―夜・某屋敷にて―
「お帰りなさいませ、旦那様。御食事の用意が出来ております」
「ほう、ばあや;女中頭は仕事が早いな。冷めた料理を食わせようというのか」
「ドリンクと前菜をお召しになられている間に、主菜の仕上げをご用意いたします」
「ほう、すると君は嘘を言いおったのか」
「すぐ食事の席にお付きいただけるということです」
「ふん、能面で言いよる。おい、流花は」
「は、はい。こちらに」
「主人の帰りに表を見せぬとはどういうことだ」
「失礼致しました!」
「お前はいつまでも進歩せんな。仮にも代々続く益谷家お抱えの女中だろう?手前が母上殿の半分も仕事を覚えられぬのか」
「ひぅ、す、すみません!」
「すみません、か。何がすまぬのだ?仕事がか?廊下の掃除具合か?それともこの家を出る気でいるのか?」
「え、は、違う、す、申し訳御座いません!」
「申し訳。何を申すのだ?なんの訳を話すのだ?俺に聞かせておくれ。のう流花よ」
「あ、あの、えと、う」
「…っはっはっはっはっはっはっはっは。相変わらず流花は美しいな。流花よ、女中頭に伝えておくれ、一息ついたらすぐ夕飯を取るので、支度をするようにと」
「あ、有難うございます、旦那様。失礼致します」
史勇馬の屋敷には常時十人近くの女中が従事しており、女中のために一つ離れを用意してしまうほどの敷地がある。彼は帰ってくるとその足を真っ直ぐサロンに向け、ひと息つくことにした。上着を女中に預けてソファに腰掛けると、史勇馬は壁にかけてあるコレクション―上流階級の舞踏会に用いられる面の数々―に目を向けた。
道化の素顔は、また違った道化の顔である。
「まったく女子供はこうでなくちゃならんな。あの見てくれだけで可愛げの微塵もない化け狐とは大違いよ。野心だかなんだか知らんが、近年やたらとぎらついておるあの女、化けの皮を剥がせばどんな面もて鳴きやるのやら。鬼畜米英と謳い、禁欲的に戦争に身を投じた日本国は確かに負けたが―何を以て正義と為し、また何を以て悪と為すかなぞ、誰が決めた所で其れが唯一絶対の代物とは限らんことを、あの小娘は解っておらん御様子だ。や、解っておるのかも知れぬ。真に律し導くべきは、己自身だと言うことを。いずれにせよ、錯乱の挙句にどうぞあの桜軍服にでも一度首を刎ねられれば良いと言うものよ。…おぉおぉ、煙管とは気が利くな、ありがとうよ。全く以て善哉善哉。下がってよいぞ、流花よ」
「は、はい。お疲れのようですが、いかがなさいました?お心苦しくなければ、ぜひお聞かせいただきたく存じます」
「…ふ、流花はよく僕の気を理解してくれる。だが君の面を見れば心地も幾分か和らいだ。まぁいつも通りのことさ、仕事をしていれば嫌なこともたくさんあるし、その分に見合うようにいい事も少しはあるものだ。道化を演じて人を煙に巻くような真似もなかなか楽しいぞ」
「有難きお言葉に御座います。旦那様、近頃度々口をお突きになる『桜軍服』とは一体、どなた様で御座いましょうか?」
「学徒の長、みたいなものだよ」
「学徒の、長」
「あぁ、僕の上司をしばしばからかいに来る若人、髪を二つに括った女だよ」
「その方も、女性。学徒には私と御歳の近しい女子様も多くていらっしゃるので御座いますね。屋敷には私と年齢を近くする御方がいらっしゃいませんので、流花は羨ましゅう御座います」
「ほう、学徒になりたいのか、流花は」
「はい、旦那様。学友と供に春風に誘われるように歩き、その目は己が未来の如く輝き、自由に生きる姿に流花は憧れてございます」
「ふん」
【十二項目】二次創作小説『近代歌姫浪漫譚 千本桜 ~学徒が華ぞ咲きにける~』【胡蜂秋】
黒うさP『千本桜』の自己解釈・二次創作小説です。
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