19、次の日の話
「珍しいな」
康永はそう言って家の戸を開ける。
「ちょっとね」
俺は康永を家の中に入れる。ここは俺の家。造りは和風で縁側などが風流漂う家だ。この家は嫌いじゃない。
「いつものところに行っててよ。お茶持ってくるから」
俺がそう言うと、康永は玄関から入って突き当たりの部屋に入る。そこが俺の部屋だ。康永とはよく遊んでいるので、そんなこと言わずとも康永は自然と俺の部屋に吸い込まれていく。
「お待たせ」
おぼんに麦茶の入ったコップを載せて部屋に入る。ついでにポテトチップスも乗せる。
「お、俺のテレパシーが伝わったか」
康永がポテトチップスの袋を見てそう言った。
「そうだろ? 俺はお前のテレパシーが伝わったんだ」
冗談交じりにそう言って、小さいテーブルにおぼんを置いた。
「おっ。テレパシーは失敗のようだ」
「なんで?」
康永はそう言って、味が書いてある部分を指差す。
「のりしおが食べたかったんだよな」
「知らねぇよ」
笑いながらポテトチップスの袋を開ける。
「んで? どうした?」
ポテトチップスを一枚掴んで康永は口に放り込んだ。
「相談って言わなかったっけ?」
「まぁ。言った。その相談の中身がどうしたって聴いてるんだよ」
ベッドに凭れかかりながら康永は言う。
「……。大友さんのこと」
そう言うと、「あぁ」と康永が呟いた。
「最近噂になってんな」
「は? どゆこと?」
噂って。大友さんが俺に告白したってことが噂になってるわけ? いや、俺は誰にも他言してないから……。
「お前が大友さんの家に出入りしてるって噂」
俺はそれを聴いてため息を一つつく。
「それかよ。まぁそれもそれだけどさ……」
「それもそれってなんだよ。もしかして、噂になってることを相談したいわけ?」
「いや、違う」
少しヒヤッとしたので麦茶をすすった。そして康永に話す。
「大友さんにさ。告られた」
自分で言って何だが、頬が熱い。きっと赤くなっているのだろう。こんなに照れくさい思いをしたのは久しぶりだ。
「よかったじゃないか」
康永は他人事のように呟く。まぁ、実際に他人事なので何にも言えない。
「んで? なんて言われたんだ?」
康永はそう言って、目を光らせてこっちを見た。
「いや、ずっと好きだったけど、俺が大杉さんのことしか話さないから悲しかったみたいな……」
「付き合ってって言われたの?」
「いや、言われてない」
俺がそう言うと康永はきょとんとした。
「じゃあ告白じゃねえや。いや、意味的には告白になるのか」
「付き合わなくてもいいよな?」
「その場合はいいんじゃないか? 受験も近いしそんな恋愛にオチオチ浸ってるわけじゃダメだもんな」
康永はそう言って、あぐらを組んだ。部屋には沈黙が立ち込めて、気まずい雰囲気になってしまう。
「どうすればいい?」
「何を」
「大友さんを」
沈黙を突き破るように康永へ聴いた。
康永は一度だけ麦茶をすする。康永の喉が膨らんで麦茶が通るのが判る。
「ちなみに亮はどうしたいわけ?」
康永はそう言って俺の目をグッと見る。返答に困り、目を泳がせていると、康永が言葉を付け足した。
「大杉さんと大友さん、どっちをとるの?」
一番相談したかったのはこれだ。これに悩んでいた。
「それに悩んでいるんだな」
俺の顔色を伺って、康永が言った。頷くと康永が口を開く。
「亮はどっちが好きなの?」
好きとか最近考えてなかった。大友さんとそういう話をしてなかったからか、大杉さんのことも考えていなかった。しばらく黙り込んでいると、康永が麦茶を飲む。すると、康永の麦茶がなくなったので、俺は康永のマグカップを持って立ち上がった。
「おぉ。すまんな」康永は右手を上げて礼を言った。
「あぁ」と言いながら部屋を出る。色々考えた。このまま、大友さんに返事をしなかったら気まずい関係が続いてしまうのか。俺は今でも大杉さんのことが好きなのか。そう考えているといつの間にか、自分の部屋の前にいた。
入ると、康永が手を上げてありがとうと言っていた。
「たぶん、好きとかそういう感情がどっか行ったんだと思う」
は? と康永が言葉を漏らす。
「最近、そういうのは考えてなかったからそこらへんの感覚が麻痺してるのかもしれない」
「そういうことってあるのか?」
「あるんじゃない?」
康永が呆れたようなため息をつく。
