凛歌は、可愛いのに可愛い格好をしてくれない。
可愛い服を選んで買ってきても、ワードローブの肥やしになっている。
仕事柄、仕方ないとは思う。
凛歌がやっているのは、介護だ。
時には老人を抱え上げて肩が唾液で汚れたり、排泄物を処理して服が汚れたり、漂白剤が飛んで色が抜けたりするのだというし。
だから、綺麗な服を着ていてそんな目にあったら、目も当てられない、と。
だが、休みの日に着てくれるかといえばそうでもない。
仕事疲れでぐったりしているところに、綺麗な服を着てごろごろしたら、しわくちゃになりそう、だとか。
そこで僕は、一大決心をした。
「姉をデートに誘いたい?」
こっくり、と涼に頷いてみせる。
仕事に行くときはダメ、家にいるときもダメ。
ならば、外出に誘えば着てもらえるんじゃないか、と思ったのだ。
「凛歌は、どんなところを回れば喜ぶかな、と思って。」
「姉ならまず図書館にでも連れてけば大喜びで読書に没頭するけど、それじゃダメでしょ?」
考え込む涼。
僕が来る前までの凛歌の休日の行動を思い起こしているらしい。
「水族館か、動物園。・・・もしくは、映画、かな。姉、人間以外の生き物好きだし。よく行ってたし。映画だったら、スポーツものやギャグものはNG。どっちかって言うと、人間をしっかり描かれてるのが好きって言ってたな。『汚れたところをしっかりと描くことで、逆に本当に綺麗なものがしっかりと浮かび上がってくる』って。」
言われたことを、手元の紙に書き落とす。
「あと、硝子細工とか天然石とかの店を回るのも好きみたい。時々、天然石のアクセを月光浴させてるし。」
その光景は、僕も見たことがあった。
部屋の窓際にローテーブルを出してきて、月明かりの中に天然石のついたアクセサリーを並べるのだ。
普段、お洒落なんて殆どしない凛歌にしては、アクセサリーの数が多かったのを憶えている。
「・・・ま、こんなとこかな。あとは、自分で頑張って計画立てなよ。」
涼はそう言って、大学のレポート作成に戻った。
手元の紙を見ながら、凛歌のパソコンを借りて猛検索をかける。
どこか、条件に合致したところは・・・。
「・・・小樽?」
次の休みで小樽に行こう、と。
一瞬、言われた意味を理解するのに間を要した。
何故、小樽?
「そう、小樽。JRの快速に乗って、小樽駅からバスを使ってまず小樽水族館に行って、それから、北一硝子やオルゴール堂を見に行こ?」
小樽水族館・・・そして、北一硝子にオルゴール堂。
いずれも的確にツボをついたチョイスだ。
事前のリサーチと努力が垣間見える
そして、追い討ちのように一言。
「あのあたりは、天然石のお店も多いし・・・だめ?」
必殺・上目遣い。必ず殺すと書いて、必殺。
これは既に、対集団用殺戮兵器や攻城戦兵器・・・いや、核兵器なみの破壊力を行使している。
「・・・・・・行く。」
あぁ、わかってるともさ。
見事にノせられてるのは重々承知。
だが、ここで行かなければ女が廃る。
「そんなモンで廃るのかよ、女って。」
なんて背後で涼が呟いたので、鉄拳制裁を忘れない。
あぁ、足元がスカスカする。
踵が高くて、バランスが悪い。
穿きなれないスカートと履きなれないミュールで足元が非ッ常に覚束ない。
普段運動靴やパンプスばかりなのは別に、趣味だからじゃない。
踵の高い靴を履くと、何も無いところでも躓いてしまうのだ。
さっきからも、何度もけっ躓いては帯人に支えてもらってる。
「ぁぅ・・・。」
帯人が選んだピンクのノースリーブワンピースを着て、半袖の白いブラウスを羽織って。
化粧を施され、丁寧に手足の爪を塗られて。
髪を整えられ、履きなれないミュールを履いて。
帯人相手じゃなかったら即、暴れている。
それでも、不満じゃないのは・・・。
「凛歌、可愛い。」
隣に、とっても満足気な帯人がいるからだ、きっと。
朝から頭に花でも生えてそうなくらい、にこにこして、自分はいつものカッターシャツ姿のくせに私を着せ替え人形にして。
寝起きで30着以上の服をとっかえひっかえされる気にもなってみろ。
低血圧人間は寝起きで行動すると立ちくらみ起こすんだぞ。
・・・・・・なんて言葉も、帯人の満足そうな顔を見ていたら陽光に溶けてしまう。
「帯人、そろそろ目的地その1に到着するぞ。」
頬を赤らめるでもなく、可愛いという言葉に礼を言うでもなく、バスの窓を見て、呟く。
あぁ、私、可愛くない。
ぐじぐじと沈み込みながら、バスのステップを下りる。
足元に違和感、あ、コケた。
背後から手が伸びて、背中にぬくもり。
どうやら、また帯人に支えてもらっているらしい。
「・・・・・・ありがと。」
あぁ、可愛くないッ!
