夜中、部屋の中の時計がぴたりと止まった。カチカチという音が消えた瞬間、世界が息をひそめたように感じた。寝ようとしていたのに、なぜか胸の奥がざわつく。静寂の中で、止まった秒針の位置をぼんやり眺めていると、不思議なリズムが浮かび上がってきた。動いていないのに、時間が鳴っている気がしたのだ。
私は音を作るとき、いつも「動き」を探している。風の音、足音、言葉の間にある小さなノイズ。けれどその夜、止まった時計が“動き”を教えてくれた。何も進まない時間ほど、心がいちばん激しく動く。焦り、孤独、諦め、希望。その全部が沈黙の中で暴れ出す。音楽って、もしかしたらその暴れ出した感情の“逃げ場”なのかもしれない。
ピアプロで作品を公開するようになってから、「ちゃんと完成させなきゃ」という気持ちが強くなった。未完成のまま投稿する勇気がなかった。でも、あの止まった時計を見て思った。時間が止まっても世界は終わらない。音が止まっても、旋律は消えない。むしろ「止まった瞬間」にこそ、物語は生まれるんじゃないかと。
だから最近は、未完成のフレーズをあえて残すようにしている。中途半端な音の切れ端が、聴く人の心の中で続きになる。完璧に閉じた曲より、どこか開いたままの曲のほうが、人の心を長く掴む。止まった秒針のように、動かないものが、誰かの中で“動き続ける”ことがあるのだ。
あの夜から、私は作曲を「静けさと対話する作業」だと思うようになった。音を鳴らすことよりも、音を鳴らさない瞬間を大切にする。沈黙の1秒に、どれだけの物語を詰め込めるか。メロディよりも休符のほうが、その人の“気配”を語るのだと気づいた。
ピアプロで出会う曲や詞にも、そういう“止まった秒針”がある。文字の流れがふっと止まる瞬間、聴く側の時間が動き出す。音が消えたあとに残る余韻、それが本当のメロディなのだと思う。作品って完成した瞬間ではなく、誰かが触れた瞬間に再び動き始める。止まっているようで、実は動いている。時間って、そんな不思議なループをしている。
時計はまだ止まったままだ。でも、私は新しい曲をひとつ書き始めた。秒針が動かないままでも、メロディは進んでいく。音楽は時間を超えて鳴り続けるものなのだと思う。止まることは、終わることじゃない。むしろ、始まるための静けさなのかもしれない。
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