波紋が広がるようだった。
「無駄話はもう終わりだ。邪魔をするな。」
そう獣は言い、視線を断ち切るようにわざと大きな音を立てて椅子に座りなおした。
いつもならばここで、アヤが何かしらの文句を言うのだが、今日はそれがなかった。ちらりと何か言いたげな視線を獣に向けたきり、しかし何も言わないまま部屋から出ていった。
断ち切っても生じた波紋はなかなか消えない。とりとめなく広がっていく波に、定まらない思考の中心に、獣は低く呻いた。
夜、橙の灯火の下で獣は昼間と変わらずあの古い文献と対峙していた。何の手がかりのない霧の中に手を伸ばすように、獣はメモを取っては消し、引用できる他の文献を引っ張り出し、何度も頁をめくって文字を追いかけた。
まるで文様のように美しく刻まれた文字が、理解できない獣をあざ笑うかのように灯火の下で揺れる。そんな事は無い。文字は伝えるためのものであって隠すためのものではない。その意味を紐解かれる時を待っているのだ。獣は未だ意味の分からない一筆書きに描かれたシンプルな形の文字を、そっとなぞった。
ふと、閉じた扉の向こうに人の気配を感じ、獣は顔をあげて眉を寄せた。
この塔の中に人の気配を持つものは、一人しかいない。こんな夜更けに何の用だ。と盛大にため息をついて獣は閉ざされた扉越しに声をかけた。
「用件があるならば、さっさと済ませろ。」
苛立ちを露わにした獣の言葉に、ぎい、と閉ざされていた扉が開く。揺れる灯火の向こう側に、昼間と変わらず硬い表情をしたアヤが現われた。
部屋にやってきたアヤは、しかし何かを言い掛けて、躊躇うように口をつぐんだ。その煮え切らない態度に、苛々と獣は、用がないならば邪魔をするな。と言った。
「そこまで私の邪魔をしたいのならば、そこの窓から叩き落してやる。」
なかなか解読がはかどらない苛立ちも手伝って、悪意をむき出しに獣がそう言うと、アヤはぶんぶんと首を横に振った。未だに揺れる眼差しをそれでも前に向け、躊躇いを打ち消すようにひとつ唇を噛んで、アヤは口を開いた。
「あんたが読み解いているそれ。おれ、読めるよ。」
古い言葉だから分からないところもあると思うけど、読めるよ。そうアヤは微かに震える声で言った。
予想していなかったアヤの言葉に、獣は目を見開き、アヤと手元にある文献を交互に見比べた。
古い文献。この国に滅ぼされた民族が守り継いできた、その民の言葉で書かれた文献。
初めてアヤがこの塔にやって来た時。怪我を負っていたアヤの治療をした時に見た、アヤの体に残る無数のやけどの後。
この国に焼き滅ぼされた民と、その跡地で見つかった文献。
アヤとこの文献をつなぐものに気がついた獣に、アヤは震える声で言葉をつづけた。
「本当は、おれはそれを持って逃げなくてはいけなかった。守らなくちゃいけなかったんだ。おれの家は守り読み解く血族だから。本当は守らないといけなかったんだ。だけど怖かった。だってこんなの、おれの手に余る。こんなの、いらない。」
アヤの声が大きく震えだしていく。緊張で張り詰めたその視線に、獣はいつものように目をそらす事が出来なくなっていた。じっと獣が見つめ返す中、アヤは幼い子供のように小さく見えた。
「この国のものに滅ぼされたんだ。お前は私たちが憎くないのか。」
アヤの言っている事とは別方向の問い掛けをした獣の声は、アヤと同じで微かに震えていた。その事に気がついたのか、緊張が緩んだようにふとアヤが軽く笑んだ。
「悲しいとか憎いとか、実はよくわからないんだ。」
軽い笑みを浮かべたままアヤは言葉を続けた。
「時々、父ちゃんや母ちゃんが、近所のじいさんや小さいラオや、知っている人が、今、もう居ない事が不思議でたまらなくなるけど。」
闇の中、小さく浮かんだ笑みは簡単に夜に浸食される。ふと笑みを途切れさせ、アヤは真っ直ぐに獣を見据えた。
とうかこうかん、ってやつだ。と闇に半身を沈ませて、アヤはどこか痛みをこらえるような顔で言った。
「あんたが分からない文字があったらおれが教える。その代わり、それをすべて読み解いてもその内容をこの国の王に渡さないでくれ。」
強い悲壮感をも漂わせるアヤの願いに、獣は真意をはかろうと目を眇めた。
「それは、なんで。」
もう震えていない落ち着いた声で獣が問い掛けると、アヤは痛みを抱えたままの表情で、それが示しているものは兵器だからだ。と言った。
「確かに前時代の遺物である財宝やなんかも遺産として残されているって聞いている。だけどそれだけじゃない。遺産の中には、財宝だけでなく、巨大な力をもつ兵器の作りかたも入っているんだ。」
その兵器には、民族どころか国どころかこの世界そのものを壊す力があるのだと、アヤは言った。
獣の手の中にある文献の重さは一ミリも変わらない。知識は、実際には何の重量もない。けれどそんな影も形もない実体を持たないものが、本当は一番大きな力を持っている。
「そんな危険なもの、最初から作らなければいいのにな。そもそも文字に残さなければいいのに。」
ふと、アヤは疲れた笑みを浮かべてそう言った。
その言葉に、獣は答えずにただそっと文献の表紙を撫でた。
知りたいと思う事。知って生み出したものを残したいと願う事。分からなくはなかった。獣は、人から獣になった時点でもう何かを生み出す事は無い。ただ知識を蓄え読み解くことしかできない。それでも、自分が生み出したものに対する執着心は理解できた。
けれど、アヤは。なぜ。
「なぜ、そんな危険なものを読み解こうとしている私を、おまえは止めようとしない。」
獣はそう新たに問いかけた。
この知識が世に明かされる事をアヤは望んでなどいないのだろう。その事はその辛そうな態度から伝わってきた。なのに、なぜ。アヤは文献を読み解く手伝いを申し出たのか。獣の疑問に対しアヤは戸惑うように視線を揺るがせて、首を横に振った。
「わからない。だけど、あんたが望んでいることは叶えたくなったんだ。」
そう困ったようにつぶやく。
アヤ自身が理解できていない事を獣自身が理解出来るわけがない。今、解っている事は目の前になかなか解けないものがあって、それを解く鍵であるアヤも傍にあると言う事。そして獣にとって、その内容が危険なものだとしても知識である限り、それでも知りたい、という事。
知る事。知識を蓄える事。それが獣の存在意義だったから。
分かった。と獣はアヤの提案を受け入れた。
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