南田は初老グループのテーブルが終わると隣の中年グループのテーブルに移動していた。
「電線、電信、信号関係の見積もりは明日になると思いますが、全品日本製でよろしかったんですよね」
と言う南田の念を押すような問いかけに、電化エンジニア主任の松山が答えた。
「ええ、この国は高温多湿だから、日本製でなければ信頼性に欠けます」
「でも、値段の高いのが玉にきず」
と信号エンジニアの畠山が間髪を入れずに補足した。松山は欧米の漫画に登場する日本人そっくりで、七三に分けた髪の下の度の強い眼鏡の、そのまた下の前歯がすこし出ていた。畠山は顔の面積が松山の二倍ぐらいあり、こんもりとしたリーゼントともみ上げの下に張り出したえらが、その頭をさらに大きく見せていた。電化エンジニアの川野は一重瞼の細長い顔をした男で、唖かと思うほど無口だった。必要なこと以外はまったくしゃべらなかった。その男が冗談めいたことを話したので土岐の印象に残った。
「南田さんの会社は高額であればあるほど口銭収入が多くなるんでしょ」
予想もしていなかった人間から声が掛かったので、南田は一瞬怯んだように見えた。
「まあ、それはそうですが、・・・高額であればあるほど輸送や梱包に手間隙かかるんで、金額が二倍になれば、口銭が二倍になるという単純なものでもないんですよ。マーケット・シェアの高い高性能の商品の場合、メーカーが強気で、利幅が少ないというのも珍しくないし・・・」
四角い顔の畠山が話す前から笑い出して、
「でもね、あんまり、ふっかけて見積もると、コスト高でプロジェクトそのものが、フィージブルでない、なんてことになりかねない。そうしたら、全部おじゃんでしょ」
と甲高い声で南田をからかうようにして言う。
「いえ、大丈夫です。一等書記官の白石さんの話では、外務大臣の訪問スケジュールがもう決まっていて、大臣の手土産で、このプロジェクトがODAの対象となることが、交換公文で謳われるそうですよ」
「いつものばらまき外交ですね」
と川野が表情を変えず寸鉄で人を刺すようにして言うと、
「ばらまき外交さまさまです」
と松山がおどけたように川野のその言葉を受けて揶揄すると、そのテーブルのメンバー全員が押し殺すように静かに笑った。そうやってメンバー各々が報告書を英文で作成するストレスをささやかに解消しているようにも見えた。
「それじゃ、またあした」
と南田は王谷の方に目礼して、サンダルをペタつかせて、作業所をあわただしく出て行った。胡散臭い奴というのが南田についての土岐の印象だった。
昼食はチャイニーズとフレンチの二手に分かれた。初老組はフレンチ・レストランへ、残りのメンバーはきのうと同じチャイニーズ・レストランに向かった。初老組は王谷がタクシーの助手席に座り、あとの吉川、山田、高橋の三人が後部座席に納まった。後部座席は窮屈そうだったが、三人とも小柄なので、すんなり一台のタクシーに乗り込めた。中華レストラン組は一台に中年組の浜田、畠山、川野が乗り、もう一台に土岐と丸山と松山が乗り込んだ。丸山が助手席を取ったので、土岐と松山が後部座席になった。至近距離で松山と接するのは初めてだった。頭髪には白髪は見られなかったが、鬢は別物のように真っ白だった。
「みなさん、ACIの関係者なんですか?」
と土岐は、話しかけてくるようすがなかったので、とりあえず、そんな質問をしてみた。
「皆さん出向ですよ。わたしの本籍は民間の電線会社で、現在は一時的に外務省の外郭団体に籍を置いています。そこのお偉いさんたちは、みんな外務官僚の天下りだから、生え抜きの皆さんの士気は低いですね。にもかかわらず、ODAの一人当たりの取り扱い金額は世界一らしいですよ」
と松山の話し方はどことなくそっけない。抑揚も愛想もないようなしゃべり方だった。営業では務まらないが、技術者ならこれでいいのかもしれない。如才ない丸山の話し方とは対蹠的だった。すこし間があって、丸山が前を向いたまま言った。
「土岐さん、このプロジェクト・チームは寄せ集めなんですよ。みなさん、民間企業に本籍をお持ちで、今回は、外務省の外郭団体のそれぞれの部署から来ていただいています。こういう編成は特殊なケースでなくって、フィージビリティ・スタディはうちの会社が元請けなんですが、うちの会社にはジェネラリストしかいないので、いつも専門の方は、こんな感じで外部にお願いしています」
