注意書き
 これは拙作『ロミオとシンデレラ』の外伝です。
 リンの長姉、ルカの視点で、彼女が十五歳の時の話です。
 この話に関しては、『ロミオとシンデレラ』を第十四話【鏡よ、答えて】までと、外伝【わたしはいい子】を読んでから、読むことを推奨します。
 なお、ルカさんの性格は、【わたしはいい子】の時から、更にひどくなっています。


 【ある日のアクシデント】


 ああ、それにしてもうるさいわ。少しは静かにできないのかしら? 幾らわたしでも、こんなに騒がしかったら勉強できないわ。
 わたしは参考書を閉じると、部屋の外に出た。騒音が大きくなる。聞こえてくるのは、廊下を挟んだ斜め向かいの部屋から。下の妹、リンの部屋だ。いつもは泣くのは上の妹、ハクの役目なんだけれど、今日はリンが泣き喚いている。……本当にうるさい。
 リンの部屋のドアが開いて、お手伝いさんが出てきた。両手に紐でくくった本の束を抱えている。
「旦那様、これで全部だと思います」
「全部、廃品回収業者に持って行ってもらえ」
 ああそうか。そう言えばお父さん、リンは来年から三年生だから、絵本は卒業させるって言ってたわね。確かにいつまでもあんなもの読ませておくものではないわ。わたしは五歳になる頃には、絵本なんか興味無くなっていたけれど。もっと難しい本を幾らだって読むことができたし。そうなってまで絵本なんて読むものではないしね。あれは小さな子供が読むものなんだから。
「やだやだ! すてないで!」
 リン、諦めなさい。泣いたって無駄だけどね。ハクを見てればわかるはずなのに。
「あなた……リンはまだ八歳よ。絵本を無理に卒業させなくても……」
 カエさんだ。相変わらず、リンのことを甘やかしている。リンはそもそも、今まで甘やかされすぎだったんだわ。わたしやハクは四歳の頃から家庭教師について勉強――さすがにこの頃は、平仮名の読み書きと数字の数え方ぐらいからだけど――を教わったけれど、リンだけは家庭教師じゃなくて、カエさんが教えていたし。だからいつまでも絵本を読むような子になったんじゃないかしら。
「甘やかすのはリンのためにならん」
「リンだって絵本以外の本も読んでいるし、少しずつこういうものは卒業していくだろうから……」
「それでは遅い」
 そのとおりね。遅すぎたぐらいだわ。
「ん、ルカ、どうした?」
 お父さんが、廊下に出てきたわたしに気がついた。
「リンがうるさくて……これじゃ勉強できないわ」
「片付けが終わったら黙らせるから、少し待ってろ」
 リンはピンクのうさぎのぬいぐるみを抱いて、泣きながらカエさんのスカートにまとわりついている。カエさんは、そんなリンの頭を撫でていた。……全く。
「ああ、これも捨てないとな」
 お父さんは、リンの手からぬいぐるみを取り上げた。途端に、リンが今まで以上の声で喚きだす。聞き分けの無い子ね。
「うさちゃんを返してっ! 返してえっ!」
 リンはお父さんに飛びついてぬいぐるみを取り返そうとしているけれど、八歳児が成人男性に叶うはずもない。お父さんはお手伝いさんに、ゴミ袋を持ってこいと叫んでいる。
「ぬいぐるみぐらいでガタガタ言うなっ!」
「ぬいぐるみじゃないわ! うさちゃんよっ! わたしの大事なお友だちなの!」
 ぬいぐるみがお友達って……リン、あなた、成長が遅れてるんじゃないの? たかが綿の詰まった玩具じゃないの。生き物ですらないのに、何を言っているんだか。
「それはリンの一番のお気に入りで、毎晩抱いて寝ているのよ。今取り上げなくても……」
 カエさん、黙ってて。
「そんなことをさせているから、リンはいつまでも幼稚なんだ。ああ、他にもぬいぐるみあったな。おい、全部持ってこい。まとめて捨ててしまえ」
 お父さんはカエさんを無視して、お手伝いさんに指示を出している。お手伝いさんが、リンの方をちらっと気の毒そうな表情で見た。リンは座り込んでわんわん泣きじゃくっている。だから、泣いても無駄なのに。
 ……そう言えばあのぬいぐるみ、カエさんが家に来たばっかりの頃に、三つセットでどこからか買って来たんだわね。リンが貰ったピンクの他に、白いのとと水色のとがあったはず。わたしたちに一つずつくれたのだけど、ハクは貰った次の日にはぬいぐるみを切り刻んでゴミ箱に捨ててしまった。わたしもいらないものだから、確か一年ぐらいで、どこかの誰かにあげてしまった。わたしがもらったの、白と水色、どっちだったかしら。……どっちでもいいか。大したことではないし。
 それにしても、リンはいつになったら泣きやんでくれるのだろう。うるさくて勉強に集中できない。
「お父さん、わたし、勉強したいから図書館に行ってくる」
 そう言うと、お父さんは珍しく、困った表情になった。
「ルカ、今日は運転手さんが休みを取ってるから、車が出せないぞ」
「……いい。歩いて行くから」
 図書館まではちょっと遠いけれど、歩けない距離ではない。今、この家にいても勉強どころじゃなさそうだし。ハクもよく泣く子だったけれど、最近は喚いても無駄だと理解したらしく、ぐずぐず泣くだけになってきている。これからは、ハクの代わりにリンが泣き喚くようになるのだろうか。……困った妹たちだ。
「そうか。気をつけて行くんだぞ」
「ええ、行ってくるわ」


