その女の子を初めて見た男の子は、僕だった。
その女の子は病院の狭いベッドの中で、生きることを忘れたように眠っていた。
そして僕はその瞬間に思ったんだ。
この子を守らなくちゃ、って。
「リン」
教室が喧騒に包まれているなか、僕は友達と数人で話している女の子に声をかけた。
「………なに?レン」
友達との会話を中断されたリンはいかにも機嫌悪げに答える。
「君さっきの授業で僕の教科書枕にして寝てたろ」
前の休み時間に急に教科書を数冊僕から借りていったリンは、何とその教科書にタオルを数枚巻き、堂々と枕にして寝ていた。
「うるさいなぁ、それが何?」
いくら何でもその態度は酷い。
「ああいうことするなら自分の教科書使いなよ」
「だって、学校に教科書持ってきてないんだもん」
「君は学校に何しに来てるんだよ……」
「友達と話すため」
ですよね。
「リン、帰ったら少し真剣に話をしよう。いいね?」
「めんどくさい」
「い・い・ね?」
「はあ?もう、何よ。ウザッ」
そう毒づいてリンはそっぽを向いた。
すると、今まで黙っていたリンの友達が、苦笑いを浮かべながら僕に話し掛けてきた。
「レンくんも大変だねえ。この傍若無人なお姫さまが双子の妹っていうんだから」
「本当だよ。君からも何か言ってやってくれ」
「ごめんねぇ、私は一応リンの味方だから………」
その女の子は申し訳なさそうにそう言うと、視線を反対側に座っている女の子にやった。
「メイコちゃんは、どっちの味方?」
女の子にそう呼ばれた反対側の女の子ーーーメイコさんは、不遜な表情で僕とリンを眺めると、言った。
「私は、どっちの味方もしねぇ。私は私の味方だ」
いち早くその言葉の意味を理解した僕の行動は迅速だった。
「今度カイトを紹介するよ」
ずっと、メイコさんにカイトを紹介してくれと頼まれてたのだ。
「よし」とメイコさんは大きく頷いて
「これで私は、レンの味方だ」
「ちょっとお!」
リンが抗議の声を上げようとするがもう遅い。
「悪いな、リン。『あの秘密』をバラされたくなかったら今日は素直にレンの言うことに従ってくれ」
大して申し訳なくなさそうにメイコさんが言う。
「うぅ~………」
リンは未だにうなっているが、聞く耳は持ってはいけない。
「じゃあ、そういうことだから。リン」
そう言い残して、僕はその場を離れた。
頭の中で、今日の説教の構成を練りながら。
「入るよ、リン」
風呂や食事、そして最低限の明日の予習を済ませて僕はリンの部屋に赴いた。時刻は既に午後十一時を回っている。
「………勝手に入ってくんな」
目線だけ携帯から僕の方に移して、リンは言った。
「悪かったね」
大して悪びれずに僕は言う。
「ふん」とリンは鼻を鳴らせて、携帯を閉じた。
「で、何の話よ?」
挑発するようにリンは僕を軽く睨み付けた。
「リンは、将来どうしたいの?」
「はあ?」
「何か、したいこととかないのかい?」
「そうきたか」、とリンは軽く呟いて
「ない」
と、力強く言い切った。「どうせ死ぬし」と小さく呟くのが聞こえる。
その小さな呟きを無視して僕は訊ねる。
「だったら………好きな人はいる?」
「はぁっ?」
この質問は想定外だったのだろう。リンはすっとんきょうな声を上げた。
「自分が恋をしている人。自分が心底愛おしいと思える人は、いるかい?」
「そ、それはいるけど………」
戸惑ったようにリンは答える。
「だったら、なおさら今この時期には勉強もしなければ」
「何の関係があるのよ」
リンは自分のペースを少し見失いながら言う。大きな瞳が僕のことを睨み付けているが、先ほどよりも確かにその眼力は弱まっている。
「その彼が行きたい高校は、どこだい?」
「………」
僕の言わんとしていることが伝わったらしく、リンはかなりむすっとした表情で黙り込んだ。
「今の君の成績で、果たして同じ高校に行けるのかい?」
不純な動機だし、こんなやり方でリンに火を付けるのは不本意だが仕方がない。
最近のリンの学校での態度などは目に余るものがある。
成績は平気な顔をして最下位を取ってくるし、授業は席に座っているだけマシで普段は保健室のベッドで昼寝をしている。リンの身体が弱いのは本当なので、先生方も強くは注意できない。そして授業に出ても眠っているだけだし、何しに学校に来ているのか本当に分からない。
「ウザイなあ」
リンは険しい顔でそう毒づいてくるが、今日は折れるわけにはいかない。
「あのね、リン。今はまだ中学二年生の秋だ。リンがここから本気で頑張れば、絶対にこの辺の高校ならどこにだって入れる」
なんせ僕達が住んでいる町はどが付くほどの田舎町。どこの高校だって定員割れしているし、試験もかなり甘い。まあもっとも、それでも今のリンの調子でいけば行ける高校は一つもないだろうが。
「そんなわけないじゃん………」
リンは不貞腐れたようにぼやく。
「そんなわけないって、何。その彼はそんなに頭いいの?でも、この辺の高校に今からリンが本気で頑張って入れないところなんて………」
リンは頭脳の能力値は多分この中学で一番高い。その証拠にこの中学に入った一番最初のテストでは全教科満点という冗談みたいな偉業を平気で達成していた。あの時はあんなに嬉しそうに笑ってたのに………。
何故かその後、人が変わったように全く勉強しなくなり、今に至っている。
「違うの!だって………」
だってって、何だよ。と聞こうと思い、リンの瞳を覗き込むと、リンも少しだけ目を上げて僕の方を見ていて、僕達の瞳はかち合った。
その時のリンの瞳の色は、僕が思っていたような反抗的な色ではなく、何故か泣きそうに揺れている、見ているこちらの心まで揺さ振られる切なく淡い色だった。
「だってって………何」
口を開いて出た僕の言葉は、どことなく力のないものになってしまっていた。
「………何でもない。………もう、出てって」
「でも」
「出てって!」
リンが強くそう叫んだので僕は反射的に立ち上がり、部屋を出てしまった。
………………失敗した。
あんな風に、悲しそうな瞳をさせるつもりは、なかったのに。
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