ある日A子は、瓦葺きの屋根の上に座りながら小さなメモ帳に目を通していた。
それは現在彼女が居候している鼓家の長女、リズムから渡された物であった。
「後は私に任せる、か…。とんだ食わせものですね、あの人。」
片手で手帳を閉じると、A子は細やかな声で意味深にそう呟く。
すると突然一階の玄関扉がガチャっと開き、
家の中から長身の女の子が飛び出してきた。
さらにその場で息を吸い込み、肺へ酸素を溜め込むと、
我慢出来なくなった感情と共に腹に力を込めて一気に吐き出す。
「おねぇちゃんの…アホーーーッ!!」
大声、というほどでもない中くらいの声量で叫ぶ彼女は
鼓家の次女、鼓カノンその人だった。
「どうしたんですか、カノンさん?」
屋根の上からA子は彼女に話しかける。
「うわぁ!?A子ちゃん、なんでそんなところに?」
背後を振り返ったカノンがそう言って屋根を見上げると、
天高く澄みわたる空の元、広げられている数枚の布団が目に入る。
「今日はいい天気なのでお布団でも干そうかと思いまして。」
それからA子は家の中へ戻ると、ダイニングでお茶を飲みながらカノンの話を聞く事になった。
「でね、おねぇちゃんたら今までの実験データは全部いらないって言い出すの!」
珍しく怒りの様相で声を荒げるカノンと、その言葉に静かに耳を傾け相槌を打つA子。
「つまり新しいアイデアが閃いたんで、研究を一旦白紙に戻したい…という訳ですか。」
彼女はそのグチグチとした冗長な言い分を要約して簡潔に述べる。
「もう研究室の教授にも許可は貰ったって、私に一言の相談も無しに…。」
そうして肩をすぼめたカノンは泣きそうになっている己の情けない顔を隠すかのように頭を垂れた。
「リズムさんにも、何か考えがあるんじゃないでしょうか?」
A子はそう言いながら傷付いた彼女を慰めるような言葉を探す。
「それは分かってます。でも、出来ればちゃんと先に説明しておいて欲しくて。どうせ…私なんかじゃ言われても分からないかもしれないけど。だけど…」
それから少しばかりの間、A子は喋り出したカノンの卑屈な愚痴に坦々と付き合わされる羽目になるのだった。

次の日、A子はいつものように大学へ行ったカノンの帰りを待ちつつ、
鼓家の家事の手伝いをしながら、空いた時間に㊙手帳を読むなどして過ごしていた。
午前中に洗った衣服やタオルを物干し竿に吊るし、お昼を回って乾いた洗濯物を家の中へ取り込んだ後にそれぞれを畳んで片付ける…。
しかし普段ならその作業が終わる頃に帰って来る彼女が、今日は一向に姿を現さない。
「ガガ、ガガガ?」
「お姉さんの所にでも寄ってるのでしょうかね?」
トコトコ歩いて来たロボタの声に気付くと、A子は独り言のように呟いた。
一方その頃、カノンは電車に揺られながら、フラリと遠くの町を訪ねようとしていた。
本来降りるべき駅はとうに過ぎ去り、ボーッっとしながら座席に座ったままの彼女は、窓に映る黄昏時の風景を儚げな横顔で眺めている。
そんなカノンが降りたのは、高校の時に部活の仲間達と共に海水浴へ行く途中で立ち寄った覚えのある駅だった。
着慣れない流行りの水着を身に着け、ウッカリみんなからはぐれて一人で浜辺を歩いていた時に、妙な男に声を掛けられ危うく連れて行かれそうになって先輩のマキとカナに助けて貰った…。
そんな思い出が私の脳裏に浮かび上がる。
今にして思えば、あれが所謂ナンパというものだったのだろうか?
そういった回想を思考に挟みつつ、彼女は乗り越し精算機の前でしばし立ち往生していた。

