――ルビー国 路地裏

 がつ、と響く鈍い感覚。
 それと同時に、錐もみしながら飛んでいく目の前の男。
 拳を振り抜いた勢いで、そのまま視線は左後方へ移す。
 すでにそこには、鉄パイプを振りかぶった奴が一人。
 だが、振りかぶっただけだ。
 そこから振り下ろすのに、ざっくりコンマ5秒。それくらいの時間差なら――
「おせぇ!!」
 振り向くことなく、体勢を落とす。そのまま左足を軸にして一回転。右足で地面を削るように足払い。
 土煙が舞い、一瞬だけ鉄パイプ野郎の視界が遮られる。
 その一瞬。それだけで、彼にとっては十分すぎた。
 低くした体勢から、曲げた左足を思い切り跳ね上げ、反動で体を浮かす。そのままわずかに空中に浮いた身体を、跳ね上がった右足を思い切りスイングすることで側宙。
「な――ふべっ」
 スイングされた右足は驚異的な速度を以て放たれる一振りの剣。
 東洋の格闘術にある、いわゆる足刀となって鉄パイプ野郎の首元に直撃。一撃で彼の意識を虚空の彼方へ葬り去り、次いで放たれる左の回し蹴りで近くにあるごみ箱に吹き飛ばす。
 完全なコンビネーション。
 独学で学んだアクロバットスキルからいつの間にか昇華していた格闘術で暴漢二人をあっという間に気絶させた少年――クフェアは、ふぅ、と一息ついてから自分の後ろにある輸送用木箱の裏にいる彼らに声をかける。
「もう大丈夫だ。出てきていいぞ」
 声につられるように木箱の裏から少年と少女が出てくる。出てきたときはひどくおびえた表情だったが、彼らの前にあの大人たちがいないことを確認すると、安堵の笑みを浮かべた。
 どの国どの時代、そしてどの世界でも人さらいというか、それに近しい人物たちというものは存在するもので、彼らはそれの標的になっていた。
 そして、それをたまたま見かけたクフェアが『いつもの癖で』助けたのだ。
 見過ごすわけにもいかなかったし、見過ごしてしまったら生きている間ずっと後悔してしまう、そんな気がしてならなかったから。
 お兄ちゃん、ありがと。そんな言葉を二人は残し、路地から大通りの方へ走っていく。
 それを見送り、クフェアもまた大通りの方へ戻ろうとしたとき――
「――ん?」
 何か、気配がした。
 さっきの男たちの仲間が駆け付けたのだろうか。それにしてはずいぶんと早い気もするが、人攫いというものはそんなもんなんだろうと自己解決。
 ガシガシと頭を掻き、大きくため息をつきながら彼を後ろを振り向く。
「お前らの仲間はそこでのびてる。さっさといなくなってくれな――」
 その気配は、人ではなかった。
 ぐちゃぐちゃと何かを噛み千切り、咀嚼し、磨り潰す。まるで、果実か肉か、そんなボリュームのある何かを食いちぎる音が、そこから響いていた。
 鋭く硬そうな甲殻をもつ胴体。まるで槍か何かのように鋭い左右から伸びる八つの腕。本で読んだ蟹と、このあたりによく出てくる蠍を合わせたような、そんな体躯。
 そして人にも見えるが、明らかに人とは異なる頭部。目がありそうな部分は陥没し、ほんの小さな緑色の光がそこにあった。そして、巨大な口を開け、先ほど気絶させた人攫いを両腕の槍で「分解」しながら、胃の中に収めていた。
 ぞわっ、と背筋が凍る。
 その瞬間、脳が警鐘を鳴らす。
 警鐘のパターンは二つ。
 ここから逃げろ、町の警備兵を呼べ。
 だが、すでに目の前にいる生物の視線は自分を真っすぐにとらえている。ここから逃げても街に現れ、今目の前で起こっていることが街中でも起きてしまう。
 そうなってしまったら、警備兵でも被害零で抑えることは不可能。
 もう一つは――
「正直、あの街には未練もなんもないんだけどさぁ――」

――守りたい場所の一つの二つやくらい、あるんだって―の。

 腰につけている、真紅に光る石飾りを思い切り叩く。
 瞬間、薄暗い路地いっぱいに輝く深紅の光。拡散した光は彼の手に収束し、その両手に彼の楽器を宿す。
 右手に弓、左手に本体。その巨大な弦楽器――コントラバスを構え、彼は真っすぐ目の前の化け物を見据える。
 視線が完全に交錯する。

