「お前の命を今日から一週間オレに預けろ。どうせ無駄にする命なら、構わないだろ?」
「…」
あの時の私は確かにどうかしていたのだけれど、あの時の彼ほどじゃなかった気がする。
学校という縛りを打破するには、もうこうするしかないんだって。
学校という世界が私の全てだったから、きっと仕方なかったんだ。
「おい、ほら見てみろよ?」
皆の住む世界はこんなにも広くて大きいのに、私の住む世界はいつも一人ぼっちだ。
「え、あれ、人?しかも女の子じゃない、あれ?」
家にいても学校にいても、そしてきっとその先も。私がずっと一人ぼっちでいる確率は、私が思っている以上にきっと高確率なんだ。
「おい誰か警察に電話しろよ!」
だって、家族なんて、誰一人いないんだもの。
「…なあ」
ここは学校の屋上。
風の強い昼下がりの午後に、私は生きる事を辞めようとしていた。
「そんな所から飛び降りて、世間体様にちやほやされたいって手口の、今流行りの自殺ってやつでもするつもりか?」
「…」
私はそっと振り向くと、茶色い短髪の男がそう強く言い放った。
「あのさ、自殺するんなら、誰にも気づかれない所でひっそりと死んでくんねえかな?そんな目立つ所でわざわざ失態を晒さなくてもいいんじゃない?」
「誰よ、アンタ。見ず知らずの大人から、そんな事まで言われたくないわ」
私は追い風を受けながら落下地点を確認すると、静かに瞳を閉じて深呼吸をした。
「見ず知らずだから、ここまで適当な事が言えるんだよ。てかさ、お前がどんな理由で死にたいかなんて興味ないけどな、死ぬ勇気があるなら、生きる勇気なんてこれっぽっちだ」
彼はそう言うと、私にナイフを渡そうと乱暴に投げ捨てた。
「そんな所から落ちられてもな、困るのはお前の後処理なんだよ。お前の醜い体内が飛び散られても面倒なだけだから、いっそこれでグサっとやれよ」
私は動揺したのか少し躊躇してから、一歩下がって再び深呼吸した。
「アンタさ、どうでもいいけど私に何させたいわけ?死んでほしいんなら放っといてくれない?」
彼は落ちたナイフを再び手にすると、私の前まで来てそれを差し出した。
「分からないやつだな、お前。一度説明したんだから少しは理解しろよ。ほら、死にたいんだろ?これで死ねよ」
私がそれを受け取ると、彼は笑って続けた。
「お前さ、死ぬ前に一つ良い事教えといてやるよ。自殺した後の話、聞いた事ないだろうから丁寧に説明しといてやる」
私が自分の手に震えている事実に気付くと、彼はさらに続けた。
「この世界に生きる全ての生物の中で、自殺しようって馬鹿な事を思い立つのは人間だけだ、それは何となく分かるだろ?心という愚かなものをぶら下げているからな」
「…」
私は呆れながらも、震える手を堪えていた。
「せっかくの命を粗末にする自殺という行為はな、死んだ後も尚、地獄に行かされてはもう二度と人間として生まれ変われないんだ。もう一度生まれ変わってやり直そうとリセットの意味で自殺しようってやつは、もしかしたら少なくないのかもな」
「死んだ事もないくせに、アンタ全然説得力ないよ」
彼はそれでも動じる事なく、話を続けた。
「オレはお前と違って、一度死んだ後に生まれ変わったんだ。寿命で成仏した後に、訳あってこうしてまた人間やってるって言ってもどうせ信じないだろうから詳しくは言わないが、自殺したやつらばかりが空の向こうで悲痛のあまり嘆いてるんだ。あの時馬鹿な事しなきゃ良かったなんて、今になってほざいてるんだ。まあ結局、馬鹿は馬鹿って事だな」
彼は私のそれを瞬時に奪うと、私の首元にナイフの先を押し付けた。
「いつまでも震えてるんなら、オレが手伝ってやるよ」
私はナイフを握る彼の手を掴むと、彼はすぐさまその手を振り払った。