「別にさ、いつでも好きな人がいないといけない訳じゃないだろ? じゃあ、いいじゃないか。大友さんへの返事をOKすればいいじゃないか」
「でも……。大友さんの中で俺は大杉さんが好きってことになってるし……」
そう言うと康永はまたため息をつく。そして、真剣な眼で俺を見た。サッカーをするときのような康永の眼だ。
「それはただ、お前のプライドだろ。大友さんがかわいそうだからっていう情だろうが。それとこれとは話が違うんじゃないか? なんで強情張ってんだよ。もう亮の中では大杉さんのことは『感情がどっか行った』存在だろ? そこまでしてでも、情を張るなら逆に大杉さんがかわいそうだぞ」
康永は息継ぎをせずにそう言った。
沈黙が俺たちを包んだ。俺はなんとも言えなかった。康永が言っていることがまとも過ぎて言葉にできなかった。
ここまで言われてやっと気付いた。
俺は自分に対して妙なプライドを押し付けていたのだと。
「さすがだな康永」
辛うじてでた言葉がそれだった。康永は「おう」と言って、いつもの調子で麦茶をすすった。
*
夕ご飯の支度ができたから、テーブルに夕飯を配膳していた。今日は少し冷える。最近までは残暑がジワジワと体を覆っていたが、今日は寒い。風が吹いているからだろうか、今日ばかりは秋物の長袖を着ている。
「宗助、食べよ」
私がそう言うと、宗助は「はぁい」と言って、椅子に座る。
「お姉ちゃん」
「ん?」
箸を並べている途中に、宗助が言う。
「今日、お兄ちゃん来ないよね?」
「うん。こないけど……。なんで?」
私がそう言うと、宗助は自分の横を指差した。
「これ、お兄ちゃんのだよね?」
そこには、亮の分の夕飯が配膳されていた。私は思わず「あらら」と声を上げてしまった。
なにしてんだろ。
「お姉ちゃん、昨日からボーっとしてるよ」
宗助が夕飯のオムライスにスプーンをさしこんでそう言った。
私は昨日、亮に告白した。改めて頭の中で告白の言葉を復唱すると後悔している。昨日、亮は帰ってしまったのだから。距離が開いてしまったのかもしれない。
そう思うと怖くなった。
普段の色彩の無い日常が、亮が来てくれるだけで色がついていくような感覚でとてもよかった。なのに。なんで結末がこんな悲しいのだろう。
心に溜め込んでいるやり場の無い気持ちを抱え込んでいると、インターフォンが鳴った。
私は足を滑れらすように、玄関へと向かいドアを開けた。
そこには亮がいた。
「こんばんは」亮はそう言って頭を下げた。「こんばんは」私も倣って頭を下げる。
「今日って、ご飯食べれるかな?」
亮はそう言って、照れたような表情を浮かべた。この照れた表情を見ると落ち着いた。
「あ、うん。間違えて用意しちゃったから、食べてって」
私がそう言って、家に入ると亮は笑顔を浮かべて
「ありがとう」
と呟いた。
なんだ。変に意識していたのは私だけだったのか。
バカみたいだったな。
*
康永が帰った後、家に電話がかかってきた。
お母さんからだった。
『亮?』
「あ、うん。俺だよ」
『今日ね、ちょっと仕事が長引いちゃった。お父さんも帰れないって言うし……。一応お姉ちゃんにも電話してみたけど出ないんだよね。だから今日も適当に済ませといてくれる?』
「うん。わかった」
『いつもごめんね。たまには亮も一緒に食べたいでしょ?』
「まぁね。でも、仕事だから仕方ないよ」
『そう。ありがとう。じゃあね』
「うん」
そう言って、受話器を戻す。
さぁて……どうしようか……。夕ご飯は。
姉ちゃんところに行きたいけど、隣の市にあるから行きたいけど行けない。康永は出かけるって言ってたしな。
じゃあ、思い当たるところはあそこしかないね。
少し気まずいけど行ってみよう。
*
大友家に行くと、大友さんは快く家に招待してくれた。
案外、向こうは気まずくも無いのか、眉一つ動かさない表情で。いつもの表情で俺を家に入れた。
なんだ。こんなもんか。
意識していたのが自分だけだったみたいで、バカみたいだった。安心した。
*
「おいしかった」
亮はそう言って、手を合わせる。そして、台所に食器を持って行った。
「急だったのにごめんね」亮は照れたようにそう言う。
「ううん。いいよ。どうせ、亮の分間違えて作っちゃったんだし」
私がそう言うと亮は「そっか」と言ってクスリと笑った。
亮はやっぱり気にしていないみたいだ。ご飯を食べてるときも普通に話せたし、なんら変わりない普通の食事だった。
