1. お伽噺を求めて


『    』
 耳の奥で反響する声。それは、何度も何度も言われ続けてきた4文字の言葉。
 どこからともなく聞こえた声を無視しながら、天井まで至る巨大な本棚から一冊の本を抜き出して、たっぷりと被っていた埃を払った。舞い上がったそれに咳き込んで、思わず涙目になる。
 本棚に立てかけられた梯子をまたいくつか登って、望みの本を探す。下を見れば目がくらむほどの高さだが、慣れてしまえばどういうこともない。何冊か本を抜き出して、片手では持ち切れなくなったら梯子を降りる。トントントン、と規則的なリズム。
 梯子を三往復ほどして絨毯の上に積みあがった三つの山を一つにまとめ、テーブルのほうへと持っていく。積み上げすぎた本で視界が遮られているので、少しだけ慎重に。
 テーブルの上に本を下ろして椅子に座った。ぐっと背伸びをして、窓のほうに顔を向けた。
 眩しい日差しに目を細め、少しだけ憎らしげに、ごくごく小さく舌打ちを一つ。積み上げた本とは別に、ずっと前からこのテーブルの上に置かれたままの一冊の本の表紙をそっと撫で、一度目を閉じる。
 ――いつかきっと、見つかりますように。
 いつまで経っても叶う気配の無い願いを脳内で繰り返してから、瞼を開けた。
 よし、と自らに気合いを入れて目の前の本を脇にやり、代わりにタワーになった本の一番上を取って開いた。
 脇にやられた本の表紙には――「Beauty and the Beast」と書かれていた。



 文字の読みにくさを自覚して、ミクは顔を上げた。窓の方に顔を向ければ、外はだいぶ薄暗くなっていた。小さなため息を一つ落として、読んでいた本に栞を挟む。まだ読んでいない左側の山と既に読み終えた右側の山を見比べれば、右の山の方がやや高い。続きは夕食を食べてからにしよう、と思い椅子から立ち上がった。
 一人で座るには広すぎるテーブルを瞬き一つ分の時間眺めてから、埃っぽくて黴臭いとても慣れ親しんだ書庫を出て、キッチンへと向かった。

 暗い廊下を歩きながら、壁に取り付けられたランプに手を翳し、二つ置きに火をつけていく。全てに火をつけないのは、単純に面倒くさいのと、別段必要性を感じないからだ。
 しんと静まり返った城の中には、ランプに火を灯してくれる人もいなければ、夕食を準備してくれる人もいない。
 いつからこうなってしまったのか、正直なところミクには思い出せなかった。ただ、きっかけだけは覚えている。両親が病気で死んだことだ。
 幼い頃には存在していたはずの使用人たちは、その日を境にゆっくりとミクの周りから消えていった。一人、また一人と、櫛の歯が欠けるかのように消えていき、彼女は一人きりになった。
 その理由を、彼女はよく知っている。
 使用人の顔なんてろくに覚えてもいないが、彼らが陰で発していた4文字の言葉と、自分の姿を見る時の表情だけは忘れられもしない。深く沈めた過去の記憶、時おり泡沫のように浮かびあがる思い出の中には、いつも同じ表情が並んでいる。耳にこびりついて離れない、4文字の言葉と共に。
 『    』
 また耳元で聞こえた声に、掌をきつく握りしめて、頭を振った。いなくなってしまったもののことなど、思い出したところで仕方が無い。

 キッチンにたどり着いた。
 かまどに薪を放り込んで火を灯し、貯蔵庫からいくつかの野菜と小麦を取りだした。食材は残り少なくなってきており、また町へ買いに行かなければいけないと思うと、知らず知らずに重たいため息が零れた。
 いつも深くフードを被って出かけるけれども、それでも顔を全部隠すことはできないから、罵声が飛んでくるのは毎回のことだ。この城に一人きりで住まうミクを、町の人々が何と呼んでいるのかくらい、彼女だって知っている。
 それは、何度も何度も、この身に沁みつくように言われ続けてきた言葉。
 一人きりで生きられたらいいのに、とご飯を食べるたびにミクは思う。食べ物を必要としない体になったのなら、わざわざ町に買いに行かなくていい。水は城の敷地内にある井戸で汲めるし、服や本は山ほどある。必要なのは食べ物くらいで、それは城の庭では野菜がろくに育たないからだった。
 庭には、乾燥にも強い木々と、生命力の強い雑草だけが溢れかえっている。美しい花など、微塵もない。けれどミクにとっては大切な大切な、自分だけの城だった。


