そうやって結論を先へと延ばして、相変わらずの日々を送っていたシンにある話が届いた。
 ルカに海外レーベルが声をかけ、アメリカでデビューをしないか。という話が持ち上がった。けれど、彼女はそれを断った。という話。
「確か、巡音ルカさんってシンさんの彼女だったよね?メジャーデビューしないって事は、インディーズのままで活動するつもりなの?」
そう言ってきたのはシンがお世話になっている編集者で、仕事の話の合間の雑談の中で出てきた話だった。シンのまったく知らない初めて耳にする話に、シンは、さあ。とか、どうでしょう。とかいうあやふやな返事しか出来なかった。
 その後の打ち合わせの最中、シンは相槌を打ちながらも、頭の中では先ほど出てきたルカについての話がぐるぐると回っていた。そしてその話の後を何故、という単語がやっぱりぐるぐると追いかける。
 何故。という言葉がシンの中でぐるぐるとまわる。何故、そんな重要な話をしない。何故、ルカはそんなチャンスを捨てるのか。

 家に帰ると、弦が空気を揺らす音が迎えてくれた。ルカは部屋の片隅で背中を丸めるようにしてギターを抱きかかえていた。新曲なのだろう、慣れない指使いで弦を弾き、ぎこちない音が空気を振るわせていた。その音にルカの甘く少しかすれた声を小さく乗せる。
「ルカ。」
そう部屋の入り口でシンが声をかけると、ルカははっと音に没頭していた意識をこちらに取り戻し、何、と目を丸くした。
「何、びっくりした。」
「ただいま。」
「うん、お帰りなさい。早かったね。打ち合わせ直ぐに終わったのね。」
お茶でもいれようか。そう言ってルカがギターを置き、立ち上がろうとしたのをシンは制した。
「いいよ。お茶ぐらい自分で入れる。」
「そう?」
「ルカはそれ弾いてて。もう少し、聞きたい。」
そうシンが言うとルカは変なの。とでも言うように首をかしげ、再び曲を奏で始めた。
 時折、音を間違えてその場所をもう一度練習して。慣れない指使いに微かに眉を顰めながら、でも何かを確認するように一つ一つ丁寧に音を奏でる。その真剣な表情はとても静かで、きちんと音と向き合っていた。
 すとん、とシンはルカの横に座り込み、ルカ。と声をかけた。
「ルカ。メジャーデビューの話があったって、本当?」
「え?」
音が途切れる。顔を上げたルカは何で知っているの?と言いたげに首をかしげている。
「どこで聞いたの?その話。」
その表情から、ルカはこの話をシンに知らせるつもりが全く無かったことが分かり、シンは疎外感に胸が痛んだ。けれど、今の問題はそんな事ではなくルカ自身のことだ。とシンは痛みから目をそらした。
「何でその話、断ったの。」
シンの問いかけにルカは顔を伏せて、無理よ。と呟くように言った。
「そんな、メジャーデビューなんて無理よ。今のまま、好きなように歌っているほうが良いと、思うの。」
「ねえルカ、本当にそう思ってる?」
俯くルカにシンがそう再度問いかけると、ルカは顔を背けたまま、ええ。と呟いた。
「ええ、思ってるわ。」
「嘘だ。」
即座にシンは否定する。その言葉に、むきになってルカは首を振った。
「嘘じゃないわ。」
「嘘だよ。」
静かに、シンは断言する。ぐ、とルカが言葉に詰まり、唇をかみ締めた。
 何があってもルカは音楽が大好きなのに。本当に、音楽を必要としているのに。そのことをルカ自身よく分かっているのに。何故、手放そうとする。諦めるのか。その理由が、シンには一つしか浮かばなかった。
「ねえルカ。今から言うことが間違いで俺の自惚れだったら、笑っていいよ。けど本当にそうだったら素直に頷いて。」
「うん。」
シンは腕を伸ばしてルカの手を取った。冷たい、細い指先。さらさらとした肌の感触。よく知っている、何度も触れた、何度も掴んだ手。
「メジャーデビューはアメリカだって聞いた。ルカは、俺の傍から離れるのが嫌で、離れたくないからこの話を断った?」
ぴくり、と触れた指先が強張る。
「、、、うん。」
しばらく間を置いてから、こくり、とルカが小さく頷いた。
「離れてしまったら、きっと駄目になる。だから、、、。」
そうルカが泣き出しそうな声で言った。細い指先が強く、縋り付くようにシンの指を掴む。
 そうか。と、大きなため息をひとつシンはついた。喜びと悲しみという相反する気持ちが混ざりあい、思考が波打ち千切れてしまいそうだった。
 だけど、ルカの事を思うならば出来ることは一つしかない。
「ルカ。」
名を呼んで、その手を強く握り締めた。こらえきれず閉じたまぶたの裏に、焼きついてはなれないルカの笑顔が浮かび上がった。
「ルカ、別れよう。」
そう言った自分の声が、自分のものでないような気がした。
 ルカの手が強く握り返してくる。その感触にシンが目を開けると、信じられないものを見つめるようなルカの顔がそこにはあった。シンが、今言ったことは嘘だと言うのを待つような、今この状況を信じていない、受け入れることが出来ない様子のルカに胸が痛む。
「ルカ、もう一度言うよ。俺たち、別れよう。」
「なん、、、で。」
シンの言葉にやっとルカが言葉を発する。
「何で、別れないといけないの?私のことが嫌いになった?」
ルカの悲痛な声にシンは首を横に振りかけて、けれど、ゆっくりと頷いた。
「うん。今のルカは、、、嫌いだ。」
覚悟して放ったはずの自分の言葉が、自分自身を痛めつけた。
 目の前で、ルカの大きく見開かれたその瞳の色が絶望の色に染まってゆく。ゆるゆると涙が溜まり、溢れてルカの白い頬の上を流れ落ちる。
「何で、私が我侭ばかり言うから?」
「ちがう。そうじゃない。、、、じぶんの気持ちに嘘をついているルカが嫌いなんだ。」
「嘘なんか、ついてない。本当にシンの傍にいたいもの。」
そうぽろぽろと涙をこぼしながらルカが言う。ルカの、2人の関係を繋ぎとめるのに必死になっている様子に、シンの中に一瞬、暗い喜びが生まれる。ルカがこんなにも自分を必要としているのだ。と思うと嬉しくて、今自分が言ったことは嘘だ。と言いたくなった。
 けれど、それは違う。
 ゆるり、と首を横に振り、シンは言葉を放った。
「本当はもっと歌いたいくせに。折角チャンスがあるのに、自分の気持ちに嘘をついて、自分のやりたいことをやらないのは本当に腹が立つ。」
そうしてシンは冷たく言い放つ。
「だから、今のルカは嫌いだ。」
ふと、ルカの指先から力が抜けた。
「、、、本当に私の事が嫌い?」
「、、、うん。」
「もう、無理?」
「うん。」
シンの言葉に、ルカがそう。とどこか放心した様子で呟いた。
 ごめん、とか、ゆるして、とかそんな言葉は通用しない。酷く、傷つけたのだ。きっと許されることは無いだろうし、許されるつもりもなかった。シンが手を離すと、ルカの手はぱたん。と力なく垂れ下がった。
 2人を繋いでいた絆が解け、滑り落ちるように離れていった。

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ひかりのなか、君が笑う・10~Just Be Friends~

閲覧数:165

投稿日:2009/11/12 19:27:22

文字数:2,865文字

カテゴリ:小説

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