こんなに萎れた花の側には、今にも壊れてしまいそうなトランシーバーが、ジーッと真っ直ぐな電波を芳ばしく放っていた。
「…神様なんか信じてないよ。だからこうして、彼の波形をずっと探してるんだ」
科学的根拠なんか何もない。私は彼と繋がりたい一心で、毎日こうやって片耳に片っぽだけのヘッドフォンを弄りながら、ゴミで一杯の電信柱の下でしゃがみ込んでいた。
「…聞こえますか、私の声が聞こえますか?」
普段黒い格好の私は彼を事故で失ったこの場所で、まるで悲しみと苦しみを交互に携えるかのように、呆然たる日々をただ闇雲にやり過ごしていた。
「まだここにいるんでしょ?だって、ここで私が来るまで、ずっと待っててくれてたんだよね?」
ジーッという音が鳴り止まないまま、ヘッドフォンから聴こえてくる波形は、今日も相変わらず。
「近所の待ち合わせ場所で待っててくれた彼に、いつものように会いに行く。そんな私がここにいたの。そしたらキミは、ここに倒れ込んでいたんだ。遅いよ、ってさ。怒りっぽい口調でいつもなら叱ってくれたのに…」
キミと待ち合わせしなければ、こんな事にならずに済んだのにと、今日もまたそうやって自分自身を傷付けた。
「どうしてあの時、声をかけてくれたの?いつになったら、もう一度私に声をかけてくれるの?」
幾度とそれを片耳に当てても、もう何年も同じノイズで同じ波形が鳴り響くばかり。
「…もう近くになんか、いないよ」
「!」
小さな声で聞き慣れない突然の声に驚いて後ろを振り返ると、そこに一羽の鴉の姿があった。
「…俗にいう伝書鳩って訳じゃないけど、彼から言伝を預かってきたんだ。てか、こんな身形だから…それどころじゃないかな?」
ただただ驚愕でしかなかった。この今という空虚なまでのあり得ない状況に。
「ちょっと待ってて」
その鴉はトランシーバーのつまみを嘴で咥えると、静かにその羽根をゆっくりとたたんでみせた。
「…ほら、これで多分聴こえるよ。何か、彼に向かって声をかけてみて?」
目の前の漠然とした不思議が私の目の前を通り過ぎると、片っぽだけのヘッドフォンから僅かに届く微かな声が私の耳元にそっと触れた。
「…香澄、香澄か?」
紛れもない。彼の優しい声がそこにあった。
「健二、健二なの?」
私は以前に交わした奇跡を思い出したかのように、僅かに繰り返される息切れが止まらなかった。
「…ねえ、香澄さん。死者との繋がりは四分間だけです。その間にこのつまみを右に回してください。四分を超えると超えた分だけ香澄さんの寿命が失われていきますので、気をつけてくださいね」
鴉からのそんな言伝を噛みしめながら、彼の声に心奪われていた。
「…なあ、香澄。今から言う事をしっかりと聞いてくれ。オレはこっちでお前に会いに行く準備を進めてる。だから、もう少し辛抱していてほしいんだ」
「うん。で、私はどうしたらいい?」
片っぽだけのヘッドフォンを両手で抱きしめるように小刻みに震えてしまうばかりの私は、涙の止め方を忘れてしまっていた。
「いいか、香澄、よく聞いてくれ。信じられないかもしれないが、この先、香澄に突然訪れる不思議な鴉が現れるんだ。その鴉の言う事だけは、絶対に聞くな」
私は周りに彼の声が漏れないように、片っぽのヘッドフォンをギュッと勢いよく抱き寄せた。
「…うん、分かった。そしたら、健二は私に会いに来てくれるの?」
鴉は、残り一分と静かに囁いた。
「ああ、ずっとそこで待っていてくれないか?」
声が震えて、言葉にならなかった。
「…ねえ、健二。一つだけ聞いてもいい?」
時を止めたいと思ったのはね、そう言えば、今だけじゃなかったんだ。
「私の事…今でも、好き?」
沈黙が溢れる事も、残り時間の事も、この際どうだってよかった。
「香澄さん、早く回すんだ!」
「ねえ、健二!何とか言ってよ!」
「早く回すんだ、死にたいのか!」
「健二!」
彼がその後呟いた、その一言に。
安堵と喪失が、訪れた。
「好きだよ、って…」
鴉は倒れ込んだまま、しばらく動かなくなった。
「彼がね、言ってくれたの」
黒い羽根がたくさん飛び散る辺りに、片っぽのヘッドフォンで殴られたトランシーバーが私の目の前で粉々になっていた。
「…好きだ、って。今まで一度と言ってくれた事がない彼がね、私にそう言ってくれたんだ」
時を止めたいって願ったんだ。キミと待ち合わせしてた、あの時間をね。
「…彼からの言伝をしっかり伝えたからね。本当にそれで、悔いはない?」
鴉はそう呟いて、片っぽのヘッドフォンの上に足を乗せると、私の方を静かに見上げていた。
「…彼が私にね、好きだなんて絶対に伝えるはずなんかないの。彼が私にその言葉を向けようとした時に、偽者だって気付いたんだ。この人は絶対に彼じゃないって」
私はこぼれ落ちそうなそれを、拭う素ぶりも見せずにいた。
「でも、どうしても分からないの。どうしてあなたが、わざわざ私の前なんかに現れたのか」
この際、喋る鴉という理解不能な状況は最悪一歩譲ったとしても、こんなどうしようもない私にどうして鴉が会いに来たのか、それだけが不思議で仕方なかった。
「…ボクがキミの前にこうして現れたのはね、ボクを必要としているキミを偶然見つけたからなんだ。心の奥から助けてほしいと願っていたキミを見つけたから、キミの願いを叶えてあげようと思ったんだ。彼という幻を殺してほしいって、心の奥で一瞬叫んでたの覚えてる?その幻を殺せるのは、キミ自身でしかないんだ。だから、彼の声を届けてあげようと思ったんだ」
この世からいなくなってしまった人は、もう二度とこの世には戻って来ない。その人がどんなに嫌われていようと、こっちに慌てて戻って来ないように嫌われようとするものなのだと、鴉は話を続けた。
「…例え誰のせいだとしても、どんな状況だったとしても、生きてる状況を振りきってまで、慌てていなくなってしまった人を絶対に追ってきてはいけないんだ。それが死者の集う、こっちで定められた唯一のルールだからね。それを阻止するのが、ボクの務めだから」
そう言うと、鴉は寂しそうに飛び立ってしまった。
鴉が真っ黒で人の近くを好んで飛び回ってるのはそういう事だからと、去り際に囁くように、私の耳元にそう届いた。
死者とそうでない人とを繋ぐ、不吉と呼ばれる存在としてか。
一日の始まりと終わりを繋ぐ、夕暮れの空の向こうで。
悲しみに暮れる人の側に、そっと舞い降りては。
呼びかける声に、少し耳を傾ける人の影を見つけると。
また一人。
死者からの声に惑わされるは、木霊するはで。
私みたいな人を、もう一人見かけたんだ。
片っぽのヘッドフォンを抱きしめた女の子がさ、ほら。
私の時と同じように、傾けてるよ。
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