17、私の想いと彼の想い

「大友さん」
 蝉の大合唱の最中、後ろから声が聴こえる。声に反応してしまい、体がピクッと動いた。
「今いい?」
 そう声を掛けられたのは授業の十分休みだった。時計の長針は授業の始まりを告げる時間の十一に近づいていたころ、亮から声を掛けられる。

 思わずドキッとしてしまう。声を掛けられるたびにドキドキしていると身が持たないし、あたしの気持ちがばれてしまう。気持ちが現れないように、いつも通りにしておく。
「今?」
「うん。今」
「もうすぐ授業始まるけどー」
「え? ほんと? じゃあ、昼休みお願い」

 亮はそう言って私に手を合わせ自分の席に座る。その瞬間に木戸先生が入ってくる。亮はギリギリセーフだった。
 授業中、亮は大の苦手な英語に頭を抱えながら、必死に教科書の英文を和訳していた。小さい体に似合わないゴツゴツした黒いシャーペンが目に入る。そういえば、黒が好きって言っていたっけ?

 ここまで、亮を見ている自分が気持ち悪い。自分でも自覚はしている。こんなに亮に執着しているなんて、思ってもいなかった。いつの間にか亮を目で追っていた。
 気付いたら亮を見ていた。たぶんこういう行動とか感情が
「好き」
っていうのだろう。
                 *
 昼休み。亮に呼ばれていたので、いつもの場所―あたしの机に亮がトコトコとやって来た。中学三年生にもなって小さい身なりの男子は亮ぐらいなので、一瞬で見分けがついてしまう。
「また、円香の話?」
「うん。まぁ……」
「飽きないねぇ」
 私は皮肉った声で言って笑う。
「うるせいやぁ」

 亮はそう言って、私の前の席に腰を下ろして、体を向けた。
 二ヶ月前。夏休みに入る前から、亮とは仲良くしている。もともとは五十鈴が鹿野君のことを知りたいって言うから、とりあえず鹿野君のグループに近い松江亮に話を持ち込んでみた。すると、彼はとてもいいやつで。思ったよりもいいやつで。

いつの間にか亮に惹かれていた。もっと亮を知りたいと思った。もっと近くなりたいと思った。でも、想いは思っただけだった。亮には好きな人がいた。大杉円香だ。円香と私は仲がよかったから何で亮が円香のことを好きになるのかもわかった。
 でも、亮は私に円香のことを相談してきたのだ。
 悲しかった。最低限、気持ちは汲み取ってよ。って言いたかったけれど、自分が気持ちを隠しているのだからしょうがない。そんな気持ちで亮の悩みを聴いてあげている。
「今日はどうしたの?」
 大抵、悩みを聴くときは私の机で聴く。別に彼氏彼女扱いされても私は嬉しいからいいけど。

「俺って女々しいよね」
 亮は机に突っ伏して頬を膨らませた。
「うん。そうだね」
 そう言うと、亮は重いもので頭を殴られたようにベターと机に垂れた。
 別に、女々しいかどうかとか、私は気にしないけどな……。いかんいかん。これはダメな感情だ。
「ごめん嘘。嘘だよーーー」
 亮の悲しそうな顔を見てしまったので、前言を撤回する。すると、目をつぶったままの亮が机から顔を離す。
「嘘なの?」
「うん。嘘」
 私の返答を聴き、のっそりと体を起こして椅子にもたれかかる。本当は女女しいんだけど不機嫌な亮は見たくない。
「何で急にそんなこと聴くの?」
 その言葉を聴くと、亮の目の色が変わった。
「いや、鷲見から言われたんだよね」
 亮が苦い顔をする。
「また五十鈴?」
「うん。また」
 五十鈴は亮に対して風当たりが強い。なぜか知らないけどとても強い。それが彼女の性格でもあるけどね。