 わたしは鞄に勉強道具を詰め込んで、家を出た。朝晩に軽いジョギングをしているから、歩くのは別に苦痛ではない。運動は好きではないけれど、多少の体力は必要だ。体育だけ極端に成績が悪い……なんてよろしくないし。
 歩く途中で、大きな交差点に出た。信号は赤。早く青にならないかしら。変わるのを待ちながら、そんなことを考える。その時だった。
「あれ……もしかして、巡音さん? 巡音ルカさんじゃない?」
 声をかけられて、わたしは振り向いた。わたしの後ろに、同い年ぐらいの女の子が立っている。黒髪に色鮮やかなメッシュを入れた、派手な顔立ちの子だ。……誰だったかしら? わたしの名を呼んだということは知り合いなのだろうけれど。
 わたしが無言で立っていると、向こうはわたしに近づいてきて、しげしげと顔を覗きこんだ。
「やっぱり、巡音さんだ。あたしよあたし、憶えてない? 小学校の時一緒だった欲音ルコよ。ルコとルカ、音が一つ違うだけだね~って、あたし言ったじゃない」
 そんなこと、言われたかしら?
「いやだ、もしかして忘れてるの?」
 憶えていないのは事実なので、わたしは頷いた。
「ねえ、それってひどくない? あたしみたいな目立つ子を忘れるなんて」
 欲音さんとやらは、そう言って唇を尖らせた。そういうことは、自分で申告することではないと思う。
「実際に憶えていないんだから仕方ないわ」
 わたしが淡々とそう言うと、欲音さんは目を細めてわたしを見た。
「巡音さんて、あの頃とあんまり変わってないね」
 だから、何だというのだろうか。と、そこで信号が変わった。わたしは、欲音さんに背を向けて歩き出す。
「ちょっと巡音さん、まだ話終わってないんだけど」
 歩き出したわたしを、欲音さんが追いかけてきた。わたしは交差点を渡りきったところで立ち止まり、振り返る。
「何?」
 そう問いかけると、欲音さんは両手を上にあげた。
「ひっどーい。久しぶりに会った昔馴染みにその態度って無いんじゃないの?」
 何なのだろう、この人は。わたしはちょっと呆れて、目の前の彼女を見た。
「わたしにはあなたを懐かしむ理由がないもの」
 わたしの答えを聞いた欲音さんは、こめかみを指で押さえた。
「そういうことは、はっきり言うものじゃないと思うんだけどなあ」
「あなたが訊くから答えたのよ」
 欲音さんは、背筋を伸ばし、両手を腰に当てた。
「さっきの言葉、訂正するわ。巡音さんは変わってないと思ってたけど、違ってた」
 ……そうですか。小学生の時の知人ということは、あの頃から三年は経過しているのだから、どこかしら変わって当たり前だと思うのだけれどね。
「あなた、はっきり言って、昔よりずーっと性質が悪くなっているわ!」
 その言葉に、心が少しだけ波立った。わたしの性質が悪くなっている? そんなことあるわけがない。誰に聞いたって、わたしの性質が悪いなんて答えは返ってこないはずだ。
「大体さあ、おかしいじゃない? 巡音さん、今、あたしを思い出す努力すらしなかったでしょ? まともな人なら、昔の知人に会って記憶がなかったら、必死で思い出そうとするものよ」
 そう言われても、小学生の時のクラスメイトなど、一々憶えていない。思い出す努力など、するだけ無駄だ。
