独りの夜

「……くそっ!」
 他の誰かに聞かれれば品格がどうだ、王子としてふさわしくない事をするなと言われただろうが、幸い周りには誰もいない。と言うより、それをしっかり確認してから悪態を吐いたレンは、夕陽が照らす王宮の回廊を苛立たしく進む。
 リンと引き離されてから三年。その間に、レンを取り巻く環境は様変わりしていた。

「メイコ・アヴァトニー近衛兵隊長は罷免いたしました」
 あの日の夜。どうする事も出来なかった無力感と絶望感に打ちひしがれていたレンに告げられたのは、慕っていた師匠がいなくなった知らせだった。
「え? 罷免……? え……?」
 何を言われたのか理解出来ずに困惑するレンに、メイコに罷免を伝えた貴族は淡々と説明する。
「要するに、アヴァトニー近衛兵隊長殿はクビになったと言う事です。もう王宮にはいません」
 どうしてなのか分からなかった。メイコ先生は何も悪い事はしていない。なのに、何でクビにされなくちゃいけない。
 こんなのおかしい。父上と母上が死んじゃってから、何かおかしい。
 レンが不審さを顔に出したのを見て、貴族は呆れたように説明を重ねる。
「アヴァトニーは山賊ごときに後れをとり、結果両陛下が崩御する事になったのです。そんな者を王宮に残す訳にはいきません」
「でもっ! メイコ隊長は僕の先生だ! 何で勝手に決めるんだ!」
 内心の不安と疑念に駆られ、レンは喉を痛めているのを忘れて叫ぶ。
「王子。これは厳正な会議によって決まった事です。元近衛兵隊長は、この決定を受け入れて王宮を去りました」
 元、を強調して貴族は言い、師匠のメイコがそうしたのだから素直に聞き分けろと暗に示す。
 無慈悲な言葉を聞かされたレンは、涙を浮かべる事すら出来ずにいた。

 それから、レンの環境は急速に変化していった。
 メイコの罷免を機に、近衛兵隊に所属していた者達は左遷か解雇をされ、現在では名前だけが残る空の部隊。勉強の時間を急激に増やされて、外出には制限がかけられた。
 両親が生きている時も王宮の敷地外に出るには許可を必要とされていたが、よっぽどの事が無ければ駄目だと言われる事は無かった。しかし、上級貴族達が国の実権を握るようになってからの三年間、許可を貰えた事はほとんど無かった。尤も、上層部の貴族達には始めから期待をなどしていない為、諦めたふりをして王宮を抜け出していたが。
 立派な王様になる為にしなくちゃいけない事だと思えば、全然楽しくない勉強も耐えられた。レンの重大にして最大の悩みは、拘束時間が長すぎるせいで自由に使える時間が皆無に近い事だった。多大な勉強と課題を押し付けられ、王子としての責務をこなしている内に一日が終わり、毎日疲れ切った状態で夜を迎えて眠りに落ちていた。
 精も根も尽き果てて、ただでさえ少ない自由が更に減り、月に一回王宮を抜け出せれば良い方だった。その僅かな機会を使ってリンを捜しに貧民街に行ってはいたが、全く土地勘のない場所の上に範囲が広く、調べるのが思うように上手く行かなかった。貧民街に行く前に市街で兵士に見つかって連れ戻される事もあった為、未だにリンがどこにいるのかの見当すら付いていない。
 政治に口を出したくても適当にあしらわれて相手にされず、結局は何も出来ない。貴族達が気に入らないのは紛れもない事実だが、彼らに国を任せるしかないのも事実だ。国民に特別不満が無く、国が安定して治まっている以上、余計な騒乱を生む訳にはいかない。
 それに巻き込まれて困るのは、平和に暮らしている国民なのだ。
 逸る気持ちとは裏腹に、空回りだけして前へ進めない現実。迎えに行くと約束しておきながら手掛かりすら掴めていない己の不甲斐無さに、レンは苛立ちを感じていた。
 レンは足を止め、右腕を横に振って壁に拳を叩きつけた。打撃音が回廊の静寂を一瞬だけ破る。
 右手に痛みと熱を感じながら、レンは再び悪態を吐く。
「くそっ!」

 野盗が恐ろしくて隣村に行く事すらままならない。せめて村の現状がどんなものかを見て欲しい。
 街道を歩いていたら盗賊に襲われ、荷物が全て奪われた。なんとか対策をして欲しい。
 辺境の村や地方の町から届いた知らせ。国に助けを求めると言う事は、もう既に自分達で解決出来る範囲を超えてしまったと言う事だ。中には国が口を出すまでも無い事もあるのかもしれないが、放っておくと被害が広がるだけなのは、十一歳の子どもの頭でも分かる。
 警備を強化する為に兵を送るべきだとレンは意見を出し、同意を示す者もいてくれた。だが、田舎に人員と資金を割く余裕は無く、また被害は大きなものではないと上層部は判断し、兵は送る必要は無いと決定付けた。
 納得出来ないレンが食い下がっても決定は覆らなかった。出席者の中では低い身分にいる負い目があるのか、同意の姿勢を見せてくれていた者は決定に口が出せず、結局レンの望みは通る事無く会議は終了した。