「五十鈴は慣れない人にはそんな態度とるからねぇ」
「まだ慣れてくれないの!?」
「たぶんね」
 亮の驚いた顔を見ると、クスリと笑いがでた。
「いいかげん、慣れていいよなー」
 亮は小さな頬を膨らませて脚をバタつかせた。その姿が妙に子供っぽくてまたクスっと笑ってしまう。
「あっ」
 亮が私の笑った顔をじっと見つめる。驚いて真顔になってしまった。
「笑ったね」
 亮はそう言ってニコッと太陽のように笑った。

 心の中の何かがコトリッと動く。そして胸が熱くなる。こんなことは何回かあった。量が予想もつかない行動をするとき、こんな気持ちになる。
 こんなときは、心の中に溜めている思いがあふれ出てくる。
「何で私なんかに相談するの?」
 気付くと、その一部が口に出ていた。ハッっとして、亮を見るとキョトンとしていて困っていた。
「ご、ごめん。今の取り消し」
 手をブンブンと横に振ると、私の顔が赤くなるのが判る。顔が熱い。やってしまった。引かれただろうか。
「女子の仲で一番仲いいから」
 亮が口を開いてそう言った。
 その瞬間、体温が一気に抜けていく感じがした。さっきの火照りもどこかに吹っ飛んでしまう。
女子の仲で一番仲がいい。
たぶん、他にもいるだろう。加治屋さんとか、五十鈴とか。もっと仲がいいはずなのに、何で私にそう言ったの? と聴きたかったけど、その場が怖くて。苦しくて。「ありがとう」と笑って答えていた。

 一番仲がいいのは私。でも絶対好きになってくれないのも私。
 世の中は残酷で、贔屓ばかりする。
 かわいい加治屋さんとか、円香とかはうまくいっているくせに、私は何もかもうまくいかない。そればかりか、幸せが遠のいていく感じ。努力はしている。幸せになる準備はできているはずなのに、なんで?
 こんなになるのは何でだろうな。どこからおかしくなったのだろうか。
                  *
 放課後。気持ちは落ちたままで下校の時間になった。部活も引退したから直帰だ。特に塾とかも通ってないから、脚は自然と家路をたどっていた。
「女子の仲で一番仲いいから」
 今日は何度かこの言葉が頭をよぎった。よぎるたびに胸が裂けるほど切なくなる。こんな悲しみは初めてだ。目に涙が溜まってくる。目の前の情景が涙で見えなくなる。私は涙を拭って、たどる脚を早めてとうとう走るペースへと変わった。息ができないほど苦しい。走りたくなかったけれど、脚が「走れ」と言っている。

 気付くと家についていた。バッグから家の鍵を取り出して、家を開ける。夫婦共働きなので、親が早く家に帰ってくることは少ない。とりあえず、靴を脱ぎ居間に行く。そして中央に置いてあるピンク色のソファーに体を投げ出す。そこでまたあの言葉がよぎる。辛い。もう、亮とは会いたくない。そんなことを思い浮かべていると涙が出てきた。しばらく目に涙を浮かべた後、弟の宗助を保育園へ迎えに行かなければならないことに気付いた。涙を拭い立ち上がる。さっきも言ったが、親が共働きなのでお母さんが帰ってくる八時までの家事は全て私がする。重い足取りで自分の部屋に向かい、白Tシャツを着て黒の短パンを履く。そして家を出て鍵を閉める。

 やっぱりいつも通りの私じゃない。

 保育園へ迎えに行く途中でため息を吐きながらそう思う。気を抜くと涙が出てきそうだ。涙を出さないように唇をぎゅっと結んで、歩いた。
                   *
「宗助ー迎えきたよー」
 いつものように、保育園の教室で声を上げて、宗助を呼ぶ。
「あ、愛理ねぇちゃん」
 宗助は名前を呼ぶとすぐ振り返る。そして、満面の笑みを浮かべてこっちにくる。
「元気してた? じゃあ、帰ろっか」
 宗助の小さい手を握り、引くと宗助は「行かない」と言った。
「へ? 何言ってるの?」
 こんなこと言う宗助は初めてだ。私はしゃがんで宗助と同じ目線になる。
「どうしたの?」

