飛び込んだ、そこは、本当に、一面の暗闇だった。蓮と鈴のほかには、何も無い。蓮と鈴は、身を寄せ合って、辺りを見回した。
「何か、本当に、何も無いね」
「ああ……これじゃ、方角も何も無いな」
今にも、飲まれてしまいそうな暗闇を、見据えながら、蓮と鈴は、囁きあった。励ましあうように、ぎゅっと、強く、お互いの手を握る。
何も無かった暗闇の中に、ふと、蓮と鈴以外の何かが、すくっと、立ち上がった。それは、篝火のような、赤い花だった。
蓮と鈴が、目を見張る間に、赤い花は、線を築くように、次々と、咲き始めた。
そして、あれほど、何も無かった暗闇に、瞬く間に、火の川のような、赤い花が現れたのだ。
刹那、風にでも、吹かれたように、一斉に、赤い花が揺らめいて、燃え上がった。
水の花びら わとなりて
荒れ狂う炎をしずめよ
天高く 自由に舞う風たち
私たちの道ふさぐ 炎 払って
勢いよく、燃え広がり、火の海となって、波打ち始めた赤い花に、水の花びらが、合わさりあい、大きな輪となって、中心に向かって、飛沫を上げた。それには、火も、堪らずに、止まった
そして、強い風が上から、火を払って、蓮と鈴が翔けれるほどの道ができた。
しかし、また、すぐに、大きな火の波が押し寄せてきた。
「埒が明かないな。鈴! こうなったら」
「うん!」
蓮と鈴は、頷き合うと、笑った。そして、同時に、唇を開いた。
火の花 風に吹かれ
炎の海 漂う
迷い子のような月
空と水の境で
生と死の境で
漂う双子の月鏡
火の海をさ迷っているのに、そこは、生と死の境なのに、蓮と鈴の心は、目映いほどに、平安だった。
額を触れ合わせて、微笑み合う。お互いが、思っていることが、そのまま、お互いの心に、映って見えた。だから、唇から、零れ出る言の葉が、一字、一句、違うことなく、合わさるのだ。
最も、だからこそ、この歌は、蓮と鈴の、どちらが、考えたものなのか、わからない。詩も、曲も、どちらの心が、強く、影響したのかなんて、全く、判別も、付かない。
でも、それでいいのだ。蓮と鈴は、確かに、違うが、彼らは、二人一対で、“双子の月鏡”なのだ。
そのしあわせな光は、暗闇を照らし、轟々(ごうごう)と騒いでいた火の海を、包み込んで、しずめさせた。
光が、ゆっくりと薄れ、暗闇の中で、蓮と鈴が、微笑みあったときだった。
刹那、蓮と鈴の真上を、ものすごい速さで、翔け抜けていったものがあったのだ。
それは、紅く燃える翼と、胸部に、紅い玉を持った、火の鳥だった。
「凄い……綺麗」
髪を乱しながらも、鈴は、翔ける火の鳥を目で追って、夢心地に、そう言って、蓮は、剣を抜き放った。
「ちゃうちゃう。綺麗じゃなくて、かっこいい!」
そして、鈴の言葉の訂正を求める声が、間髪いれずに、響いた。
「うん! すっごく、かっこい~!」
剣を取り落としそうになりながらも、神々しいばかりの、火の鳥の嘴(くちばし)から、放たれたはずの言葉を解釈できないでいた蓮は、当たり前のことのように、言葉通り、訂正する鈴の声に、戦意や警戒心が、暗闇の中を、虚しく、転がっていくのを感じた。
「そうそ。へへんっ! かっこいい俺様は、こんなこともできるんだぜっ!」
そう言うや否や、火の鳥は、翼を、大きく、それでいて、強風に煽られる羽衣のように、激しく、はためかせて、蓮と鈴の周りを、ジグザグに、翔け抜けた。
そして、仕上げとばかりに、二人に向かって、大きく、嘴を開けると、紅い炎を噴出したのだ。それは、瞬く間に、火の濁流になって、襲い掛かってきた。
刹那、蓮と鈴が歌おうとするより、早く、赤子ほどもありそうな、朱(あか)い金魚が、炎の前に、滑り込んだ。と、思いきや、金魚は、朱い、尾ひれのような帯や衣の少女となって、その手にした、朱い玉を翳(かざ)した。すると、炎は、瞬く間に、朱い玉に、吸い込まれていった。
「紅燈(アカイト)。お遊びが過ぎます。この方たちは、命炬様のお客様です」
