誰かの未来を本気で考えるようになってから、不思議と自分自身の未来も少しずつ輪郭を持ちはじめた。
営業という仕事は、商品やサービスを届けるだけでは終わらない。
その先にある「この人はどんな景色を見たいのだろう」という想像を重ねる時間でもある。
昔の僕は自分がどこへ向かえばいいのかばかり考えていた。
けれど誰かの悩みに耳を傾け、少しだけ背中を押し、一緒に答えを探す日々を繰り返しているうちに
気づけば「自分のため」という言葉をあまり使わなくなっていた。
きっと人は自分だけを見つめ続けるより、誰かの幸せを願った瞬間のほうが
本当の自分に近づけるのかもしれない。
誰かの「ありがとう」は、拍手のように大きく響くものではなく、風に混ざる小さな音みたいなものだ。
だけど、その小さな音は、不思議なくらい心の奥まで届く。
迷っていた日も、自信をなくした日も、その音だけは静かに残っていた。
だからまた歩ける。
だからまた、誰かの話を聞こうと思える。
居場所というものは最初から用意されている場所ではなく
誰かとの時間の中で少しずつ形になっていくものなのだろう。
今日もまた、一人の人と向き合う。
その時間が誰かの明日につながるなら、それだけで十分意味がある。
そしてその積み重ねの先で振り返ったとき、そこが自分の居場所だったと気づくのかもしれない。
そんなことを思いながら、今日もまた新しい一日を迎えている。
誰かを照らそうとして伸ばした手が、実は自分自身の進む道もそっと照らしてくれていた。
だから明日も答えを急がず、人と向き合い続けたい。
その先に見える景色を、少し楽しみにしながら。
コメント0
関連する動画0
ご意見・ご感想