「あのね、ふうかちゃんとね、仲良くなったからね、もっと遊んでいい?」
 ふうかちゃん。初めて聴いた名前だ。ふと横の靴箱に目を向けると、そこには大善風香と書いてあった。すごく立派な苗字だなーと想いながら、
「いいよ。もうご飯は作ってあるから遊んでおいで」
と言った。
 宗助は「やたー」と少し片言の日本語を使い、積み木の場所に戻っていった。なぜか宗助の日本語は片言だ。日本人でありながら日本語が苦手なのだろうか。
「あ、大友さん」
 教室の奥から、宗助の担任の大広先生が出てきた。
「お世話になってます」
 深く頭を下げて、笑みを浮かべる。
「いえいえ。お母さん、まだ仕事なの?」
「はい。最近忙しいみたいで……」
 苦笑いを浮かべて、頭を下げる。
「でも、無理しちゃダメよ。大友さんも今からだからね」
 大広さんは、二十五歳で若いのに貫禄のある言葉をよく言ってくださる。将来は大広さんのような人になりたい。

「はい。ありがとうございます」
 私は深々と頭を下げる。すると、大広さんが声を上げた。
「あら、松江君」
 大広さんは私が逃げていた単語を口に出す。松江、まつえ、マツエ……。
 本能の力と言うべき力で振り向くと、やはりそこには私の知っている松江亮が居た。
 今一番会いたくない人……。別に会ってもいいのだけれど、心がひどく痛む。
「あっ、大友さん」亮は私の顔を見て、ひらひらと手をふった。「何してんの?」
「……弟の迎えだけど……」
「へぇ、弟いたんだ」
 少し話をしていると、亮の足元に女の子が駆け寄って来た。さっきの風香ちゃんだ。
「おぉ、風香」
 亮は風香ちゃんの頭をワシャワシャとかき回す。
「大善さんって、亮の妹?」
 妹? いや、苗字が違うから妹ではないか……。
「ううん。違うよ。姪」
「は?」

 突飛な答えが返ってきたので、思わず聞き返してしまう。
「俺の姪っ子。姉ちゃんの子供だよ」
 こんな顔して亮は叔父さん……。顔だけ見れば中学一年生の亮に姪っ子……。
「らしくないわね」
 思わず吹き出してしまった。
「よく言われるよ」
 亮もケラケラ笑っている。
亮の眩しい笑顔を見ると、さっきまでの抵抗力がバカみたいに思えてきた。
「ねぇ、風香ちゃん帰っちゃうの?」
 宗助が私の服の裾をグイッと引っ張る。
「うん。帰っちゃうね」
「風香、まだ宗助君といたい」
 風香ちゃんも亮のズボンをグイッと引っ張っている。
「あぁ……。どうしようか」
 困ったように笑う亮を見て、少し案を練る。
 ふと頭に浮かんだことを口に出してしまった。
「私んち寄って行く?」
                     *
 思ったことをすぐ言う癖は止めたかった。でも、今日ばかりはその癖に礼を言う羽目になる。
 亮が、私の家に来たのだ。

「はい、上がって」
「おじゃましまぁーす」
 風香ちゃんの無邪気な声がシンと静まっている家の中で響く。
「おじゃまします」
 亮が恐る恐る家へ上がったのを確認すると、私は居間へ案内する。
 いつの間にか宗助と風香ちゃんはおもちゃで遊んでいた。
「元気ねぇ。子供は」
 ため息混じりに亮に言うと、緊張した顔で頷いた。
「何? 緊張してるの?」
 私がそう言うと、亮が顔を赤くして言う。
「そ、そりゃそうだよ。女の子の家なんてめったに入らないんだし……」
「何なら、部屋に入る?」
「いや、やめときます」
 亮はそう言って、ソファーに座る。

