そこはすでに、何もなくなっていた。
 あるのは、大地と、吹きすさぶ風と、一人の少女。
 髪は風に抵抗することなく暴れ、包んでいた服すら跡形もない。
 発せられる不可思議な力は空間をも歪めているようだった。
 本来ならば、何者も存在出来ない場所――しかし、ミンティはそこに足を踏み入れる。
(ベティ……)
 強い決意を携えて。ミンティは少女を見つめる。
 一歩ずつ。近づく。
(ベティ……目を覚まして)
 しかし、強風に何度もあおられ、なかなか進めない。
 まるで彼女を拒むかのように、濃密な力が包み込み、風が強まる。
 ゴウーッ!
「――っ!」
 息が詰まる程の衝撃が、突然襲ってきた。
 反射的に目をつむり、一瞬にして闇に包まれる。
「……?」
 急に、風が止んだ。ゆっくり目を開けてみるが、辺りは闇のまま。
 いや、遠くに何か見える。それは、光のようなもやだった。
(……来ちゃ、ダメ……)
 光が明滅し、しゃべる。
「……ベティ?」
 その声は、確かにベティのものだった。
(みんなと逃げて……)
 とても弱々しい声。
「ベティを置いていけないわ」
(……無理……わたしは、もう死ぬから……)
「死なせない。絶対に助けるわ!」
 光が、小さくなった。
(……もう、いいの……わたしは元々死んでた者……存在してはいけない者……)
「何言ってるの! ベティは、わたしの大事な妹よ!」
 必死に叫び、光に近づこうとするミンティ。
(ダメ……力が抑えられない……)
 ビュルル!
「な、何……?」
 突如闇の中から、黒い触手が現れ、ミンティの手足に絡みつく。
 光はさらに小さくなり、今にも消え入りそうだった。
(ごめん……そろそろ……行くね……)
「待って! 行っちゃダメ!」
 触手を振りほどこうと、必死にもがき、光に手を伸ばす。
(……今まで、ありがとう……大好きだよ……おねーちゃん……)
 声が、途切れる。
「――べ……」
 ゆっくりと、光が消え――
「ベティーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
 ミンティが叫んだ瞬間、
 パァァンッ!
 闇が、触手が、一気にはじけ飛ぶ!
 次に視界に飛び込んできたのは、気を失った少女の姿。
 しっかりと、少女の身体をその腕に抱いた。温もりはなく、冷たい。
 少女の足元に落ちているブラッディ・ルビーを拾い上げた。
「wu touei he aoerw di soe wu quoet xiuw……」
 目を閉じ、おもむろに呪文をつぶやく。ペンダントの紐が修復され、少女の胸元に戻る。
 ミンティの身体が青白く輝き、光の衣を纏う。流れる髪は銀髪に染まっていく。
 同時に、広がっていたベティの力が収縮し始めた。
 力の流れが逆流し、彼女の身体に吸収されていく。
 キィィィィィィン……
 左腕をまっすぐ伸ばすと、集められた力はミンティの力と混ざり合い、その手のひらに集中した。
「jtew gve rexw!」
 掛け声とともに、青白い炎が上がる。
 そして、そこに現れたのは蒼く輝く宝石――ティアーズ・サファイア。
 村まで迫っていた消去の力は全て、ミンティとティアーズ・サファイアに吸収されていった。
 ブラッディ・ルビーが赤く輝き、少女の身体をほのかに照らす。
 そして――
「……うぅ……」
 ベティの意識が戻った。おもむろに瞼が開かれていく。
 少女の瞳に映ったのは、黒髪の似合う、美しいミンティの姿。
 ミンティは、いつもの笑顔でベティを見つめ、優しく声をかける。
「お帰り、ベティ。もう、遠くに行っちゃダメだからね」
「……っ!」
 目が覚めると、いつも一人。いつもの映像。何度も繰り返された虚無。
 少女は死して終わらせるつもりだった。
 しかしそれは、生という違う形で終わりを告げたのだ。ミンティという女性の手によって。
「……っ、っ、っ、っ!」
 ベティは力いっぱい、ミンティを抱きしめ、力いっぱい、涙を流した。
 雲間から、一筋の光。まるで鍵を開けたかのように入り込む。
 星が輝き、月は柔らかい光をもって、抱き合う二人を照らしだしていた。
 それはまるで、天からの祝福を受けているかのようだった。

