3、冬につく慰めの嘘
「……やっぱりいいや」
僕はそう言って窓に目を落とす。
「え、なんで? 遠慮しなくていいよ」
「遠慮なんてしてないよ。僕の意思で決めたことなんだから」
「そう」
加治屋さんはそう言って窓を見る。
本当は怖かっただけなのに。
人に自分の本心を現すのが怖いだけなのに。
どうしてこんな下手な嘘しか吐けないのだろう。
情けない……。
「嘘じゃないよね」
しばらくして加治屋さんが口を開いた。
「え?」
いきなりのことで驚いた。心の内を当てられたのだから。
「嘘吐いて遠慮なんかしてないよね?」
さらに加治屋さんは僕に追い討ちをかける。
「いや……」
僕は戸惑って理由を考えていた。
「あ、ごめん。図々しかったよね……」
加治屋さんはそう言うと申し訳なさそうに俯く。
「そんなわけじゃないんだ……」
図々しいのは僕のほうなんだ……。
そんなに自分を責めないでくれ。
僕が……。僕が自分に嘘を吐いているだけなんだ。
それ以上言わないでくれ。
*
帰る時間帯にも雪が降っていた。
運動場は真っ白になっており、見るだけで寒い。
久しぶりにこんな雪景色を見た。
今は、雪が少し止んできて代わりに雨が降ってきた。
小雨までとはいかないくらい小さな粒の雨だ。
今日は少しだけ運がよい。
傘を持ってきていた。
これがないと雨をかぶって風邪を引いてしまう。
帰ろうと思い、昇降口から出て傘を開くところで動きを止めた。
昇降口では加治屋さんが傘を持っていないままで帰ろうとしていた。
あのままじゃ風邪引きそうだ。
僕はそう思って加治屋さんのところに駆け寄る。
「傘。忘れたの?」
「あ、鹿野君。うん。忘れちゃった」
「そっか。じゃあ一緒に帰る?」
「え、でも鹿野君の家方向違うし……」
「ああ。あれは本物の家じゃないんだよ。本物の家は加治屋さんの家と一緒の方向にあるんだ」
僕はそう言って加治屋さんの頭の上に傘をかぶせる。
「そうなんだ。じゃあ……おじゃまします」
加治屋さんはそう言ってニコッと笑う。
正直、ドキッとした。
こんなのずるいよね。
「鹿野君今日はよかったの?」
「ん? なにが?」
加治屋さんの赤いマフラーが揺れる。
それを見てあの時の光景がまた目に浮かぶ。
『あんたなんてねぇ!』
あの人の声がまた頭を埋め尽くす。
あの人の手にはいつものように赤いマフラーが握ってあった。
するとまたいつものように頭がくらくらしてくる。
「ちょ……鹿野君?」
僕は気付いたら歩道に膝をついていた。
加治屋さんの手が僕の背中についている。
感触で大体判る。
「鹿野君! 大丈夫!?」
加治屋さんは少しパニックに陥っているようだった。
心配してくれているのかな?
