澄み切っていたはずの天候は徐々に鈍色が覆い始めていた。午後には雨が降り出すことだろう。
天候の方は不調だが、スケジュールの方は思いのほかすっきりとしており、早々と仕事を引き上げた私は、仕事仲間のランスと事務所のソファーでくつろいでいた。
その時、憤怒の形相で顔面を歪ませた白衣の人物が二名、事務室の扉を壊れんばかりの勢いで解き放った。
とはいえその顔には見覚えがあった。昨日、私が仲間と共に訪れたとある研究室にいた青年と、そこで社長と呼ばれていた中年の男。
あの時は素直に我々の言葉に従っていたものの、この時ばかりはそう大人しくしてくれはしないだろう。
二人がこの場に乗り込んできた理由は、明白だった。
「何だ突然。ホームズの連中はノックも知らんのか?」
広げていた新聞を床にたたき落とし、苛立った顔のランスがソファーから上体を起こした。
例えどのような相手が爆発寸前の爆弾のような状態であっても、ランスは軽いジョークを飛ばし、相手を挑発する。それが自分に憤る相手に対する彼流の挨拶なのだ。
「我々が開発した新型アンドロイドの開発の件、あれは本当なのか? 本当に開発を止めろというのか? いやそれだけならまだしも、それだけなら・・・・・・!」
社長は怒りを漂わせた声色でランスに問いを突きつけた。荒らげないではいるものの、いつ怒鳴り始めるか思えるほど声が震えている。
「そう怒らんで欲しいね。俺もそこそこ行けるとは思ったさ。だが本社会議じゃ通らなかったのよ。コスト問題や需要、その他諸々で却下と言うわけ。」
そう投げるように言い放ち、ランスは再びソファーに寝転がった。
「でも、だからって試作品を、ミクを回収して、廃棄する事ないじゃないですか! どうしてそんなことを!?」
今度は青年が悲痛な声を上げた。
そんな二人の態度を前にしても、ランスは眉ひとつ動かさないどころか、いつの間にか携帯電話を手にメールのチェックを初めている。
「ホームズには当分従来シリーズの改良と安定したヤツの生産を専攻して欲しいんだと。だからあんまり斬新過ぎる開発してると、そっちにしか手が回らなくなるからね。結構よくできてるのにね。まあ、従わなない訳にもいかないでしょ。お宅ら大分おエラ方に疎まれてるようだし、ただでさえアレの開発も本社の許可なしに始めたんだから、ヘンに反抗したりすると知らないよ。」
いかにも気怠そうに言葉を吐き捨てるランスの視線が、ふと私を捉え、不気味な笑みに歪んだ。
「ぐぅ・・・・・・・!」
社長は何かを怒鳴り出す素振りを見せたが、ランスの言葉に反論できるはずもなく、その行動を押し留めた。
「社長・・・・・・もう・・・・・・!」
「しかし・・・・・・。」
「仕方がありません。皆の為です。ここは引きましょう。」
まだ悔やみきれぬであろう青年が我々に向けて小さく頭を下げた。
「失礼、しました・・・・・・。」
そして二人は、悔いを残し、事務室を後にした。
「貴方がこうも乗り気になってくださるとは思わなかったよ。ランス。」
騒がしい人物が去り、しん静まり返った事務室の中そう告呟くと、ソファーの背もたれに隠れ、ランスが鼻で笑った。
「あんたの腹積もりに、俺も興味を持った。だから仰せの通りにしたまでだ。別にあんたのためにやってあげたんじゃないんだかね、という訳じゃないが。」
ランスの滑稽な言い草に、私も思わず口元を微笑ませた。
「・・・・・・それにしてもいつ私の手にはいるんでしょうかね。ああ、今からも楽しみです。」
そう口に出せば尚更、思いが馳せるものだ。
「なに言ってんだよ。俺とあんたで山分けだろ。俺が一通りいじったら、あんたにくれてやるさ。」
「ありがとうございますね・・・・・・。」
私の礼に、彼は鼻笑いで答えた。
ふと窓に視線をずらすと、陽光は既に無く、空は殆ど鈍色と化していた。
◆◇◆◇◆◇
今だ体を蝕む魔は通り過ぎてくれない。
脇から取り出した体温計は何も知らぬ様子で平熱だと表示するが、この体温計に体温以外を計る機能があれば、こんな小さな表示窓には収まりきらないほどの異常が出てくるだろう。頭痛に吐き気、気怠さ、ベッドから立ち上がることさえままならない目眩。体調は今だ、最悪を維持していた。
むしろこのまま悪化して行くのだろうと思ってしまう。
飲食物は喉を通らず、というか、飲み込んだ次の瞬間吐き出してしまわないか不安になり、結局何も喉を通らずに、空腹感と疲労感だけが増え、体力と意識が削り取られて行く。
せめて、僕の隣に誰かが居てくれたら、ここまで衰弱することはなかっただろう。鈴木君が、急に僕の目の前から去ってしまわなかったら。
当然ながら、仕事で貯めたお金で家を買い、独立したその後は一人暮らしの生活だった。
こんな広い家にたった一人で暮らし始めて、早二年。
そんな月日を経ても、僕はまだ、自分以外の誰もいないこの家の中で暮らすことに抵抗を感じていた。
周囲の誰もが勧め、援助した。自分の家を持った方がいいと。僕もそれに従った。
しかしいざ一人で暮らし始めると、言いようの無い孤独感に襲われ、夜も眠れない日々が続いた。僕が会社の仮眠室ら度々寝泊まりしたり、休日出勤する理由もそれにある。いわゆる、逃避だ。
だが、この体たらくでは、そんなことさえできなかった。
誰もいない薄暗い空間で一人ベッドに伏して、ただ弱々しく呼吸することしかできない。
そんな無意味な命で生きるこの僕は、この孤独な場所で・・・・・・。
その時、枕元の携帯電話がメールの着信音を奏でた。
震える手で携帯電話を開き、霞む視界でメールの内容を読み進めて行く。
だが、その一文を見て、僕は、目を見開いて、一瞬呼吸を忘れた。
納得できない。認めたくない。未間違いだと思い、何度も見返した。それでも、その文章は変わらなかった。その送信者が、鈴木君だと言うことも。
全てを読み終わったその時、僕の体は無意識にベッドから立ち上がっていた。
頭痛と吐気と目眩に縛られていたはずの体が、動き始めた。
朦朧とする意識の中、僕はコートを羽織り、部屋の中にあるものを手当たり次第握り締め、ふらつく足で玄関に向かっていた。
「嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だ・・・・・・イヤだ・・・・・・。」
口が、体が、僕の意志に逆らい始める。それとも、潜在意識の中から表面に這い上がってきた言葉なのか。
無意識じゃない。じゃあ、この感情は一体何だろう?
何かが僕を付き動かした。僕の中にある何かが、衰弱しきった体に鞭を打ち、立ち上がらせたのだろうか。
感覚の無い指先で玄関の扉を開くと、そこにはまだ、薄暗い世界が広がっていた。
頭上に、冷たい感覚が幾つも滴り落ち、体の中に染み込んで行く。
ぱらぱらと、冷たい雫の降り注ぐ中、僕は歩き出した。
ミクの、元へ。
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