昨日、凛歌は『夜勤』とかで職場に泊り込んだ。
なんでも、夜間泊り込んで老人の世話をすることであるらしく、他に職員がいないため、1人緊張の中夜を明かすのだと凛歌がいっていた。
おばーちゃんに、凛歌は夜勤明けになると体力が落ち、胃が固形物を受け付けなくなるからスープのようなものを作っておくといいと教わって、本を見ながらポトフを煮込む。
がちゃり、と玄関から鍵を回す音。
玄関を見に行くと、ふらりと小さな身体が傾いできた。
慌てて抱きとめると、ぎゅっとシャツを握られる。
「あー・・・ぅー・・・。」
虚ろな眼をした凛歌だった。
「ねむ・・・。」
いつも堂々と張っている背はやや猫背気味。
ツヤツヤだった髪はパサついて萎れている。
全身を覆っていた覇気が見事に消失していた。
夜勤・・・恐るべし。
「凛歌、タイ君にべったりしてたら迷惑でしょ?一回離れな。」
「やー・・・。」
おばーちゃんの言葉に、引っ付いたまま、ふるふると首を振る。
「凛歌。」
「やーぁー・・・。」
ふるふる。
くってりと力の抜けた身体の中で、それでも小さな掌だけがしっかりとシャツを握り締める。
もしかして、甘えられてる?
おばーちゃんが、ため息をひとつ落とした。
「タイ君、おばーちゃんこれから整形行くからね。凛歌、何か食べさせて、風呂に入れて寝かしといて。・・・死なない程度に襲っていいから。」
流石にこの状態の凛歌に無体を働くほど、おにちく・・・もとい、鬼畜じゃないと自分では思っているのだが・・・。
腕の中では凛歌が、ぁー、だの、ぅー、だの呻いている。
いそいそと出かけるおばーちゃんを見送り、凛歌を抱えて食卓に着かせる。
ポトフを器に注いで差し出すと、のろのろと口に運び始めて、ちょっとだけ安心。
「ぅにー・・・おいしぃ・・・。」
「凛歌、おかわりは?」
ふるふる、と頭を振る。
小動物だ。
小動物がここにいる。
「胃袋弱って無理・・・。」
心なしか、顔が青い。
そういえば、凛歌は他の人間よりも良く寝るタイプだ。
そんなロングスリーパーな凛歌が夜通し一睡もしない夜勤をするとなると・・・。
文字通り、精魂尽き果てた状態なわけだ。
「凛歌、お風呂入れる?僕が入れちゃって、大丈夫?」
ぼーっとした視線が僕に向けられ、こっくりと頷かれる。
この前キューピーがどうの、つるんぽこんだの言っていたが、それより疲れが勝っているのだろうか?
それはそうとして、色々、大丈夫だろうか?
頑張れ根性、負けるな理性。
そして黙れ心臓。
いや、黙ったらちょっと困るけど、せめて静かにしてくれ。
今ここでイタしてしまったら、流石に捨てられる可能性がゼロからちょっとハネ上がりそうで怖い。
細い身体にタオルを巻いた凛歌が、俯き気味に椅子に座る。
この前凛歌にやってもらったように、なるべく優しく頭部を洗ってみる。
硬質で、それなのに、ふにゃっとした手触りの髪が掌の中で泡立ち、ちょっと面白い。
こしゅこしゅと頭皮を指の腹でマッサージすると、にー、と猫のような声が聞こえた。
勿論、くんにゃり脱力しきった凛歌である。
「どーぉ?気持ちいい?」
「んー・・・きもちーよー・・・。」
最近、凛歌のちょっと男性的な口調は、半分以上が無意識に作っているものだと思うようになった。
リラックスしていたり、精神的に無防備なとき、凛歌は寧ろ、幼い子供のような物言いをする。
それが楽しみで、最近は疲れきった凛歌を甘やかしたりしている。
純粋に、甘えてくれるのが嬉しいのも、あった。
シャンプーを流し、丁寧にコンディショナーでヘアケアをして、アカスリにソープを垂らす。
初めて見る白い背中は、想像以上に細くて小さかった。
「あぅ・・・そこ、そこ痒い・・・。」
背中を擦ると、痒い部分を指示してくる。
誰かに、こんな風にして洗ってもらうことなんて、ないんだろうな。
凛歌をアカスリで擦っていると、奇妙なものを見つけた。
お臍の左横あたりに、赤い痣。
大きさは五百円玉くらいで、奇妙な紋様を描いていた。
なんとなく、薔薇の花に似ている。
見ていると、ひどく懐かしい気分に囚われた。
「凛歌、これは・・・?」
痣を指先で撫でると、ちょっとくすぐったそうな顔をした。
「・・・・・・生まれつき。これのおかげでイレズミ疑われて・・・中学ん時、産まれたときの写真持ってくハメになった。」
産まれたときからあるらしい。
ひどく懐かしいそれは、胸の奥の割れ目に滲みこんで、割れ目の向こう側にいたナニカを一瞬揺さぶり起こしていった。
ベッドに凛歌を寝かしつけて、寝入ったところで僕はベッドを出た。
凛歌が起きるまでに、焼き菓子を作っておきたかったのだ。
生地をこね、オーブンに入れた頃だった。
2階から、細い、悲鳴。
続いて、どんっ、と何かが床に叩きつけられる音。
急いで階段を駆け上がる。
床の上に、パジャマ姿の凛歌がうずくまっていた。
顔面は蒼白で、小刻みに震えている。
傍によると、小さな手が伸ばされて、ぎゅっとシャツの裾を掴まれる。
「・・・いなくなったかと、おもった。」
ぽつりと呟く声。
「夢の中で、ベッドの上で、帯人がいなくて、ベッドを降りたらループする夢で・・・。」
ループする夢をごく稀に見る、と前に凛歌が言っていた。
なんでも、ベッドから降りて何かを・・・目覚ましを止めたり、下に行こうとしたり・・・しようとするのだが、目的を達する前に力尽きて床に倒れる。
そして、倒れて気がつくとまた同じようにベッドに横たわっている。
それを、延々繰り返すのだそうだ。
始まったら最後、夢だと気付いても目覚めるまで無限ループするしかない、とも言っていた。
「いない、何回ループしても、帯人がいない。途中で夢だと気付いて、それでもループする・・・。」
こわかった、と呟く。
「だから、ベッドから飛び降りた。」
なんでもないことのように言っているが、問題がひとつ。
元々、凛歌のベッドは二段ベッドだ。
涼と部屋を分ける際に、二段ベッドを上と下で分けたんだとか。
凛歌が使っているのが、下ならなんら問題はない。
要するに、凛歌が使っているのは、上段なのだ。
「首でも折ったらどうするつもりだったのさ!」
思わず、叫ぶ。
凛歌が半身不随にでもなっていたらと思うと、そっちの方が怖かった。
「この高さじゃ、だいじょぶ・・・。」
ぎぅ、とシャツを握る手が握力を増す。
「それに、帯人がいないほうが、こわかった。」
躊躇いがちに、腰のあたりにしがみつかれる。
「いなく、ならないで。一緒にいてくれないと、眠ることも満足にできなくなっちゃった。」
「凛歌・・・。」
「私は、弱くなった。」
しがみつく凛歌を抱き寄せて、あやす。
普段と立場が逆だけれど、それが新鮮でちょっとだけ嬉しい。
僕がいないと眠れないというのなら、僕は喜んで揺籃(ようらん)になろう。
コメント0
関連動画0
ご意見・ご感想