雨が降っている。それでもまだ眠いから、僕は眠ろうとした。
視界がブレる。焦点が定まらずに、世界の輪郭が幾重にも分身して見える。地震みたいに体が揺れて・・・そこで自分が目の前の人物に起こされようとしていることがわかった。
「起きて、起きてよ一八番。」
「嫌だ、僕は眠い。明日で仕事が終わるんだから、一九番に構ってられない。」
ふわりと視界の大半を埋めていた金髪の持ち主は、一九番。ざっくばらんに言うと、僕の唯一の奴隷仲間だった。奴隷は、その置かれている立場から、一人で社会を生きていくことなんて難しい。だから大半の奴隷は仲間を作って、強い結束の中生きている。多分それは、この世界の中の薄っぺらい、乾いた関係なんかよりもよっぽど強固だ。
そしてそれは、大人に限る。子どもの奴隷なんて珍しいから、仲間なんて作れない、作らない。なら大人に混じればいいという話しになる。でも、大人に混じったって、僕らは足手まといになるのはもうわかりきっていることだ。だから、いずれ自分から離れていくか、切り捨てられるだけ。
そうなるよりは、同じ年代の方が心地いい。都合がいい。
だから僕と一九番の関係もそんなものだった。ただ、今はそれよりも疲労が勝る。
「一九番は接客の仕事でしょ。僕は肉体労働。それにまた仕事探さなきゃいけないんだから。」
「でも・・・・・・・・・・・・。」
「お願いだから休ませて。疲れてるんだ。」
「でも・・・・・・、もうすぐ仕事の時間だよ?」
「!?」
朝から僕は過激な運動を余儀なくされた。
仕事場所にギリギリで辿り着き、すぐに労働は始まった。最後の現場といっても、感慨なんて感じるはずもなくて。すぐにまた次の仕事を探さないと僕たちは生きていけない。それはここにいる他の奴隷たちも同じだ。雀の涙すら幸せと感じるような薄給、理不尽な置かれている立場、人と思えないような制約。全部、僕ら奴隷のためにあって、僕らを苦しめる。
出来上がりかけている高層ビルは、僕らの苦労で出来ているとしても、普通の人たちはそれを感じないんだから、おもちゃの兵隊のように滑稽でしかない。
日が高く昇り、そして夕焼けを彩る頃には仕事が終わった。
「お疲れさん!これで仕事は終わりだからな、みんなご苦労さんだった!」
この仕事が終わっただけだ。どうせ、僕たちは働かないと、・・・生きていけない。ご苦労なんて言葉は、労いにもならない。
それでも、一応現場の監督としての言葉なのか、義務的なものなのか・・・考えたくもない。
そう思いながら、七○○円を受け取り、いつものように銭湯へ行って、コンビニでおにぎりを買って、いつものように路地裏で一九番を待つ。昨日は寝てしまったから、今日は一九番が帰ってくるまで寝ないつもりだった。
喧騒に耳を傾けていると、やがて浮かない顔をした一九番の姿が見えた。
「ごめん、仕事クビになっちゃった。」
「・・・・・・・いいよ。僕だって今日で終わりだったんだ。また探せばいいよ。」
こんなこと、何度も経験した。それでも、この何かを失ったような感覚に慣れることなんて、無かった。僕たちは、お互いに買ってきたおにぎりを一口ずつ頬張った。
口の中で咀嚼され、感情ごと呑み込む。美味しくない。
夜のネオンに蛍の様な儚い淡さなんて感じられない。感じるのは、無機質な冷たさと、目的もなくふらふらしているような頼りなさだけだ。
この路地裏にまで届くことは無いのだから、頼りないという表現だって間違ってない。僕たちは路地裏のずっと奥へと歩いていった。ゴミ袋の山からまた段ボールでも漁ることの繰り返し。生きるためだから、仕方がないと思っていた時だった。
「あ・・・・・・・・・・・・。」
「どうしたの?一九番。」
一九番の手には、ヘッドフォンとマイクが一つになったような物が握られていた。
・・・見たことがある。スカイプマイクとかいうヤツじゃなかったっけ。でも、そんな物持ってたって、・・・売る以外に用途はない。
「・・・・・・・。ねえ、一八番。これ、持ってちゃだめ?」
一九番の言ってることが理解できない。
「こんなもの、すぐに売った方が得だよ。」
「そうかもしれないけど、それでも・・・その・・・・・・・・・。持ってたいの。」
「どうして?」
「・・・・・・・・・・内緒じゃだめ?」
僕自身、そこまで追求する理由もなかった。どうせ、売ったってすぐに消えてしまうお金なんだから。でも、一九番の『内緒』という言葉が妙にしっくりとこなかった。
「構わないけど、仕事探しにまで持っていかないよね?」
「そ、そんなわけないよ!どこかに隠しておくから・・・。」
ほんの少しだけなんだろう。ほんの少しだけなんだろうけど、僕に、好奇心が生まれた。
奴隷とされている中で、僕らも痛いほどそれを実感してわかっている中で、あんなガラクタになぜか興味を示して、そして手放そうとしない一九番の考えなんて、廃れた僕にわかるはずなんて、ないんだろう。
僕はゴミ袋の山から段ボールを二つ取り出し、コンクリートに放り投げた。
横になると、間接的に生き物じゃあない堅さが伝わって、次に疲れ切った体がそれに抗議をする。
それでも僕と一九番は、その布団代わりのボロ切れに、胎児のように縮こまって眠りについた。まるで、双子のように、向かい合って。まるで、捨てられた子犬の様に、寄り添って。睡魔に意識を飲まれる直前、段ボールが擦れる音が聞こえた。
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