16.ビデオ・アイ子
「大体勤務地が千葉で、なにわナンバーということはないだろう。BMWは最近こっちに誰かが乗ってきたもんだろう。その誰かってえのはお前さんの言う運転手かもしれねえ。それにしてもその運転手が平野敬子の町屋の葬儀で受付に座っていたというのは確かか」
「ええ、ビデオ・アイ子がそう言ってました」
「びでおあいこ?誰だそれ」
「能美亜衣子のニックネームです。彼女、見た映像の記憶力が超人的で、再生可能だと自慢しているんです。その彼女が町屋の斎場で受付の男を見ているんです。あれだけじっと見ていれば記憶できても不思議ではないと思いますが。僕は人見知りだから彼女みたいにアカの他人をじっとみつめることはできないですね。先週BMWに乗ったとき後部座席から運転手の顔をバックミラー越しに携帯で隠し撮りした写真を彼女に例のバッジと一緒に転送したんです。そしたら男もバッジも町屋の斎場で見たって」
「それはお前からのメールで見たが、本当かいな?にわかには信じがたいな。思い込みじゃないのか?チラッと見ただけだろう?」
「でも彼女は自信たっぷりに間違いないって言ってました」
「証言の確かさってえのは裁判官が判断するんだ。たった一度ちらっと見ただけの男と、映りの悪い携帯写真の男が同一人物だという証言を裁判官が採用するかどうかの問題だ」
「でも、彼女が嘘をついているとは思えないなあ」
「お前の気をひこうとしているのかも知れねえぞ」
「まさか」
「男と女はまさかばかりだ。それで男女は成り立っている」
「葬儀の受付にいた男については遺族も町会長も知らないと言っています。もっともみんなが本当のことを言っていればの話しだけど」と言う結論めいた土岐の一言で南條は黙った。しばらくして、
「亜衣子衣子の主張は嘘ではないとしても女特有の思い込みかも知れない。本人はそれが真実だと思い込んでいるから証言に嘘はない。しかし、客観的に真実であるかどうかは別だ。そうであるとすれば亜衣子の話は自分の存在感を増そうとしたガセネタかも知れない」
「で、これからCDLに向かうんですか?何分位かかるんですか?」
「まあ小1時間とはかからないな」
「で、僕は何をするんですか?」
「俺と同じこと」
「運転ですか?いま免許証持ってないですよ」
「二人で運転できるか。ハンドルは1個だ。永山奈津子の尾行だ」
「だって、自宅なんかCDLに電話して聞けばすぐ分かるでしょ」
「だから藤四郎は困る。警察だと言えば確かに容易に聞き出せるが、聞かれたことを本人が知ったら証拠隠滅をはかるだろ。そうでなくっても貴重な情報が入手できなくなる。上質の情報は手間暇かけなければ手に入らない。料理と同じ。安禄山がなぜはやっているか?」
「上質の情報となんか関係があるんすか?」
「安禄山の斜め向かいに石狩という居酒屋がある。こっちはぜんぜんはやってない。混雑を厭う酔客だけが石狩に行く。なぜか?」
「何か関係があるで?」
と言う察しの悪い土岐に苛立って南條がため息を吐く。
「安禄山の大将は毎早朝、築地の魚河岸に通い、昼過ぎから仕込みを始める。だから店は五六時間程度しか開いていないが実労働は十時間以上だ。だから安くてうまいもんが出せる。対して石狩のマスターは昼間は浅草のお釜の連中と墨田公園でテニスをやってる。全く仕込みに時間をかけてねえんだ。近所のスーパーで惣菜や魚や肉の特売があると石狩のかみさんとよく出くわす」
「いい情報をとるためには仕込みに時間をかけろということで?」
と土岐は持って回った言い方に少しまだるっこしさを感じて言った。
「そういうこった。それに永山奈津子が自宅に帰るとは限らん」
「でもそれだけなら、僕はいらないでしょ」
「捜査は二人一組が原則だ。そうでないと、トイレにも行けない」
「だって、僕は民間人でしょ」
