19.ホスピタリティコンベンション
 ホテルマンは名前をもう一度確認しパソコンに名前を入力した。
「今晩と明晩の二泊です」
とかろうじて聞き取れた。それから、聞いた。
「ホスピタリティコンベンションはどこですか?」
「エレベータホールの奥です」
と言うのも何とか聞き取れた。言われた通りにエレベータホールの奥に進むとトイレの向かい側にそれらしき観音開きの扉があった。入口に受付の折畳テーブルが置かれていた。テーブルの上には出席予定者のネームプレートがアルファベット順に並べられていた。その傍らにタイムスケジュールが書かれたアジェンダ・ボードが立てかけられていた。プレゼンテーションやコーヒーブレークの時間割の最後に、ディナー・パーティーの時刻が6時からとなっていた。土岐はホテルから出て右奥の駐車場で林のキャデラックを探した。ボディラインが旧式で、いかにも中古のガソリンを垂れ流すような車はすぐ見つかった。林はエンジンを掛けながら、エアコンで暖房をきかせてカーナビでネットワークテレビのクイズ番組を見ていた。
「6時迄大会のようです」
と土岐は言いながら助手席に滑り込んだ。薄ら寒い外気と比べると、車内は汗がにじみ出そうな程暖かかった。
「まあ、とりあえず、ランチにしますかな?腹が減っては戦にならぬと言いますから。武士は食わねど高楊枝とも言いますな」
と言いながら、林はキャデラックをだだっぴろい駐車場から発進させた。土岐には林が日本語を話すことを楽しんでいるように見えた。
 5号線沿いに北上し、左折したブルヴァード沿いの平屋建てのファミレスの駐車場に車を滑り込ませた。屋根に巨大なたまねぎをシンボルとして載せた建物以外には周囲に建造物はなかった。周辺には背丈程もある枯れて黄ばんだ雑草が雑然と生い茂っていた。
「ここのサラダバーは、いいですよ。しかも安い」
と林は車を降りながら言った。暖気と寒気の入り混じったさわやかな春風が駐車場に吹いていた。店内は五百平米程の広さだった。南を除く全方位が、大きな硝子窓になっていた。その窓に沿って、6人掛け程の広いテーブルが配置されていた。中央には百平米程のスペースに野菜やパンやスープなどが山盛りになっていた。土岐がボリュームに圧倒されるように見とれていると、いちご模様のエプロンを巻いた黒人のウエイトレスが、近寄ってきた。
「Pay first」
 土岐が薄っぺらな財布を取り出そうとすると、
「ここは安いからいいです。南條警部に貧乏学生だと聞いています」
と林は胸ポケットから皺だらけの二〇ドル紙幣をつまみ出した。
 よく食べた。ズボンのベルトをゆるめた。
「さてと、6時迄どうしましょうか。ゴルフでもやりますかな?」
と林は両手を合わせて座ったま迄、ゴルフクラブを振る動作をした。
「ゴルフはちょっと。へたなもんで」
と土岐は気の進まない表情を見せた。
「すいません。今回は遊びの資金を持ってこなかったもので」
「お金の心配をしていたのですか。いいですよ、安いものですから」と林は既に夕方迄ゴルフをする気でいた。昼食後、林のアナハイムの西にある自宅に寄り、そこから十分程の市民コースに行った。林がゴルフバッグとセーターを貸してくれた。クラブハウスで一人二十ドル程のハーフ料金を林が払い、二人でスタートホールに並んだ。
「シューズを借りますか?」
と林が気を遣ってくれたが、土岐は日本から履いてきたスニーカーで回ることにした。先着の家族連れのパーティーが二組程待っていた。五分程で10番ホールを出発した。土岐は練習もしていないので、空振りやダフリやトップやソケットばかりだったが、キャディもいないし、自分でゴルフバッグを背負って、へたなりに自分のペースで楽しめた。林がディボットに転がり込んだ土岐のゴルフボールを打ちやすいように置きなおしても誰も文句を言わない。安いこともあってか、どのパーティーも友人や夫婦や親子連れで、ラフな思い思いの格好で、骨董のような木製のクラブを振り回してピクニック感覚で楽しんでいた。ハーフをラウンドしたころには五時近くになっていた。あたりはまだ、昼間のように明るかった。
「私の家でシャワーを浴びて着替えてから行きますか」