――貴様モ、俺ヲ、俺達ヲ見下スノカ。

 そんな風に訴えかけるような視線がクフェアに突き刺さる。
 腕に刺さっていたヒトだった肉塊を壁に放り投げ、化け物は赤黒く染まった大口を開け――
「■■■■■■■■■■!!!」
「う――ぐっ――!?」
 音なのか何なのか。
 確かに旋律は感じるのに、わからない。
 そんな雑音を、咆哮とともに、決して広くない路地へまき散らす。
 思わず耳を塞ぎそうになる。そんな気持ち悪い雑音だ。
 でも、そんな雑音、今の状況。比較的絶望的な状況も――
「あの時よりは――怖くない!」
 ブンッ、雑音を振り払うように弓を振り、弦に宛がう。そして――
「第一――詠嘆-アリア-!」
 弦を揺らし、単音を響かせたのち、旋律を奏でる。低音を響かせながら力強い音で、そのノイズを吹き飛ばし、化け物へ直に打ち込む!
 一瞬仰け反り、巨大な体躯をがくりと沈ませる。
 しかし、すぐさま体勢を立て直した化け物は、巨大な左右の槍を構えクフェアに向けて突き出す!
「たぁっ!」
 クフェアは楽器を収納し、得意のアクロバットでそれを回避する。
 そして再び放つ詠嘆曲。しかし、反応は先と同じ。
 当たってはいる。ただ、ダメージが通っているかといえばそれは不明だ。むしろ――
「効いてねぇんじゃねぇか……?」
 幾度となく放つ詠嘆曲。それを鬱陶しく感じたのか、化け物はもう一度吠えてから何度も両腕をクフェアに向けて突き放つ。
 再び楽器を仕舞い、ステップをジャンプを組み合わせて回避し、距離をとる。
 どうする、どうすればこいつを無効化できる? 考えることは得意ではないが、それでも頭を回転させてどうにかして目の前の状況を打破できる策を考える。
 考えて、回避して、考えて――思いついた。
「これなら――」
 何度目かの化け物からの攻撃を回避し、大きく距離をとってからコントラバスを展開する。
 回避していた、とは言えども何発か身体を掠めていたようだ。
 お気に入りの服の至る所に斬り裂かれたような跡、そして身体まで達していたところは僅かに赤くにじんでいた。
 疲労も、今まで生きていた以上にたまっている。思い切り動けるのも、あと数分かもしれない。
 疲れているし、痛い。総じてキツイ。けど――
「あの時よりも、キツくない。キツくない――!!」
 真っすぐに化け物が突っ込んでくる。
 距離はまだある。でも、油断していればあっという間に詰めてしまえる距離だ。
 だから、この即興で考えた曲で――
「独奏-カデンツァ-!」
 即興で生み出した楽曲は、放たれるのではなく収束させる。
 収束点は拳と脚。その四点に音楽が流れ込み、深紅に発光する。
 大きく化け物が右の腕を大きく振りかぶり、槍を真っすぐにクフェアへ向ける。
 クフェアは三度コントラバスを収納。迎撃態勢を整え――
「これで――」
 槍が突き刺さる瞬間に体を逸らし回避。
 暴風のような衝撃波。しゃんとしていないと体ごと持っていかれそうな勢いだ。
 だが、彼はその衝撃波すら利用して飛び上がり、化け物のこめかみにハイキックを打ち込む。
 がごっ、という明らかに異なる感覚。何かを砕いたような感覚が右足へ伝わる。
 しかしそれだけでは終わらない。少しでも「生き残る可能性」が残ってしまえば、万一街に現れた時は大惨事だ。だから――
「終わっちまえ!!」
 そこから怒涛のコンビネーション。
 まさに必殺の流れだった。
 右足の着地と同時に左足を振り抜き、まるで剣で横薙ぎに叩ききるようにその胴体へ蹴撃。頑丈そうだった甲殻も鈍い音を立てて砕け散り、化け物は大きく苦悶の声を上げる。
 さらに続けざまに当て身、態勢を一瞬で整え左の正拳。その胴体に大きくへこませ、ヒビの入ったところから赤黒い鮮血が舞う。
 化け物の反撃が飛んでくる。再び雑音のような咆哮。両腕を大きく広げ、たたきつけるような態勢へ。
 瞬間、振り下ろされる巨大な腕。
 ぺしゃんこにしてやった、これで目の前の奴はおしまいだ。そう化け物は思っていた。
 そう、ほんの一瞬だけ。
「だぁぁりゃぁぁ!!」
 振り下ろされる前に踏み込むクフェア。
 瞬間、気合裂帛。初撃の掌底を胴体へ叩き込む。
 撃ち込まれる怒涛の連撃。左右の拳、脚、猛スピードで叩き込まれる連打に、何時しか化け物の甲殻は粉みじんになり――
「これでフィナーレだ!」
 ダダンッ、と撃ち込まれる上下の拳の連打。顎と脳天に撃ち込まれた反動で、化け物の頭部は吹き飛び、ばたりとあおむけに倒れる。
 肩で息をしながら、それを疲労困憊の表情で見据える彼。拳に、脚に、体に、何かを砕いたような嫌な感覚が残っているような気がして、思わず頭を振る。
 そして、改めて化け物のいた場所を見る。
 しかし、そこには先ほどの赤黒い血液のようなものも、分割したはずの化け物の体と頭部もすでになかった。
 あるのはやや湿り気を残した地面と、土人形が崩れたような砂の山、そして黒く光る石のようなもののみだった。人攫いだったモノの肉塊すら、何も残っていない。
 本当に、何も残っていなかった。
「何だったんだ、あれ」
 ぐ、と拳を握り締めるクフェア。
 目の前で起こっていたことの証明は、もはや何一つとして残っていない。
 だが、彼が振るった拳に、その脚に、確かに感覚は残っていた。
 クフェアの脳裏に過ぎるのは、何か嫌な予感がするという感覚のみ。
 何も起こりませんように。
 心の中で祈りながら、彼は足早に大通りの方へ向かうのだった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

短編 クフェア編その二~握った拳に宿ったもの~

Cony殿リクエスト(?)ということで、クフェア君の短編その二を描いてみました。

「コンバス使った戦い方っつーか、楽器使った戦い方ってどんなんだろう」と思いつつ、クフェア君→アクロバット→音楽で自己バフすりゃよくね?という考えに至った次第……

ちょいとごりごりの戦闘スタイルです。お気をつけてお読みください

閲覧数:96

投稿日:2018/08/08 00:33:53

文字数:4,006文字

カテゴリ:小説

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