白衣の窓辺
夕暮れが病院の窓を淡い橙色に染めるころ、李常明は人気の少なくなった廊下を静かに歩いていた。診察室の灯りはまだいくつも点いている。今日も慌ただしい一日だったが、不思議と疲れよりも充実感のほうが勝っていた。
ナースステーションの前を通ると、新人看護師がカルテを前に困った表情を浮かべていた。
「何か困っていますか。」
李は穏やかに声をかけた。
「患者さんへの説明がうまくできなくて……。専門用語ばかりになってしまうんです。」
その言葉に李は少し微笑み、近くの椅子に腰掛けた。
「難しい言葉を知っていることと、相手に伝えられることは別なんですよ。患者さんが安心できる言葉を探すことも、医療の一つです。」
新人看護師は静かにうなずいた。その表情から少しだけ緊張が消えたように見えた。
翌朝、その看護師は患者へゆっくりと言葉を選びながら説明をしていた。不安そうだった患者の表情は次第に和らぎ、「ありがとう」という一言が診察室に響いた。李は廊下からその様子を見守り、小さく息をついた。
昼休みになると、院内の中庭では風が木々を揺らしていた。ベンチに座ってコーヒーを飲んでいると、清掃スタッフが声をかけてきた。
「先生、最近花壇の花がよく咲いていますね。」
「皆さんが手入れしてくださるからですよ。」
医師も看護師も、受付も清掃スタッフも、それぞれが病院を支えている。李はそう考えていた。誰か一人だけでは病院は成り立たない。患者を笑顔で迎える受付も、清潔な床を保つ清掃スタッフも、同じくらい大切な存在だった。
ある雨の日、一人の少年が外来を訪れた。初めての検査に緊張し、母親の手を強く握っている。李は少年の目線までしゃがみ込み、「終わったら何を食べたい?」と尋ねた。
「ラーメン。」
小さな声だった。
「じゃあ、頑張ったご褒美ですね。」
少年は少しだけ笑った。その笑顔を見た母親の表情もやわらぐ。
検査は無事に終わり、帰り際、少年は振り返って手を振った。白衣姿の李も静かに手を振り返す。その一瞬だけで、病院という場所が少しだけ怖くない場所になったような気がした。
季節が巡るたび、病院には新しい命が生まれ、回復して退院する人がいる一方で、別れを迎える家族もいる。喜びと悲しみが同じ建物の中に存在するからこそ、医療に携わる者には技術だけでなく、人の心に寄り添う姿勢が求められるのだと李は感じていた。
夜遅く、最後の書類に目を通し終えると、病院の廊下は静寂に包まれていた。窓の外には街の灯りが広がり、その向こうには明日という新しい一日が待っている。
「また明日も、一人でも多くの人が安心して帰れますように。」
そう小さくつぶやき、李は診察室の灯りを消した。静かに閉まる扉の音は、一日の終わりを告げる合図であり、同時に新しい一日の始まりを迎える約束の音でもあった。病院には明日もさまざまな人が訪れる。その一人ひとりに寄り添いながら、小さな希望を積み重ねていくこと。それこそが、李が何よりも大切にしている使命だった。
李常明副院長
コメント0
関連する動画0
ご意見・ご感想