現代人には概ね人としての愛が凡そ欠けている。だから、人としての愛を失うや否や、まるでロボットみたいにしか動けなくなるんだ。そして、そんな事に憐れみさえ覚えなくなる。心すら失うんだ。

世界を売った男、音無 悟(おとなし さとる) は嵐を招く男、神 嵐(じん あらし)に満足げに続けて言う。

ならいっその事、そんな彼等を利用して巨万の富を手に入れる事も不可能ではなくなると思うのもおかしな話でもなくなるものさ。
別にお金という道具を愛している訳でも憎んでいる訳でもないけどね。
けど、それが世の中の人達が求める正義になってしまえば、世の中はあっという間にそんな事を当たり前のように利用しあうようになる。
まるで、築かれたシステムを利用しながら補い合うように。ま、実に取るに足らない話なのだけどさ。そんな非人間じみた事を利用し続ける内に自分しか愛せなくなる輩達も後を絶たずに増えるのさ。

世界を愛で染めるには、自己犠牲を捧げなければ始まりすらしない
自分の犠牲を捧げ続ける事と引換でしかそれは得られないんだ。

良いかい?世の中では誰しもが皆、浮かばれるとは限らないんだ。そんな人達にとってかわるように人々の上に立てる事は、万が一以上に有り得ないような事だ。まるで奇跡みたいな、ね。けどよしんば、そんな日々が始まっても、今度はいつまでやれるか試されるんだ。例え若くして終わりが来ようともね。

そして、残念なのは浮かばれようと堕ちようと、人が進むのは茨の道しかないんだね。どのみち。
だから、精々報われるようになるのに励んで、人生という花を咲かせて見せたくはないか?
どのみち、誰もが最期に向かって惜しげなく散るのが世の常、なんだけどね。

自分を犠牲にしなければ決して叶わない事が世の中にはある筈なのだね。

或る思想家によると、至高性とは何者でもない事にある、らしい。それを捨てて何者かになる事を願うなら、何者でもない、あるがままの人生でありのままを生きれる純粋な幸せを捨てざるを得ないという事になる。

それでも、例えどう望みが試されても一角の者らに挑み、目指すのか?

神 嵐 君。

僕はね、いっそそんな今の馬鹿げた世の中が壊れる事で、本当に人が人らしく生きる事で完全に救われる世の中になれば良いとすら思っているのだね。そして、嵐を呼ぶ君に期待すらしているのだよ。

嵐は言う。
だからって差し金を寄越して何をやっても何でもありです、な訳がない。

大層な理想をうたって世の中の破壊を仕向ける事に手を染める奴に、言いくるまれた覚えはない。

音無は言う。
とかなんとか言っても、僕らは結局、破壊による変化をもたらしてしまうんだ。君がどう足掻いても、その激情を伴う怒りがぼくらとの争いに決着をつけるたびに、現実の世界はその軋轢にどのみち崩れだす。ま、何にせよそれは思うツボさ。

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白と黒のタペストリー

小説の断片

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投稿日:2021/05/17 11:19:46

文字数:1,192文字

カテゴリ:歌詞

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