21.メソポタミア文字の謎
 翌朝、ためらいがちなノックの音で目が覚めた。
「朝食ができました」
と言う林の声がした。急いで綿パンと長袖のTシャツをショルダーバックから取り出した。二階の二十平米程のゲストルームから階下の食堂に下りて行った。食堂は玄関と車庫の間にあった。十八畳程の広さで、中央に六人掛けの黒檀のダイニングテーブルがあった。天板に蓮の花弁が象嵌されていた。テーブルとバックヤードの間の目の粗いレースのカーテンの脇に月下美人の鉢があった。朝食後、林は友人の検視官のオフィスに電話をかけた。土岐は応接間で林と向かい合って座り話を聞いていた。全く理解できなかった。林は土岐がメモしたナンバープレートを読み上げた。電話をかけ終えてから会話の内容を説明してくれた。
「昨夜行った家の住民についての情報をお願いしました。分かったら市警の方からこちらに電話をくれるそうです。ナンバープレートの方は今読み上げましたが、パソコンのメールで送信してくれということなので、そこのパソコンで送信します」
と言いながらデスクトップの電源を入れた。林は老眼鏡をかけて土岐のメモを見ながらメールを打っている。土岐は話題を変えた。
「今日は、昨日の晩行った家の住民を調べようかと思うんですが」
「それなら市警からの電話を待ってから行きましょうか」
と言う間もなく林はメールを送信した。土岐は思いついたように、
「3411でWEB検索してもらえますか?」
「何かヒットするかも知れないですな」
と林は検索ワードに3411と打ち込んでエンターキーを叩いた。ムカデの子供が巨大な卵から排出されるようにヒットしたサイトがうじゃうじゃと出てきた。
「三千件以上ありますな。電話番号、登録番号、掲載番号、ページ番号ということですか」
と言いながら林はひとつひとつ画面をスクロールしながら確認し、クリックを繰り返した。
「きりがないですね。他にキーワードがないから、絞りようがないですね。日本に帰ったらいろんな検索エンジンでやってみます」
と土岐は日本に帰ってからゆっくりと見ることにしようと考えた。
「南條警部のメールが五月雨的に来ているのですよ。思いつくとすぐ送信するみたいで今回の件について断片的なメールがもう十通ぐらいあるのです。まるでメールのジグゾーパズルみたいです。でも、この件についての彼の気迫が伝わってくるようです」
と言いながら、林は保存ファイルに格納された南條からのメールの件名リストを土岐にみせた。件名は通し番号になっているだけで内容は分からない。
「まだじっくり読んでいないのですが、あなたにも依頼したが私の方からもこちらの様子をメールで送信してくれと言うので昨日の状況は今朝あなたが眠っている時間に送信しておきました。すると早速返信があって色々と質問があって、まだ全部には回答していないのですがホスピタリティコンベンションについての調査依頼もありました。年を取ると早朝に眼が覚めてしまって一度トイレで眼が覚めると、それからもう寝付けないのです。久しぶりの日本語のメールで、いい時間つぶしになりました」
と好々爺のように林は話す。暫くして林の携帯電話に着信があった。林が出た。どんな会話が交わされているか、土岐には分からなかった。やりとりが数分の間続いた。電話が終わるとツンボ桟敷の土岐に林が通訳ガイドのように説明してくれた。
「あの家の住民は、ジェイムズ・ノイマンです」
「ジェイムズ・ノイマン?ということはイニシャルはJ・Nですね」
「それがどうかしたんですか?」
「バッジです。かれらが胸につけていたバッジが、J・Nなんです」
「バッジにイニシャルがはいるのはよくあることです。ほらエンゲージリングにお互いのイニシャルを入れるでしょう。MLBのワールドシリーズで優勝したチームもイニシャル入りのチャンピョンズリングを作りますよ。肩こりしそうな馬鹿みたいに大きいやつで」「それがアルファベットじゃなくてメソポタミア文字なんです」
「メソポタミア文字?なんですかそれ?」
「メソポタミア文字でjとnを表すバッジを彼らはつけていた」
「へー偶然ですかね。それとも会員証か何かの代わりなのですかね。それで、さっきの続きですが、あそこのノイマン夫婦はともにドリムランドの着ぐるみの職員だそうです。四十代の夫婦二人住まいで子供はいないそうです。近所や勤務先の評判は悪くないそうです。ただ旦那の方は少女を自分の車に連れ込んだところを駐車場の職員に何回か目撃されていて、すぐ解放したそうですが、ロリータ趣味があるのではないかと、ロス市警にマークされているようです。本人は迷子の少女を自宅迄車に乗せて行ったと言っているようですが。いまのところ、それだけで、前科はないそうです」
「その、少女というのが気になりますね」
「そうは言ってもこの国では少女の行方不明は日常茶飯で今朝の新聞の訊ね人の欄でも少女の写真が何枚も並んでいましたよ。でもどういう訳か少年も皆無ではないけれどミッシングガールの方が多いですな。この国には人が滅多に通らないような土地が沢山あってそういう所に死体を投げ捨てたらまず見つからないでしょうな。住宅街を少し抜けるとそういう土地がごろごろしていて、ぞっとするような怖い国柄です。実際未解決の殺人事件が多くて、つかまっていない殺人犯がうようよいるような土地です。殺人事件だと分かればまだいい方で死体が発見されないので行方不明で処理されている殺人は事件化されたものの数倍、数十倍はあるのではないでしょうか」と言う林の話を聞きながら、背筋がエアコンの温風に煽られて凍り付くような悪寒を土岐は感じていた。