という林の誘いに乗って、彼の自宅で土岐はシャワーをあびた。お湯の出が良すぎて、シャワーのお湯が皮膚に突き刺さるようだった。
 林の自宅は海岸近くの住宅街で一軒の敷地が千平米程あった。二階建てで建坪は百坪程。ベッドルームが三つ。一つが土岐に開放された。そこで土岐は着替えた。ベッドルームから窓越しに見えるバックヤードには芝生が敷き詰めてある。中央にピンが立ててある。
「そろそろ、行きましょうか」
という階下からの林の声に促されて、土岐は屋外に出た。外はまだ明るい。車庫には大型車三台分のスペースがある。キャデラックの他に日本製のサブコンパクトカー。もう一つのスペースにはエンジンつき小型ボートがあった。
「これをアメリカン・ドリームって言うんですかね」
と日本の狭小な自宅アパートと比較して、うらやましそうに言う土岐に、林はだぶついた頬の肉を震わせながらかぶりをふった。
「それ程ではないですね。だれでもそこそこに真面目にこつこつと努力すれば、これは普通の生活です。アメリカン・ライフです」
 再びドリムランドの直営ホテルに向かおうとして車庫の前に立つ土岐のところに林の奥さんがやっと現れた。林は、
「家内です」
と彼女を簡単に土岐に紹介した。林の奥さんは若い頃の美貌を髣髴とさせる容貌で、日本語が堪能だった。髪型も化粧も日本人とほとんど変わらなかった。林はキャデラックを車庫から出し土岐を乗せた。車の中で林は不安そうに言った。
「6時からコンベンションのディナーパーティーでしたな。彼女はどういう予定なのですかな」
「僕、足がないもんで、英会話もおぼつかないし、一緒にいていただけますか?すいません」
と土岐は両手を膝の上に揃えて懇願した。
「そんなに恐縮しなくていいですよ。リタイアして暇をもてあましていますから。それになんとなく面白そうですな。あ、それから忘れていましたが、これは家内に頼んでおいたレンタルの携帯電話です。二日間だけ借りました。日本から持参した携帯電話はここでも使用できるのですが、国際通話扱いになるので高額になるはずです」
と言いながらコンソールから携帯電話を取り出し、土岐に手渡した。画面を見ると見慣れない記号が並んでいたが、大体の操作はボタンから想像できた。土岐が日本から持ち込んだ携帯電話は胸ポケットに入れたままだ。駐車場に着いた。車を置くと二人で直営ホテルに向かった。ようやく日が没し始めたが、まだ夜という印象がない。
「日は没したのに空は明るい」
と言うと林は日本人に幾度もそう言われたようで、
「海に障害物はないから」
とつまらなそうに答えた。ホテルの玄関迄百メートルあった。フロントに着いたときホスピタリティコンベンションのディナーパーティーは既に始まっていた。二人でホテルの受付の前に立った。土岐は置いてあったメモ用紙を一枚破り、何も書かずに畳んで、
「今日泊まる予定のMiss Natsuko Nagayamaにこのメッセージを渡してもらえないか?」
と言いながら、ブルーネットの女子事務員に渡した。白い顔中そばかすだれけの彼女は背後の壁面にある305号室の小ボックスにその紙片を入れた。土岐は林に向かってウインクした。
「彼女は305号室ですか」
と感心したように林はうなずいた。それから二人でコンベンションホールに向かった。入口に昼間置かれていた受付テーブルは撤去され両扉がストッパーで開放されていた。
「夕飯はいらないかも知れないですね」
と土岐が中をのぞき込んで卑しそうに言う。林は土岐の背中を押した。二人とも会場の中に踏み込んだ。天井の高い会場の中には百数十人程の、様々な人種の様々な髪の色と様々な膚の色の人々がお互いの胸のネームカードを確認し歓談しながら立食していた。土岐は伏し目がちに奈津子を探した。先に探す必要があった。必死だった。少し目線を低くして会場の壁際を忍者のように伝うように歩いた。入口から十メートル程入ったところで、背の高い銀髪の白人と背の低いアジア人と三人で談笑している奈津子を発見した。奈津子は、TOKYO、
白人は、
PARIS、
アジア人は、
HONG KONG
のカードを胸につけていた。林も同時に見つけた。奈津子がこちらに視線を向けかけた。二人はくるりと背を向けて会場の外に出た。
「ばれたらまずいのでしょう?」
と林は少し興奮した口ぶりで言う。