自分自身を叱責しながら、礼を述べる。
「んーん。結構役得だし。」
にこにこと、腹の辺りをホールドしている帯人。
あ、なんかヤな予感。
「ごめんね、歩きにくい靴、選んじゃって。責任取るか・・・らっ。」
靴裏から地面の感触が消失、それと共に、浮遊感。
要するに姫抱き。
「おおおおおおお降ろせ離せ自分で歩くからとりあえず降ろしてくれ頼むからお願いだからこのままじゃ死ぬハズくて死ぬっ!」
「えー・・・。」
うあ、すっごく残念そうな顔。
「えー・・・じゃない。とにかく降ろしてくれ。対策はそれから考えよう。」
渋々ながらも、私を降ろす帯人。
その腕・・・左腕に、ぎゅっと抱きつく。
「・・・・・・これで、問題ないだろ。」
私としてはこれでもかなり恥ずかしいものがあるのだが。
歩行の安定性と帯人の満足感とのギリギリの折衷案が、これだった。
全国のバカップルの皆様、重ね重ね、今まで『街中でベタついてんじゃねーやバカップル共、くっついたそのまま下水に流れて海までいっちまえ』なんて毒づいてきたことを謝罪いたします。
水族館の入り口を潜ると、まず目の前に浅いプール。
その中には、ウミガメがのんびりと泳いでいる。
初めて実物を見たが、結構大きい。
確か、凛歌が前に読んでくれた日本の民話で、竜宮上まで主人公を乗せて泳いだのもウミガメだったはずだ。
それをひとしきり眺めて、パノラマ回遊水槽を抜けると、小さめの円柱型プールに行き当たる。
ネズミイルカとゴマフアザラシのプールだ。
「懐かしい・・・。」
「前に、来たことあるの?」
僕の問いに、こっくりと頷く凛歌。
「中学の頃、行事で来たんだ。その時ここはふれあいプールで、中にいたのはネズミイルカだけだった。自慢じゃないけど、その時イルカに触れたのは私だけだったんだぞ。こう・・・。」
凛歌が、胸の前に持ってきた手首を上下に振る。
「水面をぱしゃぱしゃ叩いてな、イルカを呼んだんだ。『一緒に遊ぼう』って。イルカは賢くて好奇心が旺盛だから、興味の惹かれないところには絶対にこない。だから、根気良くアプローチしたんだ。でも、本当に来るとは思わなかったな。ざぱって水をかき分けて、きゅきゅきゅ、って鳴きながら目の前に現れたときは、ちょっとびっくりした。気付いたら自分の手がイルカの口の中にあって・・・。トゲトゲした歯や、つるつるした皮膚に触って、撫でてやったっけ・・・。因みに、ぱしゃぱしゃやりすぎたせいで制服の袖がびしょぬれになるオマケつきだ。」
「ふーん・・・。」
2、3頭いるネズミイルカの、どれかが、凛歌と遊んだイルカなんだろうか?