「ナンバープレートに関する情報は車当たりしているので少し待って欲しいということです。自動検索でやるのでフィンガープリントと同じでデータ量は膨大なんですが時間はかからないと思います」
 二人はホスピタリティコンベンションのあるホテルと昨夜の民家に再び行ってみることにした。先にレイクウッドに行くことにした。
昨夜の民家の前に着いた。辺りに高い建物がなく空が広いせいか底抜けの開放感があった。暗い空に抑圧されたような昨夜と比べると印象が全く違っていた。その民家には誰もいないようで生活のしるしがうかがえなかった。時折空っ風のように自動車が通り過ぎるだけで人通りが全くなかった。この道路に限らず、自動車に乗っていると滅多に歩行者を見かけない。たまたまマウンテンバイクに乗った少年が通りかかったので車の中から林が声をかけた。何を聞いているのか、土岐には全く分からなかった。ひと言ふた言会話を交わしただけで、赤毛の少年はお尻を浮かせて飛ぶように去って行った。
「昨夜のことを聞いてみたのですが、毎年来ているみたいですな、この時期に。ということは毎年、ホスピタリティコンベンションにあわせて、ここに集まるということなのでしょうかな」
と林が短くて太い腕組をして思案しかけたところに着信音が鳴った。林はポケットから取り出して、もどかしそうに受信ボタンを押して、
「ナンバーを書いたメモを見せて」
ところころした熊のような手を出した。土岐がポケットをまさぐってメモを出すと林はしかめ面でそれを遠目に見ながら携帯電話に聞き入っていた。電話を終えると林は内容を改めてまとめ直した。
「多くはかなり古いもので廃車扱いだそうです。西海岸と中西部で、みんなここからそれ程遠くはない。と言ってもどこも半日はかかる地域で。ただ廃車でない登録者に公立の教育関係者がいるそうです。しかも小学校からハイスクール迄で大学関係者はいないようですな。なにかのマニア関係者の集まりだったのですかな」
「永山奈津子も、あの家の住民も教育関係者ではないですよ」
「ドリムランドと初中等教育の間に何か関係があるのでしょうか」
「あります。集まったのが教育関係者であれば少女です」
「そうでしょうけど。少女なんかファストフードのお店にもいますからな。テーマパークと学校に限ったものではないでしょう」
と林に言われて土岐は黙った。暫くして、
「それから詳しいデータはメールでくれるというのであとでプリントアウトしてお渡しします。そろそろホテルに行って見ますか?」と林の方から声を掛けてきた。
「ええ。これ以上ここにいても、収穫はなさそうですから」
「そう言えば」
と林がハンドルをゆっくりと切りながら言い出した。
「あの別嬪さん、どこかで見たことがあるような気がしていたのですが。アメリカに長くいると目がアメリカ人的になって東洋人の顔はどれも同じに見えてくるのですが、私も初めてアメリカに来てアメリカ人を見た時は違いは髪の毛の色と眼の色と肌の色の違い位で、どの人も同じように見えたものですが、あの別嬪さん、どこかで」
「会ったことがあるんですか?」
と土岐は林の横顔に聞き返した。林は首をゆっくり左右に振る。
「写真だったかも知れないですな」
「雑誌かなにかですか?」
と土岐は興味を示した。林宅に戻ってからパソコンで3411とミッシングガールのキーワードでもう一度検索してみた。検索されたのは3サイト。林は3サイトを順に開いていった。1番目のサイトでは1934年11月に失踪した少女がヒットした。2番目のサイトでは身長3フィート4インチ、体重11ポンドの失踪少女がヒットした。3番目のサイトはダイイングメッセージが3411の失踪少女がヒットした。土岐は最後のサイトの和訳を林にお願いした。
「失踪した少女は遺体で発見された。空き家のリビングの床に○○△―のダイイングメッセージがあった。遺族は3411だと主張したが市警は不明と判断した」
「それはどこの記述ですか?少女の名前は?」
と土岐が問う。林は記述全体のタイトルを確認する。
「これは失踪して殺害された少女の一覧表。場所はピッツバーグ。名前はnaとなっているから多分遺族の希望で伏せられています。失踪した直後は誘拐の可能性もあるので名前は公表しないことも」
「naって何ですか」
「not available」
「それ調べられますか?」
「お安い御用です。調査結果はメールで南條刑事に後日送信するということでいいですか」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

土岐明調査報告書「Nの復讐」21.メソポタミア文字の謎

閲覧数:33

投稿日:2022/04/03 05:14:54

文字数:4,210文字

カテゴリ:小説

クリップボードにコピーしました