「ママ。おかえり。」
息苦しさを覚えながらも、あげはがなんとかそう言うと、母親はただいま。と微笑んであげはの横に立ち、こんにちは。とおばあさんに挨拶をした。
「ええと、草一が何か、、、。」
迷惑でもかけただろうか、と心配そうに眉をひそめる母親に、おばあさんが、違いますよ。と穏やかに首を振った。
「お宅の娘さんは、この年寄りの相手をしてくれただけですよ。」
「まぁ、そうですか。」
この子、人見知りをして友達も少ないから、今後とも良くしてやってください。
 そう柔らかな物腰で母親が言う。それでは。と俯くあげはの手をつないで去ろうとした母親に、おばあさんが、あの。と少し戸惑った調子で呼び止めた。
 つかぬ事をお聞きしますが。そう前置きをしておばあさんは、心配するようにあげはに視線を向けた。
「娘さんの名前、あげはちゃんじゃ、ないんですか?」
おばあさんの言葉に、母親の表情が固まった。
 微かに首をかしげ、ゆっくりとした動作で空いている手を口元にやる。だめだ。とあげは繋いでいたはずの、離れかけた母親の手を、留めるように強く握り締めた。
「私、今、この子を、なんと呼んでいましたか?」
かすれた声を震わせながら、母親が言った。壊れ物のようなその問いに、ゆっくりとおばあさんが答えようとした、その言葉を、大丈夫。とあげはは大きな声で遮った。
「大丈夫。ママ。ママはちゃんと私のことを呼んでいる。だから、」
もう何も言わないで。
 痛いほど尖った声でそう言うあげはに、母親が悲痛な眼差しを向ける。ごめんね。とその瞳が言っているようで、嫌。とあげはは首を横に振った。
 そんな目で見ないで。謝らないで。笑っていて。お願いだから。
 心の叫びは、口に出さない限り届かない。目の前でぽろぽろと絶望の色に染まった涙をこぼす母親に耐え切れず、あげはは手を離してその場から逃げるように走り出した。


 このまま、毎日が続けばいい。と思っていた。だから、もしものわたしのことを、考え続けていた。
 ひとりでも大丈夫な強さがあれば、ひとりでも平気ならば耐えられると思った。ママが私を愛していなくても、私を通して私でないひとを愛していても、どうでもいい。だってわたし、はひとりで生きていけるのだから。そう思うことができれば、手を伸ばすことなく傍にいることができると思った。
 ママが私をすきでなくても私はママがすきだから。
 ママがどう思っていても関係ない。と言い切れる強さがあれば。ひとりでも、愛されなくても、大丈夫だと言い切れる強さがあれば。もしも、のわたしのように一人で生きていける強さがあれば。
 きっとずっとママの傍にいられると、思っていた。

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たとえば、の話・9

閲覧数:90

投稿日:2010/04/22 15:19:08

文字数:1,119文字

カテゴリ:その他

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