 数日後。
 センターシティ領主の命令で、村近辺が立ち入り禁止となり、村民は隣町に移り住むことになった。
 正式な公表はされていないが、村はほぼ壊滅状態らしい。
 幸い、イルザの活躍と第一騎士団の協力により、村民に一人としてけがはなく、全員無事に避難することができた。
 ミンティはベティを連れて隣町に来たが、すぐに高熱で倒れ、病院に入院している。
 トントンッ
「ミンティねーちゃん、入るよ~」
 軽く扉をたたき、イルザは病室の扉を開けた。
 清潔な病室に、ベットが一つ。その脇にはサイドテーブル。備え付けの椅子にベティが座っている。
 ミンティお手製のピンクのワンピースを身にまとい、その胸元には紅い宝石。
「イルザくん! いらっしゃい」
 明るい笑顔で、白いパジャマ姿のミンティがベットの中から出迎える。右手には蒼い宝石のついた指輪。
 その表情を見る限り、だいぶ良くなったようだった。
「はい、お見舞い。調子はどう?」
 近くの市場で買ってきたミカンを渡し、訊ねる。
「ありがとう。もう大丈夫」
 ニコっと笑い、ミンティ。
「そっか。よかったよかった……いやー、いきなり倒れるから、びっくりしたぜ~」
 あははっと笑いながらイルザは言う。
 あの後、イルザは隣町に向かわなかった。
 徐々に迫りくる力との距離を保ちつつ、近くでミンティを待っていたのだ。
「心配掛けて、ごめんね。あそこにイルザくんがいなかったら、行き倒れてたかもね」
 笑顔で言う。
「笑えないよ……本当に無茶するんだから。でも、なんで熱出たのかな? あ、ありがと」
 ベティが差し出したお茶を受け取るイルザ。相変わらず、ベティの表情は乏しい。
「多分……慣れてない力を、最大出力で一気に使ったからだと思う。準備運動しないでいきなり走って、足挫いたような感じかな?」
 ミカンの皮をむきながら、ミンティ。
「あー……あのさ、聞いてもいい?」
 イルザは遠慮がちに、口を開く。
「どうやって、ベティを助けたの?」
 実はミンティが倒れてから今まで、まともに話をすることができていなかった。
 だいぶ時間がたってしまっていたので、聞きづらかったのだ。
 ミンティはちょっと困った顔をして、
「うーんっとね、ちょっと説明しづらいんだけど……」
 ミカンを半分に割り、ベティに渡す。
「ベティの生命力が無くなりかけた時に……なんていうか、視えたというか、理解したというか……頭の中にね、精霊族の力の本質が溢れてきたの」
 ベティがミカンを一つ取って、うす皮ごと口にする。
「それで分かったのが、わたしの力は再生をもたらす力だってこと。ベティの消去する力を相殺するってことは、つまり逆なの。だからって、壊れた花瓶を元通りにしたり、死んだ人を生き返らせたりはできないけどね」
 精霊族は元々、自然のバランスを保つための存在。自然に反することは出来ないのだ。
 ミンティの再生をもたらす力とは、存在しようとする力、生きようとする力、新しく生まれる力を増幅させ、成長や回復を早める力のことである。
「でもその力をそのまま使えば、ベティの力を相殺してしまう……生命力そのものを相殺してしまうことになる。そうしたらベティは助からない。だから、わたしの力とベティの力を掛け合わせて、ティアーズ・サファイアを造ったの。それで、放出されたベティの力を一旦私の中に吸収して、二つの宝石をバイパスにしてベティに力を戻したったてわけ」
 右手のティアーズ・サファイアを見るミンティ。イルザもまじまじと見つめる。
「でもさ、ブライムが持ってたやつは壊れたんだろ? それは、なんで平気だったの?」
「多分……わたしの力が直接結晶になったから、じゃないかな? あの人が持ってたのは、精霊族から無理に引き出した涙を結晶化させたって言ってたから、精霊族の力を秘めていたけど弱かったのかもしれない」
 ミンティは、ミカンを一つ、口に運んだ。
「ふーん。ミンティねーちゃんって、すげーんだ」
「すごくないよ。あの時は無我夢中で……もう一度同じことしろって言われても、もうできないよ」
 苦笑して言うミンティ。