 先程の会議を思い出し、レンは怒りで拳を震わせる。
「何が王子だ……。何が王族だ……!」
 自分は弱くて小さな子どもでしかない。王子なんて名前だけ。王族としては空っぽだ。父のように臣下をまとめる力量も、メイコ隊長や先代騎士団長のような強さも持ち合わせていない。貴族達の横暴を許してしまっている己の無力さに腹が立つ。
「畜生……」
 拳を振って力無く壁を打つ。褒められた行為ではないが、これでもまだマシな方だ。
 以前、苛立ちと衝動に任せて周りにあった調度品を二度と使えなくなるまで破壊した挙句、窓ガラスを素手で叩き割ってしまった事がある。怪我をしてかなり痛かった上、安く無い修繕費を税金から支払う事になってしまい、後で落ち着いてから猛反省した。
 そこまで暴れ回ったのはその一回だけだが、現在でも周囲の人や物に当たり散らしてしまう時があり、そんな自分に苛々する。
 はあ。とレンは拳を下ろして深い息を吐く。悪い所も駄目な所も分かっているのに直せない。今は亡き両親や、離れ離れになっているリンが見たら何を思うだろう。
 誰もいないのを再確認して、レンは肩を落としてぽつりと呟く。
「情けないなぁ、俺……」
 
 夜が更け、大半の人間が寝入っている時間。
 レンはベッドで仰向けになり、暗い天井を眺めていた。
 三年前まで姉弟で使っていた部屋は、現在ではレンが一人で使用している。リンが王宮から追い出されてから少し経った頃、大人達の手によってリンの私物は全て廃棄されてしまった。今ではリンがいた形跡を捜す方が難しく、言わなければ二人で使っていたとは分からない。
 この状態が当たり前になってから何年も経ってはいるが、たまに無性に寂しくなる時があった。
 眠れない。
 ベッドに入ってかなり経つのに、何故か眠気がやって来ない。体勢を変えたり目を閉じたりしても効果は無く、時計が動く音が聞こえるだけだ。
 駄目だ。ちょっと散歩して来よう。
ついでに風に当たって来ようと思い立ち、レンは体を起こしてベッドから降りる。寝巻きから着替えをして、 枕元に置かれていた物に目をやった。どうするかを一瞬悩み、やはり持って行こうと判断して右手を伸ばす。
 レンが無言で手にしたのは、何の変哲も無い短剣だった。鞘に納められた刀身の長さはレンの肘から手首程。柄は拳一つ分より若干長い。
 一度剣を抜いて月明かりに照らし、刃こぼれ等の問題が無いかを確認する。レンは剣を鞘に戻して、刃が付けられた真剣を右腰に下げた。 
 武器は使わずに済むのが一番良い。昔メイコから教えられた言葉を思い返して、レンは柄に両手を載せた。
「出番がありませんように」
 小声で祈り、レンは部屋を後にした。

 ひっそりとした回廊に影が伸び、足音が響く。レンは夜の静けさを味わいながら王宮を進み、バルコニーを目指していた。
 並んだ窓の一つで何気なく足を止めて、月と星が主役の空を見上げる。こんな時に決まって考えるのは、追放された片割れの事だった。
 二年と少し前、黄の国王女リン・ルシヴァニアは死んだ事にされた。公には両陛下が亡くなった後に体調不良に見舞われ、両親を追うようにして病死したとされている。
 家臣達はリンの事を話そうともしないし、新しく王宮へ入って来る人達はその情報に疑問を持ちもしないから、誰も王女の事を調べようとはしない。
 リン、今どこにいるんだ? 無事なのか? 生きているのか?
 貧民街の過酷な環境で、もしかしたら命を落としているのかもしれない。些細な手掛かりすら掴めないのも相まって、まれにそんな絶望的な思考をしてしまう事がある。その度に、きっと生きていると必死に言い聞かせて来た。
 リンは大丈夫だ。俺なんかよりずっと強い。もう寝ているとは思うけど、ひょっとしたらまだ起きていて空を眺めているかもしれない。
 どんなに離れていても、時間帯が違っても、それぞれが見る空は同じだ。大地は国によって境目を作れるけど、空は誰の手でも、世界を統べる王様にだって境界線を引けはしない。
 回廊に他の人影が映る。考え事に夢中になり、レンは人が近寄って来るのに気が付かなかった。
「殿下。こんな夜更けに散歩ですか?」
「うぉわ!?」
 突然聞こえて来た驚き、びくりと肩を上げる。反射的に左手を剣の柄にかけて振り向くと、傍に立っていた人物としっかり目が合った。相手の呆気にとられた顔を見て、レンは手を下ろして構えを解く。
「びっくりした……。夜の見回りお疲れ様」
 巡回中の兵士だと分かって何気なく声をかけると、相手は「勿体ないお言葉です」と返し、胸に手を当てて謝罪した。
「驚かせてしまって申し訳ありません」
 黒髪の兵士は恭しく頭を下げる。気にしなくて良いとレンが返すと、兵士は姿勢を戻して髭の生えた顔をレンに見せた。
「夜更かしは体に良くありませんよ。特に成長期は」
 レンはむっとしながらも頷き、髭の兵士の言葉に答える。
「知ってる。でも何か眠れないんだ。暇だからちょっと歩いて来る。夜更かしも一日くらいなら大丈夫だろ?」
 少々苛ついたせいで棘のある言い方をしてしまった。これはいけないと思うレンに、髭の兵士は苦笑して頷いた。
「まあ。そうですね」
 幸い気にしてはいないようだとレンは一安心する。
「バルコニーに行って風に当たって来るだけだ。王宮の見回り、しっかり頼むよ」
 部屋に帰ったらすぐに寝ると一言伝えて、レンは髭の兵士と別れた。