ちょっとばかり、面白くない。
次の瞬間、不意打ちで頭にぬくもり。
凛歌が精一杯背伸びをして、頭を撫でていた。
「スネるな。昔の話だ。今は大事な恋人がいるんだ。そうそう浮気するわけ、ないだろ?」
今『浮気したらおっかないし・・・』とかそういう表情が顔を掠めたけど、その言葉は素直に嬉しかった。
ネズミイルカのプールの横を通り抜け、『南と北の魚』という展示に入る。
「あ・・・・・・。」
目に入ったのは、ベタ。
凛歌が飼っている、あの孤独な魚。
小さな小樽硝子の器に入れられて、ゆらゆら泳ぐ。
それが、いくつか並べられていた。
「これ・・・これだと、寂しくないね。」
「そう・・・だな。」
なんとなく、僕と凛歌を連想した。
1人と1人でしかなかった僕達も、今は2人でいられた。
孤独じゃなくなった魚。
そのことに、どうしようもなく、神様に感謝したくなった。
屋内でバンドウイルカのショー、屋外でペンギンやアザラシ、トドのショーを見る。
観客が多くて背の足りない凛歌を抱えて見せてあげると、子供みたいにきゃあきゃあ喜んでた。
正直、こんな風に笑う凛歌はあまり見たことがなかったから、ちょっと新鮮だった。
軽く昼食をとって、小樽の街を散策する。
北一硝子に並べられた硝子商品は、確かに見事なものだった。
凛歌はペアのグラスを見つけ、いそいそと会計に行った。
「ねぇ、きみー。」
声をかけられたのは、そんなときだった。
女の二人連れ。
脱色した髪はつやを失ってパサパサしている。
ファンデーションを塗りたくった顔は白ぱけていたし、マスカラはダマになっていて見苦しかった。
「ねぇねぇ、1人ー?なんだったら私たちと一緒にその辺回らなーいー?」
「うーわーぁ、カズミってば、だいたーん。でもぉ、キミ、綺麗なカオしてるよねー、その眼帯どーしたのぉー?」
必要以上に語尾を延ばした口調が、不快だ。
「悪いけど、連れがいるから。」
当たり障りのない常套句で、断りを入れるが、彼女たちは諦めてはくれないらしい。
「いいじゃんいいじゃんー。ひとりぼっちで散々待たすツレなんて置いてってもぉー。あたしたちと来た方が絶対楽しいってぇー・・・。」
「悪かったな、『ひとりぼっちで散々待たすツレ』で。」
二人連れの背後から、冷気・・・いや、殺気。
紙袋を提げた凛歌が、立っていた。
「帯人、いつまでそんなのに付き合ってる。行くぞ。」
その身に羽衣のようにまとう空気は、絶対零度。
この空気に触れれば、シベリアの永久凍土のほうがまだ幾分温かいと感じることが出来るであろう。
「なーにあれ?女装した男の子ぉ?あれがツレ?」
「ちっちゃーい。まぁだ子供じゃなーい。」
負け惜しみなのか随分と無礼なことを言ってくれる。
少し・・・いや、かなり、カチンと来た。
「悪いけど、女の子だから。それに、精神年齢で言ったら君らの方がかなり子供だし、幼稚だと思うよ?あと僕の大事な恋人に、その聞き苦しい声を聞かせないでくれないかな?迷惑だ。」
じりじりと後退を始めた2人に、追い討ちをかけるように、凛歌を腕の中に抱え込む。
そのまま、唇を重ねた。
柔らかい唇を楽しみながらちらりと2人を見ると、すごすごと退散するところであった。
とりあえず、これ以上の邪魔をしなかった点についてだけは、褒めてあげよう。
「たい・・・とっ!」
凛歌を開放すると、真っ赤な顔でじろっ、と睨まれる。
「こんな人通りの多いところで、しないで。」
人目を気にするのは、やはり恥の民族・日本人だからなのであろうか?
と、言うよりそのセリフは、人目のないところならしてもいいってことにならないだろうか?
凛歌が紙袋から小さな包みを出して、中身を取り出す。
首に抱きつくように手を回して、首の後ろで鎖を留めた。
胸元に、錠剤くらいの大きさをした楕円形の紅い石が触れた。
「首輪。もう言い寄られないように。」
ぎゅっと左腕に抱きつく凛歌が、愛おしかった。
正直、男なのになんでナンパされてるんだとか、人の多いところでやりすぎるなとか、そういう可愛くないセリフを口にしそうになったが、それで狭量な女だと思われるのが、嫌だった。
だから、冗談めかしてやった。
勝手に、向かいの天然石の店に行った私も悪かったわけだし。
ただ、向こうで綺麗なガーネットを見つけて、『帯人の色だ』と思ったのだ。
あの黒服共の親玉の会社と電話で話した際、電話の向こうがぽろっと『1月製造』だとか言ってたのが記憶に残ってたのかもしれない。
気がついたら、そのペンダントを購入していた。
「凛歌、凛歌にも同じのプレゼントさせて?」
帯人の声で、我に返る。
あ、ちょっと頬に赤みが差して可愛い。
「お揃い・・・だめ?」
だめ、なんて言える筈、ない。
結局、私たちは揃いのペンダントをつけて帰宅し、家族に散々からかわれることになるのだった。
コメント0
関連動画0
ご意見・ご感想