「プレゼント、何が良い?」
明日の彼女の誕生日に、ボクはサプライズを諦めて、勇気を出してそう聞いてみた。
「…わがまま、言っていい?」
意外な彼女からの反応に、ボクは心から構わないと応えた。
「全然、大丈夫だよ?」
すると彼女は、ボクのポケットの中のそれを指差して呟いた。
「祐輔のそれが、欲しいの」
ポケットの中のそれ。所謂、皆が外出時に日常持ち歩いているもの。ボクはそれを手に取って、彼女に差し出した。
「これを?…本気で言ってる?」
それは財布でもなければ、一切金銭的なものではない。現代の文明が生み出した賜物だ。
「それがあれば、私は祐輔を信じて生きていけるの」
「いや、でもこれは、ボクが生きるために必要なものだからさ」
確かに今の時代、これがないと不便で仕方ないどころか、あって当たり前の個人ツールとして重宝されている。
「だから、それを私に持たせて欲しいの。何かある度に常に私を通してもらえば、祐輔の自由にしていいから」
「無理だよ、そんなの…」
ボクが真顔でそう言うと、彼女は心底悲しい顔をした。
「要するに、私は祐輔の中でそれ以下って事なんだよね。そんな現代が生み出した機械なんかに、私は敵わないんだもんね」
「いやさ、違うよ。こんなのとじゃあ、キミの大切さは勿論比べものにならないに決まってるじゃないか!」
ボクは必死とは言え、心ない事を口走っていた。
「だったら良かった、じゃあ祐輔のそれは、今日から私のものだよね?」
「…なんかさ、やっぱりおかしくない?」
ボクの不可解な疑問は、それでも尚遥かに理解を超えていた。
「何がおかしいの?じゃあ、私のを交換にあげるね。それで良いでしょ?」
「そういう事じゃなくて、さ…」
ボクはこれからどう生きていけば良いのか、分からなくなってきた。
とりあえず何をするにも、彼女に話を通してからでないと、ボクは人とコミュニケーションが取れないという事なのだ。
「私は祐輔がとても大切だから、いつでも祐輔のフィルターになりたいの。祐輔の心が今すぐ見えるのなら私はここまでを望まないけれど、見たくても見えないから不安になるの。祐輔が私に嘘をついたり騙したりしないかって、すごくすごく不安なの…」
これってものすごく普通じゃないなって分かってるけど、ボクの心が彼女に分かってもらえない以上、ボクに術がない事も認めざるを得なかった。
「祐輔の真実が知りたいの、ただそれだけなの。だから私に、どうか信じさせて?」
こんなやり方を一体誰が想像しただろう。ボクは彼女に一生を捧げる覚悟を、今まさに試されているのだ。
「キミのそれは、キミが持ってなよ。ボクのはキミにあげるから、それでいいんだよね?」
そう言うと彼女は涙を浮かべて、喜びをあらわにした。
「…ありがとう。これで私も、祐輔の心を信じられます。でも、私のこれは…本当に要らないの?」
彼女のそれは、ボクにとっての心とは受け取っていないから、単純に受け取るのを拒んだのだった。
「私の心は、信じてもらえますか?」
世の中の恋人たちは、ここまでディープにやりくりしてるのか否か。いや、言うまでもなく否に決まっている。
「ボクは信じるよ。キミのそれがなくとも、キミの事を好きな自信があるからね」
「私も一緒だよ?でもゴメンね、どうしても不安なの…私が悪いだけだよね」
彼女の望みは、究極の愛の形なのかもしれない。だとしても、ボクはそれを受け入れるよ。
プルル、プルル。
「?」
ボクのそれが、突然彼女の手の中で鳴り響いた。
「きのした、まどか…?」
ボクは彼女に説明する前に、一瞬の動揺を隠しきれないでいた。
「友達だよ、ただの」
彼女はボクの返答を聞くや否や、直ぐさま受話キーを押して、それを耳にあて応えた。
「もしもし…」
「え、祐輔じゃないの?どういう事?」
彼女は、即答した。
「私は祐輔の彼女です。あなたは、友達のまどかさんですよね?」
「…友達?どういう事?」
彼女の口がピタリと止まって見えた。
「ちょっと、祐輔に代わってくんない?」
ボクは密かに耳をすませて、右往左往しながらも今の状況を静かに見守っていた。
「はい、祐輔。きっと友達じゃない、まどかさん」
「もしもし…まどか?」
ボクは固唾を飲んで、声を震わせていた。
プーッ、プーッ、プーッ。
「あれ…?」
ボクは状況を理解出来なかった。
「…きのした、まどか、って。本当は誰なの?」
「切ったのか?」
彼女は頑なな面持ちで、首を数回振った。
「…繋がってなんかないよ。きのしたさんとなんか。祐輔の、ただの思い上がりだよ」
「どういう事だよ!」
「通話履歴にあったから、一度祐輔に聞いてみたかったの。着信音を予めアラーム設定して、会話してみたりして芝居しちゃったけど」
