エピローグ 綿毛の行く先

 打ち寄せる波の音が心地良い。水平線が澄んだ空と輝く海を分けて、同じ青でも異なる色合いを見せている。
 海岸からゆっくり眺めるのはいつ以来だろう。独りぼっちになってから足が遠のいて、いつしか高い王宮から見下ろすのが当たり前だった。
 もしかしたら、無意識の内に避けていたのかもしれない。海岸で潮風に吹かれれば、幸せだった頃を思い出してしまうから。
 大切な存在であるのは変わりないけれど、あの頃と今では傍にいる人が違う。
「伝承や言い伝えって不思議だよな。受け取り方一つで迷信にも希望にもなる」
 右手の小瓶に目を落としてアレンは呟く。中には筒状に丸めた羊皮紙が入っており、きつく栓がしてあった。
「『願いを書いた羊皮紙を小瓶に入れて、海に流せばいつか叶う』……随分夢のある話ね」
 興味はあるが行動に移す程では無いようで、隣に立つリリィは半信半疑だ。羊皮紙の為に金を貯めていたと話したら驚いていたが。
 アレンは幼い頃の記憶を辿る。この話を教えて貰った時、確かこう言われたはずだ。
「何でも、別の世界の言い伝えらしい」
「は?」
 自分でも相当おかしな発言だと思う。真面目に口にすれば尚更だ。案の定リリィに怪訝な顔をされ、誰から聞いたのかと問われる。
 かなり返答に困る質問だ。相手が人間で無かったのは確実で、本人もそう名乗っていた気がする。だけど何者かは覚えていない。
「えーと……、黒くてでかい怪獣?」
「頭大丈夫?」
 いよいよ本気で心配された。このままだとリリィに変人扱いされる。
「いや、俺も良く分かんないんだよ。小さい時の事だし」
 アレンは早口に言い訳し、あの不思議な出来事は何だったのかと首を傾げる。幼い自分が描いた絵空事、もしくは白日夢でも見ていたのか。あるいは夕暮れの悪戯か。
 はっきりしているのは、自分はこの言い伝えを知っていると言う事。秘密をリン以外に教えるのは始めてな事だ。
 小瓶を左手に持ち替えて、アレンは海を見据える。
「俺は伝承を信じたい」
 だから願いを海へ流そう。いつの日か想いが実るように。もう一人の自分に小瓶の言葉が届くように。
 栓が閉まっているかを確認し、アレンは左手を振り被った。放り投げられた小瓶は弓形の軌道を描いて着水すると、水平線へと静かに流れて行く。時折反射する太陽の光に目を細めつつ、アレンとリリィは小瓶が見えなくなるまで眺めていた。
「さて、今日の宿を探しに行くか」
 潮風に髪を靡かせてアレンは言う。後は休む場所を確保するだけ。場所柄難なく見つかるだろう。
 黄の国王都から北に位置するこの港町は、大陸北に浮かぶ青の国、遥か東方の円の国への船が出入港する玄関だ。訪れる人が多ければ宿も多い。
 明日出航の船で大陸を発つ。乗船券は購入済みで、アレンの個人的な用事も先程終えた。今日はもうゆっくりと過ごすつもりである。
 足下に置いていた荷物へ手を伸ばした時、近くから声が聞こえた。
「ほら、あの人達がさっきやったみたいに」
 アレンは辺りへ目を送る。黒髪に眼鏡の男性と、茜色の長い髪の女性。そして黒い髪を左右で結った女の子が仲睦まじく立っていた。親子と思われる三人は、家族揃って遊びに来たと言った所か。
 ふと、いなくなってしまった姉へ想いを馳せる。リンは父上や母上と会えただろうか。両親や近衛兵隊と同じ場所に逝ったのなら、案外寂しくは無いかもしれない。
 男性に優しく背中を押され、女の子は両親から離れる。その手には小瓶。アレンは思わず釘付けになり、海岸に足跡を作る女の子と目が合った。
「こんにちは」
 女の子はアレンとリリィを見上げ、笑顔で挨拶をする。しかしアレンは呆けたままだ。リリィがにこやかに挨拶を返した後、反応を見せない彼を肘で小突く。
「あ……。こんにちは」
 我に返ったものの、アレンの視線は小瓶に注いでいる。硝子の中に見えるのは折り畳まれた紙。視線に気付いた女の子が口を開いた。
「お兄ちゃんもこの言い伝えを知ってるの? 紙に願いを書いて小瓶に入れて、海に流すと願い事が叶うんだよ」
 アレンは得意気に語る女の子を見下ろす。十歳かそれより下くらいか。背の高い相手と話す為に顔を上向きにしている。いつかの自分もこうだったと感慨を覚え、膝を折って目線を合わせた。
「ああ。知ってるよ」
 ここは様々な国の人が集まる港町。似たような風習がどこかにあって、それが伝わったと考えても不思議じゃない。
「昔……俺が子どもの頃に教えて貰ったんだ」
「私もね、ずっと前にお姉ちゃんが話してくれたの」
「そっか、姉ちゃんがいるのか。俺と同じだ」
 自分は弟だとアレンは微笑む。共通点があった事が嬉しいのか、女の子は嬉々として相槌を打った。だが、間もなく表情を曇らせる。
「でもね、お姉ちゃんずっと帰って来ないの。本を読んでくれるって約束したのに」
 寂しげに話して俯く。様子から察するに、この子の姉は家を出てから連絡を寄越していなさそうだ。家族の安否が分からない事がどれだけ不安か、アレンは痛いほど知っている。約束をしたのなら心配もひとしおに違いない。
 女の子は小瓶を抱きしめる。ぽつりと呟かれた一言は、アレンとリリィを驚愕させた。
「どうしちゃったのかな。リンベルお姉ちゃん」
 懐かしい名前に息を呑む。瞬間、アレンは女の子の肩を掴んでいた。
「今、リンベルって言ったよな?」
 穏やかな態度から一変、真摯な目付きで訊ねるアレンに委縮しながら、それでも女の子は頷いて答える。
「君の姉ちゃん、俺に似ていなかったか? 髪と目の色が俺とそっくりで……」
 アレンは矢継ぎ早に質問し、女の子は無言で首を縦に振る。相手の機嫌を損ねないよう必死だった。
「ちょっと」
 口を挟んだのはリリィ。アレンの一方的な会話を止めさせようとしたが、彼は全く気が付いていない。怯えた女の子が泣きそうだ。
「怖がってるでしょうが!」
「でっ!」
 唐突に目の前で光が走り、アレンは涙目で頭を押さえた。一瞬遅れてリリィに殴られたと判断する。
「怖がらせてごめんね。このお兄ちゃんちょっと乱暴なの。だけど悪い人じゃないから」
「いきなり拳骨落とすのは乱暴じゃないのかよ……」
 理不尽も良い所だと、頭をさすってアレンが訴える。だが、屈んで女の子に謝罪していたリリィに聞き流された。その内痛みが引いて手を下ろす。
 冷静になってみれば、自分が女の子を無駄に緊張させてしまったのは間違いない。面識の無い男に質問攻めにされれば怖いに決まっている。
「すまない」
 異変に駆け付けた女の子の両親にも謝り、立ち上がったアレンは事情を説明した。
 自分とリリィは昔王宮にいて、リンベルの事を知っている。そう話すと、眼鏡の男性が品定めをするように睨んで来た。鋭い眼光から目を逸らさずにいると、男性はふっと笑みを浮かべる。
「……嘘ではなさそうだね」
 アレンは胸を撫で下ろす。信じてくれたようだ。
「ここで立ち話も何だ。僕の家に行こう。ミキ、ユキ。お客さんだ」
 思いがけず招待される事になり、アレンは戸惑いと遠慮を覚える。だが彼らと話をしたいのは事実。おそらくリンが世話になっていたのはこの家族だ。弟として、彼女の最後を伝える義務がある。
「俺はアレンです。そっちはリリィ」
 自分と、いつの間にか女三人で世間話に花を咲かせていたリリィを紹介し、アレンは軽く頭を下げる。
 眼鏡の男性は、キヨテルと名乗った。