「お茶でも用意するよ」
「うん。ありがとう」
 亮がそう言うと、何かの音が鳴る。亮はその音に反応してポケットから青色の携帯電話を取りだす。
「もしもし」
 電話のようだ。口調からして、身内か仲のいい人だろう。
「あーうん。わかった。適当に食べときます。あい。あい。あーい」
 ア行の連続使用だけの会話で、亮の通話が終わった。
「なんだったの?」
 携帯電話をパタンと閉じて、亮は困ったように後頭部をポリポリとかく。
「参ったなぁ。今日、お父さんもお母さんもいないんだけどさぁ。姉ちゃんまで仕事で家を留守にするんだとさ。正敏さん、あぁ、姉ちゃんの夫ね。正敏さんもいないしさぁ。風香にご飯食べさせてだって。どこで夕飯食べようかな……」
 うろたえている亮を見て、私はまた思ったことを言う。
「うちで食べて行ったら?」
                 *
「うまい」
 亮は夕飯のハンバーグを箸で掴み、口に頬張り幸せそうな笑顔を見せた。私はそんな幸せそうな笑顔を見るだけで幸せだ。
「風香、美味しいな!」
「うん。おいしい!」
「そっか。ありがとう」

 風香ちゃんに笑ってみせて、目線を宗助に向ける。宗助は極度のにんじん嫌いなのでで、今日は細かくにんじんを切って入れてみたのだ。食べてくれるはずだ。
 宗助の皿を見ると、見事にハンバーグを食べ終えていた。
「宗助、食べたの?」
「うん。にんじん入ってなかったから食べれたよ」
 無邪気な宗助はニコッと太陽のように笑った。
「あれ? 宗助君にんじん嫌いなの?」
「うん。にんじん嫌い」
「風香にんじん好きだよ」
 こんな賑やかな食卓は久しぶりだ。最近は宗助と二人という状況が多かったから、そう感じるのだろうか。いあ、本当に賑やかなのか。それとも、亮と夕食を食べるのが楽しいのか。

「大友さんって、料理うまいんだね。うらやましい」
 亮はしみじみそう言いながら、ハンバーグを頬張る。
「うまくないよ。レパートリー少ないし」
「でも、俺もこのぐらい作れたら普段楽だろうなぁと思ってさ」
「普段、作ってるの?」
 私がそう言うと、亮は「いいや」と言って、語りだした。
「うちは共働きだからさ、家に誰もいないことが多いんだ。姉ちゃんも週に二、三回来れたら多いかなーって位なんだ。親がいないときは大抵朝早くからいないから、夕ご飯作れないわけ。だから、家で一人、カップラーメンすすってんだよね。んで、そんな生活が最近続いてたから、久しぶりに食べた物が温かいもので、美味しかったから、作れたらいいなぁって。親がいない日は毎日来たいくらいだよ」

 亮は一気にそう話した。
「亮んちも共働きなんだね。うちもなんだぁ」
 ご飯を一口食べて亮に言った。
「いない日はいつも来なよ。待ってるからさ」
 今日は思ったことを言うのがいいらしいから、言ってみた。言ってみたは
いいものの、恥ずかしくて亮の目を見られなくなった。
「い、いいの……?」
 亮がキョトンとした声で言う。私は俯いたまま頷いた。
「そっか。ありがとう」
 亮は笑ったような声でそう言った。
「そ、その代わり、買い物とか宗助の世話とかしてもらうからね!」
「うん、構わないよ」
 俯いたままの私は、顔が真っ赤になるほど、その言葉が嬉しかった。
 これから、楽しい日々が続きそうです。

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17、私の想いと彼の想い

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投稿日:2014/07/25 15:44:19

文字数:5,962文字

カテゴリ:小説

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