 外に繋がる扉を開ける。灯籠で照らされるバルコニーに出て、レンは静かに扉を閉めた。
 入り口近くの花壇を囲む低い石の塀に腰掛け、所々に飾られている彫像をぼんやりと眺める。何歳頃かは忘れてしまったが、好奇心に押されて彫像によじ登って父に叱られ、後で肩車をしてもらった事を思い出した。レンだけずるいとリンが文句を言って、母が宥めていた事も。
 幸せな日々は思い出の中だけ。三年前のあの事故以来、日常に温かみを感じなくなってしまった。
「……戻ろ」
 夜中のせいなのか感傷に浸り過ぎた。レンは頭を振り、バルコニーを一周してから帰ろうと立ち上がる。瞬間、遠くから板が割れるような音が聞こえた気がした。
「ん……?」
 何かあったのかと辺りを見渡す。中庭の半分程度の広さを持つバルコニー。その遥か向こうの夜空に、赤い色が見えた。
「な……」
 おかしい。今は夜中のはずだ。夕焼けの訳がない。念の為に真上を見てみると、澄んだ黒い空に星が輝き、月が浮かんでいた。
 胸と首筋がざわめく。嫌な予感がして、バルコニーの端へ早足で移動する。王都の市街に火の気配は無い。だが、レンは赤い空の方角を見て息を呑んだ。
「嘘、だろ……」
 勘違いでなければ。赤い空の下にあるのは。燃えている場所は。
「……っ! リン!」
 出入り口へ走り、乱暴に扉を開いて廊下を駆け抜ける。転がり落ちる勢いで階段を降りて一階にある兵士の詰所に突き進み、ノックもせずに扉を開いた。
「非常事態だ! 今すぐ準備しろ!」
 部屋にいた兵士達が何事かと視線を向け、レンの姿を認めて狼狽する。
「レン王子!? 何故このような所に!」
 そう言って駆け寄ってきたのは、褐色の短髪を逆毛にした兵士。巨漢と呼べる程の長身で、顔をほぼ真下にしてレンを見ていた。
 そりゃ慌てるかと思いつつ、レンは顔を引き締めて声を張り上げる。
「そんな事はどうでも良い! 火事だ! 貧民街で火災が発生している! 今すぐ消火と救助に当たれ!」
 王子直々の命を受け、巨漢の兵士は腕を胸の前で水平にして敬礼する。
「はっ! 仰せのままに!」
「頼む」
 力強い返事を受け取り、レンは体の向きを変えて詰所を去る。再び王宮を駆け抜けて玄関から外へ飛び出し、敷地内にある厩舎に向かって突っ走る。ほどなくして到着し、レンは一頭の馬の前で足を止めた。手を伸ばして愛馬の首筋を撫でる。
 これから行くのは火に包まれた危険な場所だ。正直怖い。だけど、じっとしているのは嫌だった。
 気合を入れるように深呼吸をして、レンは自分を鼓舞するのも兼ねて愛馬に話しかける。
「行くぞ! イノベータ!」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

蒲公英が紡ぐ物語 第9話

 レン王子はイライラしていました。環境のせいでちょっとグレちゃってますね。

 レン十一歳編はリンよりちょっと長いです。 
 

閲覧数:279

投稿日:2012/04/12 21:46:23

文字数:5,404文字

カテゴリ:小説

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