「キヨテルさん。ミキさん。話さなければならない事があります」
 家に招かれて居間に通されたアレンは、向かいに座る二人に切り出した。席に着いているのは彼ら三人。リリィとユキの姿は見えない。
 俺達双子の問題だから、リンの事は一人で話させて欲しい。アレンがリリィにこっそり頼み、そしてユキが旅の話を聞きたがっていたのもあったので、別の部屋で時間を潰している。
「リンベルが黄の国王女リン・ルシヴァニアであった事はご存知ですね?」
 アレンは確認の為に訊ねる。世話になった養父と養母には正体を打ち明けてあると、リンから聞いていた。
「王都に行く寸前、あの子は全部話してくれたわ」
 肯定したミキが答える。キヨテルも頷いたのを目に入れ、アレンは言葉を詰まらせた。
 リン。君はこの二人を本当に信頼していたんだな。
 胸が痛む。真実を告げる恐れに唇が震えて、歯の根が合わなくなる。
「俺は、リンの弟です」
 項垂れて声を絞り出す。辛くてキヨテルとミキの顔を見られない。
「俺の本名はレン・ルシヴァニア。四年前に処刑された『悪ノ王子』は本物ではありません」
 手を組み、アレンは訥々と語る。彼は話をする間、一度も顔を上げる事は無かった。