「ボクを、騙したんだ?」
彼女の芝居に、ボクはまんまと騙された。
「ううん、私が先に騙されたの。きのしたさんは、やっぱり友達じゃなかったね」
ボクは思わぬ展開に言い返す言葉もなく、浮気という罪を今更になって、ただただ嘆く他なかった。
「祐輔の事をずっと信じていたかったのに、嘘だったのね。しばらく騙してたのね」
「…」
彼女は溢れる涙で、顔がくしゃくしゃになっていた。
「浮気ってさ…一度目は許せって雑誌に書いてあったの。全然理解出来ないけど…でもさ、本当に浮気なの?本気じゃないの?」
「…浮気さ」
許してもらえるかどうかっていうより、どうにでもなれって感じで。
「なんで…どうして浮気なんかしたの?納得出来る理由を聞かせて?」
浮気の理由。そんなもの、男にしか理解されないもの。
「ゴメン!本当に、ゴメン!」
彼女の涙は、一向に止む事はなく。
「もういいの…私にもきっと悪い所があったんだよね?だから満足出来なかったんだよね?」
「…」
返す言葉も、なかった。
「…じゃあさ、来年の誕生日。また、今日と同じプレゼントを催促するからね?」
「え…」
「だから、浮気は一回きりだよ?今度こそ、祐輔のそれをもらうから」
ボクが巻き起こした波乱に、彼女から戒めとなる試練たる結末で幕を閉じた。
それから、一年後。
ボクは再び彼女から、例のそれを催促された。
「私、実はまだ許してないからね」
「ああ…これを渡す事で信じてもらえるのなら、本望だよ」
ボクはそう言って、彼女にそれを差し出した。
その時。
プルル、プルル。
「!」
彼女はおそるおそる、受話キーを押した。
「…はい、もしもし?」
どこかで聞いた事のある、声だった。
「…あなたの浮気も、自白なさい」
「!」
プーッ、プーッ、プーッ。
彼女は背筋が凍ったかのように、戦慄がただこだましていた。
「どうかした?」
ボクは何処か怯える彼女に、そう投げかけた。
「…ううん、大丈夫。あ、ありがとう。あ、あのさ、これ私やっぱり要らないから…やっぱり、祐輔が持ってなよ」
「急にどうしたの?」
「ううん、いいの。私が祐輔を信じればいい話だから」
彼女は、自分を見失ったかのように挙動不審だった。
「じゃあさ。キミのそれ、ボクがもらっても大丈夫?」
ボクがそう言うと、彼女から以前の返答とは違った言葉が返ってきた。
「別にいいけど、祐輔には特に必要ないでしょ?」
「…それは、ボク次第さ」
彼女のそれを手に取るふりをして、ボクは彼女の手首を握った。
「浮気って、仕返しするものなんだ?」
ボクは彼女にそう告げて、先日渡した婚約指輪を彼女の薬指から外した。
「実はこれに小型カメラが内蔵されててさ、キミの不純な行動を一部始終監視させてもらったよ。だから、まどかに浮気自白のコメントを録音してもらって、キミにそんなサプライズをお届けしたって訳さ」
「…」
サプライズの使い方を、ボクらは互いに履き違えている。それを今となっては、どこか愉しんでいたのかもしれない。
「…終わりだね、私たち」
彼女がそう言うと、ボクは微笑んだ。
「これで…あいこ、な」
「え…」
あいこ。
ボクはそんな言葉で、結末を締め括った。
「…だから、もうやめよ?こんなものをプレゼントし合っても意味ないって」
ボクのこれと、キミのそれ。
それは確かに人と人とを繋げるものではあるけれど、互いの心までを繋げるものでは決してない、という事で。
「もしもし、祐輔?」
「ああ、大丈夫。聴こえてるよ」
白い糸で繋がれたそれぞれの白いコップを互いの耳に当てれば、確かに声だけは聴こえるけれど。
「…私の心の声も、聴こえてる?」
「ううん、全然聴こえない」
心まで届ける事の出来るツールなんて、ありもしないんだ。
「心を届けたいなら、道具なんかに頼らずに直接言いに来いよ」
「この前の事…許してくれる、の?」
互いの連絡を取るだけなら、世に溢れるそんな多機能なツールなんか必要ない。
しかも好きな人なら尚更、直接会いに行って話せばいいだけの事だ。
「ゴメンね、祐輔…本当にゴメンね」
「ボクらに実際、赤い糸があるかは分からないけれど、白い糸では繋がっていような?」
そうして二人は、違う方法で繋がり合い。
幸せを、あいこという形で締め括った。
「…人間関係を築きたいなら、今度からこれを使えばいいだろ?」
「祐輔の時だけで、十分だよ」
照れなくていいって。
そう思ってから、ボクの手は彼女の手にそっと触れた。
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