「まあ、わたしら、派遣社員みたいなもんですよ。・・・いやあ、プロジェクト単位の仕事請負だから、フリーターみたいなもんかな」
と言いながら、松山は自嘲気味に鼻先で淡白に笑った。笑い方がどこかぎこちなかった。しかし技術者の朴訥さがじかに伝わってきた。人を見る目のない土岐でも、松山という人間に裏表のないらしいことが、なんとなく分かった。
昼食後、土岐は作業所に戻ってから、中井の予測データと国鉄の運賃データをもとにして、運賃収入予測を行った。作業自体は、中井の乗客数の予測データに距離別の現行運賃を掛け合わせるだけで、表計算ソフトを用いた至極単純な作業だった。
中井のデータに運賃を掛けると、乗客運賃収入が全体の7割で、残りの3割は貨物輸送収入になった。この比率は開業から三十年後の最後の予測時まで維持されている。中井の予測では、乗客数も貨物輸送量も年率3%の定率で増加していた。これに、現行運賃をそのまま掛ければ、運賃収入も定率の3%で増加することになる。最後の年には現在の二倍半程度になった。日本の戦後の高度経済成長を含めた経験を考えれば、それほど無理な数値ではないように思われる。むしろ、保守的な予測という評価ができる。しかし、中井の予測に関する説明からは成長率3%の根拠は読み取れなかった。だからといって、中井を責めることはできない。この種の長期予想については、どのような場合でも明確な根拠を示すことは難しい。しいて、根拠を示すとすれば、先進国の経験以外にはない。ある国にできたこと、または起こったことは、他の国でもやろうと思えばできる、または起こるはずだという考え方だ。もちろん、マクロ経済モデルを構築し、労働力や資本量や技術水準を長期的に予測し、マクロ経済の規模を推計した上で、乗客数を予測するという方法も考えられる。しかし、手間隙の掛かるわりにその精度は直感によるものと比較してもそれほど高くはない。
(プレゼンテーションのときに、予測額の増加率についての質問が出ればそのように答えるしかない)
とそんなようなことを自問自答しながら、土岐は作業を進めた。
四時を過ぎたころに、三十年間のキャッシュ・インフローの予測が出たので、その金額を3%の割引率で割り引いてみた。運賃収入が3%で増加することを想定しているので、その金額を3%で割り引けば、複利計算で、各年の運賃収入は初年度と同額になる。各年について割引計算するまでもなく、初年度の金額を三十倍したものが、このプロジェクトの三十年間の収入の現在価値になる。とりあえずは、この金額がベンチマークとなる。この金額をどのような理由をつけて増加させるかがフィナンシャル・アナリシス・スペシャリストとしての土岐の腕の見せ所になる。しかし、プロジェクトを破綻させるためには収入予測を減らすことも視野に入れなければならない。
その作業を終えて、あくびをしながら大きく伸びをしていると、丸山が土岐のワークシートをのぞき込んできた。数字の意味を聞かれたので、ひとつひとつ丁寧に答えた。
「割引率ってなんですか?」
その概念をシビル・エンジニアの丸山が知らないことは、土岐にとっては新鮮な驚きだった。
「このベンチマークでは、割引率を3%にしてあるんですが、例えば市場金利が3%で現在の百万円を1年間運用すれば、1年後には元利合計で百三万円になるでしょ」
と土岐が言うと、丸山は、だからなんだと言いたげに土岐の顔をのぞき込む。
「だから、現在の百万円は市場金利3%の時には、1年後の百三万円に価値的に等しいと考えるんです。だから、逆に1年後の百三万円を現在の時点で評価すると百万円ということになる。このとき、百三万円を百万円に割引く率を割引率というんです。さらに、一年後の百三万円の現在価値は百万円だと言うんです」
と説明をしながら、手付金十万円と残額九十万円、総額百万円の報酬が土岐の脳裏に浮かんだ。
丸山が頷く。
「なるほど、そう言われれば、いま百万円くれると言うのと、一年後百万円くれると言うのであれば、誰でも、