 懺悔を終えた時、アレンはようやく正面を向いた。泣いているとも笑っているとも見える表情を浮かべ、髪を纏めていたリボンを解く。
「リンの形見です。これは貴方達が持つべきだ」
 もっと早くこの一家に渡さなくてはいけなかった。姉の形見を手放す寂しさはあるが、本来の持ち主に返すだけの事だ。
 黒のリボン差し出され、しかしキヨテルは首を振って拒否する。
「受け取れない。君がリンから譲り受けたんだろ?」
「けど」
 断られてもアレンは引き下がらない。なおもリボンを渡そうとする彼の手を両手で包み、ミキが微笑んだ。
「アレン君。それはね、リンがとても大切にしていた物なの。だからこそ君に持っていて欲しいのよ」
「……でも」
 アレンは目を伏せる。姉がこのリボンを大事にしていたのは知っている。お気に入りだと笑って話してくれた。そんな品をリンが世話になった人達に返さないのは収まりが悪い。
 キヨテルとミキを説得しようと、アレンが口を開きかける。同時に居間の扉が音を立てた。
「すみません、お茶のお代わり貰えます?」
「パパ。ママ。まだお話してるの?」
 リリィとユキが揃って姿を現す。アレンの話が終わるのを待ちくたびれたらしい二人の登場に、真っ先に反応したのはミキだった。
「あら、じゃあ新しいのを淹れるわね」
 すかさずキヨテルがアレンを示す。
「ユキ、このお兄さんはリンベルの弟さん。訳があって別々に暮らしていたんだよ」
 ここぞとばかりに話を終わらせた夫婦に、汚ねぇ、とアレンは内心で叫ぶ。示し合わせたとしか思えない行動は、もうこちらに反論させないつもりだ。ユキは出しにされた事に気付いていないだろう。
「なんで髪下ろしてるの?」
 アレンの心情を知る由も無いユキは、お下げを揺らして彼に近寄った。手にあるリボンに目を落とす。
「お兄ちゃん、それ貸してくれる?」
「ん? いや、あげるよ」
 扱いに差が出てしまったのを胸中でリンに謝りつつ、アレンはユキの手にリボンを置く。キヨテルとミキに渡すのは諦めていた。
「ううん。髪を結びたいの」
 背後からの答えに振り向こうとしたが、ユキに髪を触られているので動けない。アレンの横に回り込んだリリィが囁く。
「やらせてあげなよ。お姉さんに良くやって貰ったんだって」
 リンの名前を出さなかったのは賢明だ。ユキにはまだ真実を伏せておくよう、アレンはキヨテルとミキに頼んでいた。十四歳になったら全て話して欲しいと。
「枝毛がいっぱい。ちゃんと手入れしないと駄目だよ。綺麗な色なのに」
「もっと言ってやって良いよ、ユキ」
 ユキが苦言を漏らし、リリィが本気で同意する。されるがまま髪を弄られていたアレンは呆れ気味に呟く。
「ほっとけ。……仲のよろしい事で」
 金髪が首筋の位置で纏められ、黒のリボンが結ばれる。
「出来た」
 得意気に知らせるユキの声を聞き、アレンは振り返って礼を言う。立ち上がった彼にユキが訊ねた。
「ねえ、お兄ちゃん。本を読んでくれないかな」
「俺が?」
 アレンは自身を指差す。読み聞かせならリリィの方が適任だ。彼女は子どもが好きで面倒見も良い。ユキも楽しいだろう。何故自分を選んだのか分からない。
「それなら……」
 リリィに頼め。そう断ろうとしたアレンはふと思い出す。
『本を読んでくれるって約束したのに』
 リンベルがもう帰って来ない事を、ユキは薄々理解しているのかもしれない。いなくなった姉の代わりに、彼女の弟に約束を求めているのか。
 勝手な推測だが、アレンとしてはユキの思いを汲んでやりたかった。
「良いよ。だけど下手でつまらなくても文句言うなよ?」
 子どもの頃にやってもらった事はあるものの、自分が誰かに読み聞かせをするのは初めてだ。時の流れが身に沁みる。
 後にユキが持って来たのは、交差点でもう一人の自分に出会う物語。アレンが幼い頃にリンと一緒に読んでいた本だった。

 帆が巧みに風を捉え、船が颯爽と港を離れて行く。甲板に立つアレンとリリィは、見送りに来たキヨテル達へ手を振っていた。
 結局、昨日はキヨテル家に泊まる事になった。宿を探しにお暇しようとした所ユキに引き止められ、更にキヨテルとミキから申し出された事もあり、好意に甘える事にしたのだ。
 彼らの姿が遠ざかり見えなくなった頃、アレンは船の縁に手を乗せた。
「東には何があるんだろうな」
 行き先は東方の国。独特の文化を持つ円の国だ。故郷に未練を見せない彼に、リリィは苦笑して声をかける。
「少しは感傷的にならない?」
「……別に無理して付いて来なくても良かったんだぞ?」
 大陸に残っても構わなかったのに。アレンが包み隠さず口にすると、リリィは肩をすくめた。
「旅は道連れって言うでしょ? それに、あんたを一人にするのは心配だからね」
 付いて行くのは当然だと言い切られる。そっか、と頷いたアレンは首筋へ手を伸ばし、髪を纏めるリボンに触れた。

 リン。俺は独りじゃない。
 隣に立つ人かいる。俺が未来を生きる為に全力を尽くした人達もいる。
 だから大丈夫。もう孤独に負けはしない。
 俺は生きる。
 金獅子。ダンデライオン。強く逞しいその名を胸に、俺は生きて行く。


 了

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

蒲公英が紡ぐ物語 第63話

 アレンとリリィの関係は、恋人同士と言うよりパートナーや相棒と言う感じ。安心して背中を預けられる相手。

閲覧数:592

投稿日:2014/01/10 18:36:51

文字数:5,756文字

カテゴリ:小説

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