「まだ分からないのか、お前。生きる勇気がこれっぽっちだって事、いい加減理解しろよ!」
その衝動につられて身体ごと地面に叩きつけられると、落ちたナイフを見つめてはめくり上がるスカートを直すのに必死だった。
「お前の身勝手な意志などに関係なく、無意識に生きようとしてる事実に目を向けた事ないのか?」
生きようとしてる事実。そんなもの、一度として考えた事なかった。
「お前の身体、呼吸してるだろ?身体は無意識にでも生きようとさせてくれてんのに、お前の馬鹿な心だけが死にたいなんてほざいてんだもんな。無駄な指示を脳に送ってまでして自身を傷つけたいなんて、そんな馬鹿な心なら捨ててしまえばいいんだ」
「馬鹿じゃないわ!馬鹿はアンタでしょ?こんなものまで差し出してきて、死ねばいいなんて頭おかしいんじゃない?」
彼は落ちたナイフをまた手にすると、今度は私の目の前にその先を向けながら言った。
「無意識に生きようとするその身体の一つ一つを、オレが切り落としてやるよ。どうせ命を粗末にするんだから構わないよな?」
「…アンタ、嫌い。完全に頭いかれてるんじゃない?」
「それでも拒もうとするのか?自殺を美化しようとして何が愉しいんだ?どうせ死ぬんだから痛みを感じて死ねよ。その馬鹿な心に分からせてやんないとな」
他殺も自殺も、死にたい気持ちに便乗するものなら自殺と一緒なのだと、彼はまとめた。
「スカートが肌けるのがそんなに恥ずかしいくせに、自殺した後の醜態は気にならないなんてな、お前の方が頭おかしいだろ?いいか、よく聞けよ。お前のそのお粗末な命を今日からオレに預けろ。しかも三日間だ、三日後にそれでも死にたければここで自殺すればいい。分かったな?」
「は?馬鹿はやっぱりアンタじゃない。何で私の命をアンタなんかに預けなきゃなんないのよ。だったら、このまま死んだ方がましよ」
彼は私の両手を強く握ると、ポケットから取り出してきた手錠をかけた。
「勝手にしろ。両手が塞がれた状態で哀れに醜くく飛び降りようが、落ちたナイフをどうにかして傷つけようが好きにすればいい。ただ、その両手じゃあ、この屋上から出る事は難しいだろうけどな。明日になってお前がまだ生きてたら、オレがその醜い命を預かってやるよ」
「何してんの、これ!馬鹿じゃない?早く外しなさいよ!」
「じゃあな、心も身体も醜い女子高生さん。言っとくけど、ここには誰も来ないから安心しろよ」
彼は振り返った後に手を上げると、そのまま屋上を去っていった。
「…無意識にでも、生きようとしていた事実があったなんて事、ちっとも気付かなかったな…」
そうして、誰にも気付かれないこの空間に、相変わらずの一人ぼっちの時間がいつものように流れていた。
明くる日。ふと気が付けば、私は眠ってしまっていた。
それは永眠という形ではなく、それもまたいつものように。
「…思った通りだったな、いい加減起きたらどうなんだ?永眠を望んでたはずの昨日の気持ちは何処行ったんだよ、馬鹿馬鹿しい」
横たわっていた私の隣で朝日がまだ昇る前というのに、彼は私が思ってた以上に早く姿を現した。
「まあどうだっていいや。何にせよ、生きてたって事はオレに命を預けてもいいって事だからな。今からオレの言う事を聞いてもらうぞ」
私は首を振って拒みながらも、死ねなかった事実を認めざる他なかった。
「まず一つ。オレがお前の命を預かったからには、勝手な行動は一切赦さないからな。どうしても死にたいのなら、オレを殺してから死ね。だったら許す」
彼はポケットから手錠の鍵を差し出すと、さらに続けた。
「そしてもう一つ。三日間中は手錠生活を続けてもらう。だからこれはオレが預かっている以上、オレを殺して奪うとかは好きにして構わない」
昨日から手錠されて以降、自由を奪われる事に不慣れなせいか何故か涙が度々溢れてくるのだった。