「それに、今の何? 『あなたを懐かしむ理由がない』ですって? あたしがあなたをいじめていたっていうんなら、そう言われても仕方ないわよ。でも、ごくごく普通のクラスメイトだったでしょ。なのに何、その言い草は?」
 記憶に無いのだから、当然、関係も憶えていない。ただ誰かをいじめたとか、いじめられたとか、そういう記憶はないから、その関係性にあてはまらないことだけは確かだ。
「……ちょっと巡音さん、あなたなんで無反応なの?」
 立ち止まってあれこれ考えていると、欲音さんが詰め寄ってきた。
「何?」
「何じゃないわよ何じゃ! 全く、あなたって、どうしてそうなの!? 人の話、ちゃんと聞いていたの?」
「ええ。『なんで無反応なの?』って、そう訊いたわよね。その前は、わたしたちがごくごく普通のクラスメイトだったという話で」
 そう言うと、欲音さんは目を見開いた。……何だろう。
「……全くもう。巡音さんって、どうしてそうなの?」
 自分一人が納得している話を延々続けないでもらえないだろうか。
「なんかもう、あなたと話をしていても埒が明かないって感じがしてきたわ」
 欲音さんは、一人で勝手に結論を出している。とはいえ、話をしていても仕方がないというところは、わたしも同意する。こんな話は時間の無駄だ。
「でもね、一つだけ言っとくわ。巡音さん、あなた、生きていて楽しいの?」
 楽しい……?
「あたしね、不思議だったのよ、あなたのこと。だってあなた、いつも淡々と一人で勉強してるだけだったでしょ。クラスのみんながアイドルやアニメや漫画の話で盛り上がっている時はいつも、一人でしらーっとしていたし。みんな、あなたのことを『教科書女』って呼んでたわ。教科書みたいに真面目で、面白みってものが全然無いから」
 ……だからどうだというのだろうか。わたしはやるべきことをやっているだけで、それをどうこう言われる筋合いもない。
「あなた、一体、何が楽しみなの? あたしにはわからないわ。会わなかった三年の間に、拍車のかかった教科書女の巡音さん」
 そこまで言って、ようやく、欲音さんは黙ってくれた。どうやら、これで終わりらしい。
「それで終わり?」
「……そうよ」
「そう。それじゃ」
 わたしは、欲音さんに背を向けて歩き出した。こんな話を律儀に聞くこともなかったかな、と思いながら。
「ああもう……巡音さんっ! あのねえっ! あなた、時々歩くマネキンに見えるわよっ! そんなんでいいわけっ!?」
 後ろで欲音さんが叫んでいる。が、わたしは無視して、先へと歩いて行った。それにしても、歩くマネキンとは一体何のことなのだろうか。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ロミオとシンデレラ 外伝その七【ある日のアクシデント】前編

長すぎたので分けました。
なお、この作品の設定上、欲音さんは女の子です。

閲覧数:1,014

投稿日:2011/09/13 23:04:41

文字数:4,672文字

カテゴリ:小説

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