 実際、とっさに口走った呪文すら、もう記憶にない。力の流れる感覚は覚えているが、ベティを助ける方法を自ら計算したというより、本能で動いたに近い感覚だった。
「イルザくんは……怖くないの? わたしとベティのこと」
 急に問われ、イルザは以前ベティに対し、悪魔だと言ったことを思い出した。思わずベティを見る。
 ベティは無表情にイルザを見つめ返した。
「怖くない。前は、ベティのこと怖かったけど……今は、怖くない」
 少女が持つ力自体は、確かに恐ろしいものかもしれない。でも、今は少女自身がそれを制御でき、またミンティが側にいる限り、悪いことに使われる恐れはないのだ。
「精霊族だろうが、元人間だろうが、関係ない。二人とも、村の一員だよ! ……あの時、石投げたりしてごめんよ。もう、悪魔だって言わねーから」
 ちょっと照れたが、素直に謝る。
 ベティは立ち上がり、イルザに手を差し出した。
「……あり、がと」
 たどたどしく、言葉を紡ぐ。少し、微笑んでいるようにも見える。
 イルザははじめて、少女の感情を垣間見た気がした。
「よろしくな」
 しっかりと手を握り返し、笑顔を見せた。
 それを微笑ましく見守るミンティ。その表情はとてもうれしそうだった。
「二人は、これからどうするの?」
「村が復興するまでは、この町に住むつもり。ルドさんが、新しくお店を出すって言ってたから、そこでまた働かせてもらうわ」
「村……今、立ち入り禁止になってるけど、復興できるのかな……」
 寂しそうにイルザが言う。
「大丈夫。ベティの力を吸収する時に、わたしの力が村まで行き届いてるはずだから、戻れる日はそう遠くないわ。きっと今頃あの森も、大地に新しい芽が出来てるはず」
 自信満々に、ウィンクして見せる。
「みんなが復興を願えば願うほど、生きる力があればあるほど、わたしの力がそれを後押しして、活力が増幅されていくの。だから、大丈夫」
「そっか。そーだよね! 俺も、協力するよ!」
 パッとイルザの表情が明るくなる。
「あ、そうだ。ミンティねーちゃん、手、出して」
「え? なあに?」
 ポケットの中から、何かを取り出すイルザ。ミンティはミカンをサイドテーブルに置いて、素直に手を出す。
「俺からのプレゼント!」
 手を取って、パンッと大きな音を立ててミンティの手を両手で挟む。何かがつぶれる感覚と同時に赤い液体が溢れた。
「!」
「特製ケチャップ玉だよ」
 へへっと笑うと、ケチャップがついた手で素早くミンティの口をふさぐ。
「やっぱりイタズラはやめられないよな」
 満面の笑みを見せて、イルザは走って病室を出た。
「大変だ~! ミンティねーちゃんが血を吐いた~!」
「こ、こら!」
 すっかり油断していたミンティは、まんまとイタズラにはまってしまった。
 ベティは冷静に、ミンティのケチャップをふき取る。
 イルザの声を聞きつけた看護師が病室にやってきて、一瞬慌ただしくなった。
 イタズラ好きの彼を知らない町の人たちは、きっとこれから手を焼くことになるだろう。
 新しい町での生活の、幕が開いた瞬間であった。
 ベティとミンティ――消去と再生――
 磁石のS極とN極のように、相容れぬ者たち――
 しかし磁石は、二つの磁力が一つに存在している。それと同じように、二人も一緒にいられればいい。
 どちらかがいなくなる必要は決してなく、むしろ、どちらかが欠けてしまってはいけないのだ。
 二人がこれから奏でる不協和音は、新しい幸せの形として紡がれていくことだろう。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

OUT of HARMONY (10)

なんとか書きあがりました。
いかがでしたでしょうか?
感想などありましたら、お待ちしております。

閲覧数:48

投稿日:2010/04/18 12:54:26

文字数:4,932文字

カテゴリ:小説

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