「それを言うな。俺も切ないんだ。数週間で定年なもんで、まっとうな捜査をやらせてもらえない。雑用ばかりでこき使われている。部下もつけてもらえない。相棒は骨折で急きょ入院だ。いまは資料の整理やら軽犯罪の文書の作成だ。あとは刃傷沙汰のドメスティックバイオレンスとか、自転車の盗難の累犯とか、出会い喫茶の黒幕の張り込みとか、どうでもいいようなこまごました事案の担当と書類の整理。ラインからはずされて暇だろうってんで便利屋みたいに交通や生活安全のお手伝いに借りだされることもある。今こうしているのは極秘だ。俺の勝手な行動は前の署から札つきで墨田署にも知れ渡っている。万年警部補なんてのはまがい物の骨董品扱いだ。価値もありそうもないし誰も値踏みができない。どうせもう定年で先がないからお互いに深く関わらずに勝手にするのが一番」
と南條の繰り返しのぼやきが始まった頃、CDLの駐車場に到着した。駐車場の係員を探して従業員専用の駐車場を聞き出し、そのブロックに辿り着いた頃にちょうど三時になっていた。
「永山奈津子は三時退社だと言ってたな。駐車場をぐるっと一回りするからシルバーのスカイラインGTを探せ」
と南條に言われて土岐はスカイラインのエンブレムを探し求めた。半周したところで駐車場の中央あたりにシルバーメタリックのスカイラインGTが見つかった。年季の入った古い型式だった。土岐は声をあげた。すると、南條は、
「他にないか?」
と元の位置に戻った。もう一回りしてもシルバーメタリックのスカイラインGTは一台しか見当たらなかった。あとで見失わないようにとりあえず登録ナンバーの3411を記憶した。南條はその車がかろうじて見える駐車場の端に赤い軽自動車を止めた。
「陸運で確認しておこう」
と南條は携帯で墨田署の交通課を呼び出した。ナンバーを告げた。車籍照会を依頼した。土岐は登録番号の全てを覚え切れなかった。瞬時にナンバーを記憶した南條の職業技能に今更ながら感心した。
「これが私用車のつらいところ。覆面ならナビとパソコンが一体になっていて陸運のデータベースにすぐアクセスできる。車籍照会なんかあっと言う間だ。こんな面倒な手順を踏まなくてすむ。でもデカになりたての頃と比べれば格段の進歩だ」
と言っている間に南條の携帯電話がなった。南條は携帯電話で所有者の住所を聞きながら、
「永山奈津子の住所を言うからカーナビにいれてくれ」
「一の四十一の三。これからの行き先をそこにセットしてくれ」
と南條が言い終えたところに見覚えのあるクリーミーローズのプリンセスワンピースの奈津子が緋色のフェルトガウンを羽織って駐車場の入口からスカイランGTに向かって歩いてきた。
「あれが永山奈津子か。しゃぶりつきたくなるような美人だな」
と南條は卑猥にうなった。奈津子のスカイランGTは加速も滑らかに猛々しい排気音とともに駐車場を出て行った。南條の軽自動車はあえぐばかりだ。加速がままならない。駐車場から離される一方だ。広大な駐車場を出る頃にはGTは見えなくなっていた。
「やっぱ軽じゃ尾行は無理ですね」
と土岐は感じたままに嘆息した。
「だから住所を入れといたんだ」
「どうせ、まかれたから急ぐ必要はない」
と南條は軽自動車をゆっくりと走らせた。エンジン音にカラカラという夾雑音が混じっていた。カーナビの指示に従って運河沿いに東京湾方面から北上して行く。埋め立て地の殺風景な道路沿いに、
〈永山整形クリニック〉
というピンク地に白抜きの看板が見えてきた。
「あの女、整形もやってんのか?二足のワラジじゃねえだろうな」
「勤め人でそれはむりでしょう。それにしてもこんな交通の便の悪いところで商売がなりたつのかな?身内がやってんですかね」
と土岐が言う程、周囲に住宅が見当たらなかった。一番近い建物は数台の中型トラックが駐車している倉庫だった。電信柱の住所表示の番地を見ると、
〈1―41―3〉
となっていた。南條はそのブロックをとろとろと一回りした。永山整形クリニックの車庫のグレーのシャッターが、かろうじて見える三十メートルばかり離れた倉庫の前に軽自動車を止めた。身を隠すような障害物が一切ない町並みだった。張り込みとばれそうな位置関係だった。
