「帰ってきたら、誰よりもいい思いをさせてあげるからね」
彼はそう言った。先に支給された軍靴を履いて、軍服の飾り紐を見せて、町にあるもっと綺麗な櫛のことを話した。
「心配しないで。たった三年さ。カフカースの男には、奴ら支払いがいいんだ。みんな上背があるし、馬にも乗れる。地中海の男たちは利に聡いけど、小柄で隊列にしても冴えないんだってさ。女の子の小柄は、かわいいけどね」
ここで彼は舌を噛んだ。
「っと……。僕がかわいいと思うのは、君だけだよ」
私はそういうことを言って欲しくて黙っていたのではない。
「そんなに不安そうな顔をしないで。僕らの畑をよろしくね。必ず帰ってくるよ」
私たちは不安だったのだ。
自らも養えない程の痩せた畑。互いの持てるものだけでは、いつか心が離れてしまうのではないかと思っていた。よそ見のできない程のものを持てば、不安はなくなるのだと。
私も彼も、迷いを知らぬ程若くなく、迷わない程にはものを知らなかった。
それで私は彼を行かせてしまった。一年経たずに戦死の知らせが来た。それが夏の終わり。
夜半にふと目が覚める。彼の声が聞こえる。
「君たちはこんなに甘い匂いがしたっけ……?」
寝台の中でひとりの筈。それなのに、愛しい息づかいが聞こえる。
姿はないが、影だけが、月光の土壁を彷徨っている。
「ねえ、愛しい人。この世がこんなに眩しくて、いい匂いに満ちていたなんて。二度目に目覚めるまで知らずにいたなんて、僕らは何と愚かだったんだろう」
私だってとりをさばく。魚もさばく。彼が繰り返し立てる音が、何の音か私は勘づいてしまう。
「ああ、それにしても空腹だ。いくら食っても足りない。君に辿りつくまで、飢えないようにちゃんと食い続けなければ」
掛布を頭まで被り、耳を塞ぐ。彼の声は掌の中で囁く。
「必ず帰ると約束したろう?」
ひとり怯えて私は思う。確かに私は、愛の胸で眠りたい。
あの時、未来への不安に怯えて、あなたを信じられなかった私だ。
それをなお求めてくれるなら、贖われるべきは私だ。二人で、オリーヴを結ぶ土に還ればいい。
それなのに……彼は違うものを費やしながら、軍靴の道を遡る。私の過ちが償われるために……何が、どれ程贖われなければならないのだろう……
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