「だ……大丈夫だよ」
僕はそう言って自力で立つ。
少し頭が痛いが気にしない。
僕が膝をついたせいか膝が少し濡れていた。
「どうかしたの?」
「いや。どうもしてないよ。帰ろうか」
僕は傘を持ち直して歩き出す。
だが、誰かが僕の手を握る。
加治屋さんだ。
「どうしたの?」
僕がそう言って振り向くと加治屋さんは顔を隠していた。
「ど……どうしたの?」
「えぐっ……。よかぁったぁ……」
加治屋さんは泣いていたのだ。
「なんで……なんで泣いているの?」
思わず僕は質問してしまった。
「だってぇ。だってぇ。鹿野君が心配だったの。心配だったから」
加治屋さんはだんだんと呼吸を取り戻してきた。
でも目からは涙が零れ落ちていた。
「……ごめん」
僕はそう言って泣いている加治屋さんの頭を撫でた。
*
「落ち着いた?」
鹿野君はそう言って私に自動販売機で売ってあるココアを差し出した。
鹿野君が少し休みたいと言ったので、今は使われていないバス停(椅子、屋根あり)で休憩をとることにした。
「ありがとう。お金返すよ」
「いや。迷惑料だからいいよ」
鹿野君はそう言って私の横に座る。
少し邪魔になるかな?と思い私は右にずれた。
「ここでいいよ」
鹿野君はそう言うと私の手を握る。
驚いて鹿野君の顔を見ると、とても真剣な顔つきをしていた。
早くして何かに気付いたかのように私の手を離した。
「わっ。ご、ごめん。勢い余って……。その……。悪気はなかったんだよ」
鹿野君はそう言って自分の頭をかき回す。
頭をかき回すたびに鹿野君のシャンプーの匂いが鼻をつつく。
「別に……いいよ」
私はそう言って鹿野君の手を握り返した。
「え……?」
少し拍子抜けした鹿野君の声が聞こえる。
「私は構わないよ。鹿野君が心配だし」
少し恥ずかしかった。でも、友達のためだから……。
ただ私が一方的に友達と思っているのかもしれないけれど構わない。
鹿野君がこれで幸せならいい。
「ありがとう。加治屋さん」
そう言うと鹿野君の左手が私の手を握りしめた。そんなに寂しかったのかな?
「でもなんであんなことになったの?」
「ああ。昔からのトラウマってやつ? その赤いマフラーを見ると起こるんだよね。発作みたいなのが」
「え、どうして……」
私がそう言うと鹿野君は缶を開けた。
そして一飲みして質問に答えた。
「昔、実の母親に虐待されてね。昔のことだから思い出したくはないんだけど……殴られたり、赤いマフラーで首絞められたり。浴槽に水が入っているのにそこに入れられ蓋を閉められたりした。死ぬ間際のことを色々された。こんなことは五歳くらいまで続いたよ。でも僕はなんでお母さんが怒っているのかわからなかった。いつも虐待されるときは『あんたがいなければ』って言葉を口にしていたから僕関連のことでなんかあったんだろう」
鹿野君はそう言うと苦笑いを浮かべた。
私はこの話をただただ静かに聴くことしかできない。
鹿野君はまだ続ける。
「叔母さんから聴いたけど、僕のお父さんまともな人じゃなかったらしい。ギャンブル中毒ってやつ。あれだったらしくてね。お母さんが僕をおろしたら夜逃げしたらしい。それがお母さんは気に食わなかったんだろうね。だから僕に虐待したんだろう。しばらくして警察が来て僕は保護されて、お母さんは逮捕された」
鹿野君はそこまで言うと話すのをやめた。
「でも、本当は……」
鹿野君はしばらくして口を開いた。
鹿野君を見ると目には少し涙をためていた。
「虐待は嫌だった。でも本当は……もっと愛してもらいたかった。今は叔父さんと叔母さんに育ててもらって感謝している。でも、実の母親にもっと愛してもらいたかった。色んなことを教えてもらいたかった。母の日には真っ赤なカーネーションを贈ってあげて。誕生日には家事とか手伝ってあげたかった。でも……。なんで……。愛してくれなかったんだろう……」
鹿野君はそう言いながら涙を拭う。
私は本当に惨めだ。
横で苦しんでいる人がいるのに……。
何もできないなんて……。
握りしめていた鹿野君の手が。
温かく思えて。
大きく見えて。
私まで泣き出しそうになっていた。
「大丈夫……。大丈夫だよ……」
私はそう言って鹿野君を抱きしめた。
かけてあげる言葉はこんなものしかなかった。
どこにも大丈夫という保障はないけれど私は惨めだからそれだけしか言えなかった。
抱きしめた鹿野君が私の背中を強く抱きしめた。
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