「あの車庫ずいぶん大きいな」
と南條が言う。土岐は相槌を打った。
「そうですね。シャッターの幅が2台分ぐらいありそうですね」
「2台分だ。シャッターが分かれている。同じ色だが、右のシャッターの方が少し新しい。真ん中に一本、支柱が入っているだろう」
と南條に言われて良く見ると確かにそうだった。そのときシャッターのひとつが巻き上げられて土岐の見覚えのあるBMWが出てきた。出てきてから一旦停止し助手席の窓から奈津子がリモコンをシャッターに向けた。シャッターが巻き戻って閉まり始めるとBMWはすべるように加速して走り出した。赤い軽自動車には気づいていない。土岐は登録ナンバーを確認した。3411だった。土岐は叫んだ。「スカイラインと同じ。縁起のいい番号なんですかね」
「最初の場札がサンタで、もういっちょ来いでヨツヤを引いて、シチケンだ。シチケン引きなしで、ここで普通は札止めだが、相手がそれ以上と分かっていれば、勝負とばかり、もういっちょ来いで、インケツを引いて、これでオイチョだ。これ以上札は引けないから、相手がカブなら負けだ。負けたところで悔しまぎれに未練がましく山から一枚札を引いたら、またインケツでカブになった」
「なんですかそれ?」
と土岐には南條が不意に陰陽師の呪文を唱え始めたように聞こえた。
「オイチョカブだ。3411を合計するとカブになる」
「カブって9のことですか。3411ってそういう意味なのかなあ」
と話しかけたが南條は聞いていない。アクセルをふかすことに夢中だった。南條は急いでアクセルをふかし続けた。車は息切れするだけだ。BMWはあざ笑うかのように遠ざかるばかりだった。
「見失うんじゃないですか?せっかくナンバーを確認したのに」
「なんとかなる。どのみち橋につかまるから」
「みろ。あの橋を渡る道に左折するところで止まってるだろう?」と南條は数百メートル先に左折のウインカーを出してBMWの停車していることを指摘した。土岐は目を凝らしてようやく確認することができた。軽自動車は車体をきしませながらエンジン全開で追尾した。追いつく前に、BMWは逃げるように悠然と左折し始めた。信号が青のうちに軽自動車は左折できそうになかった。案の定、南條の軽自動車は次の赤信号につかまった。土岐は嘆いた。南條は土岐の肩を押して、叫んだ。
「どっちに行くか、見てこい」
 土岐は押し出されるように外に出された。寒気に縮み上がった。走りながら大通りを左折しBMWの後姿を目で追いかけた。息が白い。背伸びをすると特徴のあるテールが確認できた。橋を渡りきったところで、少し湾曲している道路の向こうにすぐに消えて行った。
「乗れ。どっちだ」
と前方を見据えている南條の声に怒気がこもっていた。
「道なりです」
と土岐が答えると、軽自動車は再び息を切らせるように目一杯の走行性能で走り出した。暫く行くと信号に捉まった。南條は大型ダンプトラックの脇をすりぬけバイクのように停車している車列の一番前に出て停止線を越えて横断歩道の上に割り込んだ。
「これが軽のいいとこ。都内は信号が多いからBMWも軽も平均時速は同じ。国道は幅員にゆとりがあるから軽なら路肩走行が可能だ」と言いながら背伸びをするように前方にBMWを探した。

ライセンス

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土岐明調査報告書「Nの復讐」16.ビデオ・アイ子

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投稿日:2022/04/03 04:53:33

文字数:4,709文字

カテゴリ:小説

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