まだ、幼い声が、大人のような調子で、紅い鳥を叱責した。
「だから、歓迎してやってんだろーが。正門から、入ってきた、お客様なんだから、普通の歓迎じゃ、つまんねーだろ」
紅い鳥、紅燈は、ひらりと、紅い髪と紅い衣の男になって、にやりと、笑って、そう言った。上半身は、衣を身につける気があるのかと言いたくなるほど、肌蹴させていて、その胸元には、やはり、紅い玉がきらめいていた。
「貴方のそれは、無礼です」
「ちゃうちゃう。舞礼(ぶれい)。華麗だろ?」
「付き合っていられません」
人差し指を振って、笑う紅燈に、少女は、小さく、ため息をつくと、居住まいを正して、蓮と鈴のほうに、向き直った。
「お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありません」
そう言って、少女は、綺麗な姿勢と、完璧な角度で、深々とお辞儀をした。その反動で、紅い帯が金魚のように、はねた。
「ようこそ、いらっしゃいました。遠方より、はるばる、お越し頂き、主も、大変、喜んでおります。私は炉理明子(ロリメイコ)、あちらは、紅燈です。不肖、私たちが、主のもとへ、ご案内させて頂きます」
「相変わらず、ちーめーは、硬いなぁ。そんなの。“良く、来たじゃんか。まぁ、楽しんでいけよ”でいーんだよ」
大の男と、小さい少女の、対極の言葉遣いに、蓮と鈴は、思わず、顔を見合わせた。なかなか、これほどの凸凹(でこぼこ)は、お目にかかれない。
「貴方のは、“軽い”を通り越しています。そんな、ふざけた挨拶がありますか?」
「あんだろーが。俺様は、いつも、こーだぜ」
きっと睨む炉理明子に、ニヤニヤと笑いながら、紅燈が返した。
「あははははっ♪ おもしろいね。二人とも。とっても、仲良し♪」
「お~! おもしれーだろ! 俺様たちゃ、仲良ーんだけど、ちーめーは、つんでれなんだ」
鈴が朗らかに笑って、そういうと、紅燈も、楽しそうに、そう言った。
「私は、つんでれではありません。お客様たちに、変なことを言わないで下さい。では、主のところへ、ご案内します。紅燈」
ムッとした顔で、そう言いながらも、鈴と蓮の手前か、かしこまって、そう言うと、紅燈を見据えた。
「わーってる!」
言葉の割りに、ニヤリと笑った、口元の割りに、紅燈の眼は、獲物でも、決めたように、真剣なものとなった。そして、胸もとの紅い玉に、両の手を翳す。
秘め事 何処(いずこ)に隠そうか
まったき 何も無い闇に
宮にいなさる 火女神(ひめがみ)の
息吹に かえそう 瞬く間
囃(はや)すように、掛け合うように、紅燈と炉理明子が歌うと、紅燈と炉理明子の両の手の中で、二つの異なるあかい色の玉が、瞬いた。
それは、あまりにも、眩しくて、蓮と鈴は、身を寄せ合って、庇いながら、ぎゅっと、目を瞑った。
「ようこそ。秘の宮へ。私が、火女神(ひめがみ)命炬(メイコ)よ。満月の神子たち」
ひどく、艶やかな声に、弾かれたように、蓮と鈴は、目を開けて、顔を上げた。
そこには、先ほどの、火の花を思い起こさせるような、赤い衣を纏った、美しい女性が、嫣然と微笑んでいた。
「火女神(ひめがみ)様?」
息を飲んで、身構える蓮の隣で、鈴が、女の童のように、首を傾げて、そう呼びかけた。
「私のことは、命炬でいいわよ。そうね。ふふふ。貴方が、よくやる、あの変わった呼び方でもいいわよ?」
赤い唇を、月のように、滑らかな孤を描かせて、命炬は、悪戯っぽく、そう言った。
「変わった呼び方って………命炬お姉ちゃん?」
「ふふふふ。そう。それくらい、気安く、呼んでくれていいのよ」
命炬は、満足そうに、笑って、鈴に頷いた。鈴も、また、ふわっと、嬉しそうに、笑って、頷いた。鈴の心を表すように、リン、リンと、鈴が鳴った。
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