 味付けも適当なただ栄養を摂取する目的のみで作ったご飯を食べた後、ミクはまた書庫に籠る。
 積み上げた本を読み終わるまで眠らないのが、ここ数年の習慣だった。読み切れないまま意識が途切れ、気づけば朝を迎えていたこともよくある。読んでいるうちに朝になることは、それ以上に多かった。
 毎日のように本をテーブルに積み上げ、全てを読んできたけれど、まだ望みの物は見つかっていない。そしてこの城にある本のうち、ミクが読めたのはほんの一部でしかなかった。書庫はここ以外にも複数存在し、蔵書は数え切れないほどだ。
 それでも彼女は毎日本を読み続ける。夢物語のような望みを叶えるために。
 何日でも、何週間でも、何年でも――彼女はそれを探し続ける。



 それは、何度目になるか分からない、徹夜で迎えた朝のことだった。
「…………あった」
 自ら呟いた言葉は、どこか遠くの方で聞こえた気がした。
 寝不足でまともに動かなかった頭が一気に冴えわたっていき、霞んでいたはずの視界がゆっくりと開かれていく。
 どくりどくりと、静寂の中で自らの心臓の音だけが大きく聞こえた。
 興奮と恐怖とで震える指先を本の上に滑らし、一文字も読み落とさないようにと文字を辿る。
 膨大な量の材料と事細かな条件、複雑な術式がそこには記載されていた。
 ミクは城の中にあるはずの物品のリストを思い起こし、必要な材料のうち、存在する物と足りていない物に分別した。大半のものがこの城の中に眠っているとすぐに分かった。こくりと喉が一度鳴る。
 次に条件を照らし合わせてみる。脳内で暦表を広げ、条件に合う一番近い日を探す。月の満ち欠け、季節、年号、日付、時刻と順に辿っていくと、ほぼ1年後の満月の夜に、総てがそろうと計算できた。きゅっと唇を噛みしめた。
 本に書かれた魔方陣を見つめ、各々の組成に分解していく。本に呪文は書かれない。魔方陣を理解できる者しか魔法を行使する資格は無く、そして魔方陣を理解できれば呪文も自然と脳裏に浮かぶものだった。いくつかの組成が分解しきれず、完全には魔方陣を理解することはできなかった。しかし、1年後までには理解できるという直感があった。思わず目を瞑って天を仰いだ。
 ――不可能ではない、と心の奥で歓喜の声が上がった。
 どれだけこの時を待ちわびたことだろう。一人きりの城の中、お伽噺を信じて探し続けた魔法。本当にこの世に存在するのかさえも分からず、ひたすらに求め続けたそれ。
「……よかった」
 小さく呟いた声は、高い天井に大きく響く。だからいつからか、ミクは小声でしか話さないようになった。
 材料と条件、術式を再度確認してから、またページをめくる。いくつかの注意事項と注釈が続いた後、一番最後に実際に行われた例が記載されていた。
 たった一つきりの例。そこに書かれていた文字に、ミクは目を見張る。
『………この例に置いては、被験者はその姿を変えると引き換えに、人としての生も失うこととなった。代償として得たのは獣としての生、それはすなわち、人においては永遠にも近き生であった。被験者は一五〇年程で発狂、崖から身を投げた。以後は行方不明である。――七世代も前に行われた術式の因果を、ここに記す』
 唇が震えた。零れたのは苦悶ではなく、笑いだった。
 ほんの少しだけ肩を震わせて、小さな小さな声でミクは笑った。

「――「ば」が取れるだけなのね」

 それでも、今よりはずっとましだろう。



(耳の奥に反響する言葉を振り払えるから)
2010/09/18

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
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The Beast. 1. お伽噺を求めて

スペクタクルPのオリジナル曲「The Beast.」の二次創作。
曲を聞いてすぐに書き始め、オフィシャル設定公開前に書いてしまったため、設定がかなり違います。
原曲には沿わせていますが、それでも嫌な方は読まないことをお勧めします。

閲覧数:217

投稿日:2010/11/24 22:07:39

文字数:3,297文字

カテゴリ:小説

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