カノンが我が家に辿り着いた時、もう既に太陽は沈んで辺りはとっぷりと暗くなっていた。
「お帰りなさい。」
「ニョ?今日は遅かったニョ。」
玄関で待っていたA子と妹のメロディが彼女を出迎える。
「た…ただいま。」
他に母親の萌丹は奥の居間にいたが、
カノンもいい歳をした大人なのだからと特に心配はしていないようだった。
「私…アルバイトでもしようかな。」
それから夕食を終え、お風呂から上がったカノンはそれとなく自分の気持ちを声に漏らす。
「ガガ?」
傍にいたロボタがそんな私に返事をしてくれた。
「うん。旅行に行くのも、お金が無いとどうしようもないからね。」
困った顔でカノンは彼に話し掛ける。
「…タダで海外へ行く方法がないこともないですよ?」
そんな囁き声にギョっとして周囲を見回すと。
いつからそこにいたのだろう、壁に背中をもたれ掛けながら腕を組んでポーズを取るA子の姿があった。
「えっ…。それって、危なくない方法?」
私は頬から冷や汗を垂らしながら慎重に聞き返す。
そんなカノンに対し、A子は無言で不敵な笑みを浮かべていた。

「私が調べた感じだと、あの虚空の穴はワープ・ポータルとして機能させられる程度には安定しているみたいなんです。」
そう説明しながらA子はカノンの部屋へ赴くと、その勉強机の引き出しに発生した暗黒を彼女に見せる。
彼女が我が家に下宿している理由…、それがこの不可思議な異空間だった。
「一度私が実演して見せましょう、とうっ!」
言うが速いかA子はその身を軽やかに翻すと、穴の中へ飛び込んで行く。
「ええっ!?」
ビビりの私は彼女のその大体な行動に唖然としながら体を強張らせた。
数分ほど時間が経っただろうか?カノンがその場でオロオロしていると扉を通って引き出しの中からA子が帰って来た。
「よっと。さぁ、カノンさんも試しに入ってみて下さい!」
彼女は笑顔で少し青ざめている私にそう促す。
「えっと…、一体何処に繋がってたの?」
決心が着かないカノンは時間稼ぎを兼ねてそう質問した。
「それは行ってからのお楽しみ、自然の多い所ですよ?」
A子は空気を読めと言わんばかりにウインクをかますと、私の身体をヒョイと持ち上げ無理矢理引き出しにほおり込もうとする。
「ちょ…ちょーっと待って!まだ心の準備が!?」
そう叫んでカノンは引き出しの縁を掴んで抵抗した。
「往生際が悪い方ですねっ!一度通っちゃえばなんて事は無いですよ。」
A子は力ずくで入り口につっかえている彼女を押し込める。
「嫌!止めて!!ダメ!痛い!痛い痛い、痛いってば!!」
そんな風にわちゃわちゃと騒いでいたカノンだったが、とうとう根負けして身体を支えている両手を離してしまう。
「いやあぁぁぁーーーーっ!!!」
長いサイドテールを靡かせて落ちてゆく乙女の悲しき叫びは、無慈悲にも暗闇の深淵へと飲み込まれていった…。
そして息つく間も無くゲートを抜けると、重力に従って落下した私は地面にドスンと尻餅をつく。
「あいたたた。」
自らのお尻をさすりながらも彼女は涙目で辺りの景色を見渡した。
雄大な自然の中で轟々と流れ落ちる大きな滝や、地上と天空を隔絶するかの如くテーブルのように平らな山々…。
カノンの立っているその場所は「ギアナ高地」と呼ばれる南アメリカ大陸の僻地だった。
つづく

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

#4:失われし世界と修身旅行

jamバンドメンバーの一人、鼓カノンを主役にした二次創作小説です。
(※オリキャラ、オリ設定注意。)

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投稿日:2025/05/16 20:35:00

文字数:2,864文字

カテゴリ:小説

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