「最後に一つ。オレの事はすでに嫌いだろうが、さらにオレを嫌うんだ。殺したければ好きにすればいいと言ったように、オレはお前から嫌われるように攻撃を止めないから覚悟しとけよ」
彼から強要されたその三つの罰を受け入れたくない気持ちを見せつつ、涙ながらに反発し続けた。
しかし彼は私の側から一向に離れようとしないどころか、持久戦を愉しむかのように静かに流れる二人の時間を、ただやり過ごしていた。
「…こんな馬鹿馬鹿しい事を三日も続けて、何の意味があるっていうの?」
「うるさい。だったら死ねばいいだろ?昨日みたいに今すぐ飛び降りろよ」
私は正直、心に何かしら変化が起きてる事は承知だった。ただそれがどういう現象なのかよく分からないまま、死にたいという気持ちは薄れていたようにも感じていた。
「アンタみたいな適当な大人が、一番嫌いなのよ。社会からはみ出して天真爛漫に飄々と生きてるやつは、皆死んでしまえばいいのに」
金銭的な理由で両親が離婚してからというもの、私にとって愛もお金も価値のない代物でしかなかった。
「そう酷く憎んで仕方ないのなら、オレを殺せよ。でもそんな勇気があるんなら、自殺なんてこれっぽっちだけどな」
彼はまた笑いながら、私の隣で横たわっていた。
そして、その日は終わって。また明くる日が訪れた。
「…アンタさ、ここに私を閉じ込めてどうしようっていうの?どうやら学校側もアンタに協力してるみたいだけどさ」
「学校側が協力してるはずないだろ。お前みたいな面倒くさい生徒なんか早く追い出したいだろうからな。オレの立場になってみろよ、可哀想なのはオレの方って事に少しは気付いてくれよな」
彼からの悪口は、それでも尚続いた。
「もうアンタの事さ、十分に嫌いなんだけど、どっか行ってくんないかな?」
「だから何度も言ってんだろ、お前が死ねよ。でなきゃオレを殺せよ」
次第に、そんな言い争いがなくなりかけた明くる日。
私は時間潰しにと、思い出話に花を咲かせていた。
「…パパもママも、死んでしまえばいいのに」
そうして、三日目が経った頃。
私は嫌いだった彼に、いつしか身の上話を持ちかけてしまっていた。
「…なあ。それはそうと、またスカートめくれてんぞ」
「ば、馬鹿じゃない!何処見てんのよ、アンタ!」
「ふん。時間だ、女子高生さん。今日を以て手錠とおさらばだな」
彼はそう言いながら、取り出した鍵で手錠を外すと、屋上から出る扉の施錠も解除した。
「さあ、終わりだ。お前の命は今日からはお前のものなんだ。死ぬも生きるも、好きにしろ」
私は彼と続けてきたこの戒めの時間を、何故か名残惜しく感じていた。
「じゃあな、女子高生さん。三日間という僅かな時間だったけど、有意義だったよ」
「…アンタは、これからどうすんの?」
彼は私のその言葉に振り返る事なく、またあの日のように手を上げて言った。
「お前みたいなやつの所に、また向かうだけさ」
「え…」
私が彼の思惑の全貌に何となく気付いた時には、もうそこに彼の姿はなかった。
そして、彼のこれまでの行動の全てが意図的であり計画的であった事から、私は思いがけないくらいの込み上げる感情に、ただ茫然自失になるばかりだった。
「篤志さん、またお手柄でしたね。次のマルタイは…」
「おいおい、少しは休ませてくれよ…」
最近の警察機関のさらに奥の方には、自殺更生課という隠された部署の密かな活動が行われているのだと稀に耳にする。
しかしその実態は未だに不明である事は勿論の事、自殺願望者が年々後を絶たないのも、これまた揺るがない事実で。
「…誰よ、アンタ」
見ず知らずの彼が登場する度に。
彼の思惑は、止まりを知らない。
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