『いまくれ』
と言うわけだ。それが、いまの百万円と一年後の百三万円なら、金利が3%なら、同じということか」
同じようなことを、土岐は数年前に文系の大学に通う甥に説明したことがあったが、彼は最後まで理解しなかった。どうもこの種の話は、理解できる人とそうでない人がいるようで、しかもその能力は先天的なもののような気がしてならない。丸山は理系だから、数字に関しては先天的に理解が容易なのかもしれない。
丸山は、ワークシートの数字を見ながらさらに質問してきた。
「なんで、割引率は三十年間もずっと3%なんですか?」
「本当は、各年の市場金利で割引かないといけないんですが、まあ、これはベンチマークなんで・・・たとえば、5年後の金額を割引くときは、5年ものの債券の支配的な金利で割引くのが一般的で、・・・」
「支配的な金利?」
「まあ、中心的な金利と言うか、もっとも市場に大量に出回っている債券の金利で、いまのところ、アメリカの財務省証券が、長期資本市場を支配しているようです。この金利は、満期が何年かによって、若干違います。インターネットで、その金利を知ることは簡単なんですが、今日のところは大体の目安の金額を求めるのが目的なんで・・・それに、長期金利でも毎日多少変化するし・・・」
このへんの説明から、丸山の目線が泳ぎ始めた。土岐もそれ以上詳述するのをやめた。電化プロジェクトの財務分析の特徴は、多額の初期投資とその後の長期にわたる運賃収入の比較なので、いま求めた将来収入の現在価値の合計金額は明日からの作業として計画している財務分析でひとつの目安となる。
終業時刻の五時近くになった頃、電気関係の中年組が土岐の傍らにやってきて、代表の松山がぽっこりとした小腹をせり出すようにして口を開いた。
「明日の午前中に、扶桑物産の南田さんが部品の見積もりを持ってくると思うんで、昼までには電気関係の見積もりが出ます」
それを補足するように、細面でうらなりのような浜田が言った。
「われわれのほうは、英文報告書は大体書き終えて、金額だけがいま空欄になっているんです」
柔術家のようないかつい相貌の畠山が土岐のワークシートをのぞき込みながら、
「そういうわけで、ぼくらは明日の夕方は打ち上げで、プレゼン資料が完成次第、他に何もなければ、木曜日は観光ツアーに出かけてきます」
と嬉しそうに、しかも哀れみのまなざしで、なんとなく嫌味のある口調で言う。
「それでは、お先に・・・」
と川野が女のようにしなやかな手で、土岐の肩を軽く叩いた。それを合図に、中年組の彼らは作業所を出て行った。それに続いて、童顔の副プロジェクト・マネージャーの吉川がガニ股で体を左右に揺らしながらやってきた。
「私の方も、午前中に南田さんから車両の見積もりを貰うので、午後にはプロジェクト全体の費用の見積もりが出ると思います。あとは、よろしく・・・」
と潰れかけた顎をくしゃくしゃにしながら言う。
O脚の吉川の後姿を見送ってから、土岐は五時まえに帰り支度を始めた。
ホテルに戻り、深夜、寝る前に報告のメールを送信した。送信文を打ち込みながら、南田の胡散臭さを報告すべきかどうか、思案したが、それが自分の主観でしかないことに気づいて、文章にすることを止めた。
@土岐明調査報告書・現地第3日目、8時過ぎ、作業所に到着しました。午前9時ごろ、扶桑物産の現地駐在員である南田に会いました。軌道設計の専門技術者である高橋はコストが安く、この国で資材が調達できるバラスト軌道を採用しようとしていたが、南田はコストが高く、日本からの輸入資材に頼るスラブ軌道を強要しようしました。最終的には、王谷の裁定で、スラブ道床に決定しました。王谷と南田の間には、何らかの共通の利害関係があるような印象を抱きました。プロジェクトの資材は扶桑物産が一手に扱うようで、口銭収入も巨額になるものと予想されます。中井は午後から東欧に向かいました。午後5時すぎ、ホテルに帰着しました。王谷をを除く技術者はずれも単に業務を消化しているような印象があります。以上@
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