ご飯を食べ終わって、亮はソファーでくつろぐ。私は食器を洗っている。宗助は昨日録画したアニメを真剣に見ている。亮もそのアニメは見たことがあるらしく、宗助と話していた。私は見ないから題名まで覚えていない。
「手伝おうか?」
亮はいつの間にか私の横に来ていた。そして秋物の長袖の袖を捲くった。
「じゃあ、お願いしようかな」
少し考えて私は返事をした。
亮が私の左側に立っている。それだけでなぜか嬉しい。亮が近くにいるだけで嬉しい。これはやっぱり恋なのだろうなぁってつくづく思う。亮の肩が私に当たる。亮は「あ、ごめん」と軽く流すだけだけど、私は胸の高鳴りを押さえることで精一杯だ。こんなにも亮が好きなんて。自分でも思っていなかった。けれど昨日のことを思うと気持ちが憂鬱になってしまう。
「終わったぁ」
亮はそう言って、タオルで手を拭く。私も残っている洗剤を水で洗い流して手を拭き、皿洗いを終える。
私たちはいつも通り二人でソファに座る。
初めは恥ずかしかったけれど今では少し慣れた。この位置で私たちはテレビを観る。
土曜日なので、ゴールデンタイムは面白い番組が結構ある。
「大友さんのお母さんとお父さんは何の仕事をしてるの?」
急に亮がそう訊いてきたので、少し戸惑ってから答える。
「お父さんは雑誌の編集者で、お母さんはカメラマンだよ。今は雑誌の〆切が近いから二人ともろくに帰って来れないみたい。あと少しで帰ってくるみたいだけど。亮のお父さんとお母さんは?」
逆に訊き返すと亮は答えを用意していたように口を開いた。
「お父さんが銀行員。お母さんがデザイナーだよ。お父さんは今熊本にいるから単身赴任だよ。お母さんは秋ごろが一番忙しいみたい。だから帰ってこない」
亮は笑いながらそう言った。
「辛くない?」私が訊いた。
「うん。辛くないよ。慣れてるからね」
ふーん。と相槌を打つと亮から「大友さんは辛くないの?」と訊かれる。
「私? 私は少し辛いかな。休みの人かも自分で家事しなくちゃいけないから、遊ぶ暇とかあんまり無くて。普通に買い物とかして遊んでみたいなぁって思うよ」
正直な気持ちだった。誰にも言ったことがない気持ち。なぜか亮にだけは抵抗無く言えた。
「あのさ、」
亮はそう言って私の顔を見た。私も亮の顔を見ると、亮の顔は真っ赤だった。なぜか亮が今から言うことをわかってしまった。
「昨日、逃げてごめん。怖くなっちゃってさ……」
亮はそう言って拳で口元を隠す。
「あんなこと言われたの初めてだから、どう対応すればいいかわからなかった。それと同時に、これからどうすればいいかって思った。ここですぐ返事をしてしまうと大友さんと距離が開いてしまいそうだったし、何も言わなくても距離が開いてしまいそうだった。それが怖かった。だから逃げたんだ。ごめん」
真っ赤な顔をして頭を下げた亮の髪をクシャリと触る。そして撫でた。
「そんなこと、いいよ。私だってすぐ逃げちゃったんだから。気にしないで」
ずっと亮の頭を撫でていると、亮が頭を上げた。
「撫ですぎ」
頬を膨らませてそういう姿はかわいかった。亮に言うと怒るだろうから含み笑いだけ浮かべることにした。
「決心ついたし」
亮は笑う私の顔を見て、次にテレビに目を向ける。
「康永に相談した。自分が大友さんとどうしたいのかって。康永がちゃんと話を聴いてくれたおかげでやっと大友さんへの気持ちに気付いたし、決心がついた」
亮はそこまで一気に言う。そして、小さい手で私の手をぎゅうっと掴んだ。
「俺は、大友さんとずっと一緒にいたい。過剰表現じゃないよ。ずっと一緒にいたい。一緒に笑って、一緒にご飯食べて、一緒にテレビ観て。こんな日常なら楽しいって気付けた。これからもっともっと、皆の知らない大友さんを知れたらいいと思えたんだ。たぶん、これが俺の決心かな」
この言葉を言う途中で亮の顔が完全に真っ赤になり最後は顔を覆って話していた。
私は亮に握られた手を振り払い、亮の手をもう一度ぎゅうっと掴んだ。亮は私の顔をみて驚くような素振りを見せる。そしてすぐに顔を耳まで赤くする。
私も恥ずかしくなったから。聴いていてもどかしくなって、やっぱり亮を好きでいてくれてよかったと思った。
「私もそう思うよ」
私はそう言って微笑んだ。
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