「彼女は自分が疑われていることに気付くでしょうね」
「それではあの何も書いてないメッセージはフロントから回収した方がいいですね。さっきのブルーネットが我々を覚えてくれているといいのですが。で、これからどうするので?」
「7時に終わるので、ホテルのラウンジで待機したいんですが」
「夕飯どうします?プライムリブの店を知っていますが」
と林は団子のような鼻の下で舌なめずりをする。
「7時迄ラウンジでいいですか?」
 林は意味もなく笑う。二人はホテル入口のラウンジの沈み込みそうな緑のソファに腰掛けた。奈津子を待つことにした。土岐がコンベンションホールの方に背を向け林がホールから出てくる人間をウオッチすることにした。土岐はゴルフ場のコースで汚れたスニーカーの土が気になって、クオーターコインでせっせと落とした。
 奈津子は林を知らないから、かりに目が合ったとしても全く気に掛けないに違いない。林は滅多に見かけない美形ということで奈津子の顔をはっきり覚えていた。
「白人の美人はあまり見分けがつかないのだけれど東洋の美人は百人百様で識別できるから不思議です」
とスニーカーの上に屈み込んでいる土岐の後頭部に話しかけた。
 7時迄三十分程あった。林は話し好きだった。土岐にしきりに話しかけてきた。よどみがなかった。不意に林の目が瞳孔を収縮させたようにして一点に止まった。土岐に目配せをする。奈津子が出てきた。林の目はエレベータホールに移動して止まった。
「部屋迄行ってくれますか」
と土岐が背後を振り返らずに言う。林は目線をエレベータホールに固定したままの姿勢で立ち上がった。
「僕は顔を知られているのでここで待機しています。何か動きがあったら携帯電話で連絡をお願いします。彼女がシャワーでも浴びて部屋に落ち着くようだったら夕飯に行きましょう」
と林の背中に声を掛けた。林は足早にエレベータホールに向かった。三階でエレベータを降りると305号室を探し、廊下の人通りに気を遣いながらうつむき加減に奈津子の部屋の前迄来た。ノックをする振りをして部屋の中の物音に注意するとシャワーを浴びている様子はなかった。微かな物音がするので在室であることは間違いなかった。林は部屋から少しはなれ部屋を背にして土岐に電話をかけた。
「林です。シャワーを浴びている様子はないけれどどうしますか?」と聞かれても、土岐に具体的な指示はできなかった。
「もう少し様子を見ましょうか」
と曖昧な指示を出したところで奈津子が黒いワンピースの肩にシフォンボレロを掛け、ショールカラーのジャケットに着替えて部屋から出てきた。林はそれを一瞥で確認した。あわてて廊下をエレベータホールとは逆方向に歩きながら、携帯電話を切った。土岐は、
「ハロー、ハロー」
と言い続けた。切れたことが分かって土岐が待ち受け画面にしたところに再び林からかかってきた。
「今そっちに行きました」
 土岐がエレベータホールを背にしてホテルの出入口に向かう人の後姿を注意深く追っていると奈津子が背後から現れた。傍らに背の高い銀髪の白人と背の低いアジア人がいた。白人がベルボーイと何かを話している。タクシーを呼んでもらっている。
 そこに林が息を切らせて非常階段の方角から戻ってきた。
「車をこちらに持ってきますから、彼女がどちらに行くか見届けておいて下さい。携帯電話をかけっぱなしにしておいて下さい」
と言うなり、駐車場へ小走りに駆けて行った。足が速いとは言えないが定年を迎えた老人にしては不恰好ではあるものの身軽に見えた。
土岐は奈津子と白人とアジア人の三人がタクシーに乗り込むのを回転扉の陰で確認した。外に飛び出した。低姿勢でイエローキャブを追いかけた。フリーウエイを北上するところ迄確認した。息が切れた。陽がほぼ没し、首筋に冷たい夜気を感じた。
 何かわめいている携帯電話を耳にすると、林の声がした

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

土岐明調査報告書「Nの復讐」19.ホスピタリティコンベンション

閲覧数:36

投稿日:2022/04/03 05:09:17

文字数:5,183文字

カテゴリ:小説

クリップボードにコピーしました