第三章 決起 パート1

 カイト皇帝がルーシア王国から命からがら撤退した1805年十二月の後半、港町ルータオを訪れた二人の人物が存在した。その前に、この時点でのルーシアの状況を簡潔に整理しておかなければならない。難航した帝国によるルーシア遠征とは異なり、ルータオ占領作戦は赤騎士団からの痛恨の損害を受けた以外ではほぼ予定通りの処置が成されることになった。その中でも主だったものは、ルーシア港の直轄領化であっただろう。それまで商人に解放されていたルーシア港は国家機構となり、そこから上がる利益に関しても国家が独占するという状態になったのである。
 その帝国に対して、ルーシアの商人が素直に納得するわけが無い。だが、彼らには根本的に帝国軍に対抗するための手段に欠けていた。即ち、軍事力である。とはいえ、彼らもただ指をくわえて黙していたわけではないかった。後に大きな布石となる、三人の人物がこのルータオに集まったのである。彼らの目的は、帝国からの自立と、自由経済の達成であった。
 その中の一人は、真冬の長旅に疲れたという表情を見せた、金具の細い眼鏡をかけた二十代後半の男性であった。旅装にも関わらず、しっかりと着こなした様子から見ても、それなりに地位のある人物であることが推定できる。彼の名はキヨテルという。ルワールより南方に位置する農地の地主であった。その、本来ならば農場でのんびりと冬を過ごしているはずのキヨテルがこのような北方にある、港町ルータオにまで訪れた理由は自身の意思もさることながら、隣を歩く、同じく二十代後半に見える女性の力が大きく影響していただろう。
 「もうすぐ、ルータオに到着するわ。」
 輝くような、腰にまで届く金髪を持ち、黒い瞳孔に青い虹彩を持つその女性が威勢を張るようにそう言った。その言葉に、キヨテルは少しうんざりとした様子でこう答える。
 「リリィ。言われなくても分かっているさ。」
 その言葉に、キヨテルにリリィと呼ばれた金髪の少女は憮然とした様子で腰に手を当てた。そして、反論するようにこう答える。
 「あんたねぇ、せっかく私がここまで案内してあげたんだから、少しは感謝したらどうなの?」
 「感謝はしているさ。だが、リリィにも益のある話だから僕を引き連れて長旅をしてきたのだろう。」
 「そりゃそうだけど!」
 そう言ってリリィは納得できない、という様子でふい、とそっぽを向いた。その様子を見て、キヨテルはやれやれ、という様子で溜息を漏らす。リリィはミルドガルド全土を相手に商売をしている旅商人であった。未だ治安の安定しないこのミルドガルドで、女性一人で旅を行っていること自体が驚異的な出来事ではあったが、自分一人の身を守れる程度の鍛錬を受けていることは付き合いの長いキヨテルは十分理解していた。今回の件にしろ、古くからの盟友である、とある人物との協議を行いたいが為に、わざわざ何日もかけて旅を続けてきたのであるから。
 「いい話はできるさ。きっと商売も上手くいくだろう。」
 視線を逸らしたまま、怒った様子で先を歩くリリィに向かって、キヨテルは呆れた様子でそう声をかけた。
 尤も。
 それなりの苦労は必要になるけれどね。
 漸く視線をキヨテルに戻したリリィの様子を眺めながら、キヨテルはそのように考え、深く思案するように僅かに溜息を漏らした。
 
 彼らがその人物との待ち合わせをした場所はルータオの中心部に位置する酒場、『巻貝亭』という名の店であった。何度か訪れている、キヨテルとリリィにとっては馴染みの深い店でもある。到達したのは正午を少し越えたころであった。その酒場の扉を潜り抜けると、人並み以上に美人に見える女性が柔らかな笑顔を見せながら近付いて来た。三十路近くとも尚、巻貝亭の看板娘もあるリンダである。そのリンダはキヨテルとリリィの姿を見ると、懐かしむように瞳を細め、そしてこう言った。
 「お久しぶりですね、お二人とも。」
 「半年ぶりですか。」
 代表して、キヨテルがそう答えた。最後に訪れたのはルータオが帝国による占領下に置かれた直後、六月の時であっただろうか。
 「ウェッジさんだっけ・・?弟さんはまだ?」
 続いて、店内を懐かしむように見渡していたリリィがそう言った。ウェッジは以前この店で用心棒を務めていた人物であり、リンダの弟である。前回訪れた時は何処かに旅立ったと聞いていたが、未だにルータオに戻って来てはいないらしい。そう考えながら訊ねたリリィに対して、リンダは呆れた様子で肩をすくめると、こう言った。
 「無事を知らせる手紙は届きましたけど。」
 そうして、溜息交じりの声で言葉を続ける。
 「今何処で何をしているのか、全く分かりませんわ。赤騎士団の方々に付いて行ったことは間違いなさそうですけれど。」
 「赤騎士団、ね。」
 キヨテルが慎重な口調でそう言った。いくら肉親とはいえ、自身の居場所を明かす気分には到底なれなかったのだろう。何しろ、こちらで手に入れた情報が正しければ、ウェッジは今、ミルドガルド帝国にとって最もやっかいな人物と同行しているはずであるのだから。
 「とにかく、まずは旅の疲れを癒してくださいませ。お食事はお済ですか?」
 僅かの沈黙の後に、リンダが気を取り直すようにそう言った。その言葉に、リリィが軽く両手を合わせて小気味良い音を立てながら、こう答える。
 「実はまだなの!ゼンさんの心づくしの料理が食べたくて、我慢していたから。」
 楽しげにそう告げるリリィに対して、リンダもまた嬉しそうに微笑んだ。そうして、二人に向かってこう答える。
 「では、お席にご案内いたしますわ。・・お二人で?」
 リンダはそこで確認するようにそう訊ねた。キヨテルとリリィ、この二人だけで食事を取ることは少ない。或いは、と考えたのである。そのように考えて訊ねたその問いに対して、キヨテルは僅かな笑顔を見せると、こう言った。
 「あと一人来る予定だ。」
 リンダはその言葉に得心した様子で頷くと、四人がけのテーブルにキヨテルとリリィを案内した。最後の一人が現れたのは、丁度そのタイミングであった。唐突に開かれた扉の向こうに現れた、桃色の髪をもつ、キヨテルやリリィと同年代に見える女性が現れたのである。
 「ミキ、こっち!」
 目ざとくその女性を見つけ、一番に声をかけたのはリリィであった。ミキと呼ばれたその女性は、リリィの声に反応するように一つ頷くと、颯爽とリンダが案内したテーブルへと歩いてゆく。ミキはルータオでは一番と評価される海運業者の棟梁であった。女性ながら胆力に満ちたその態度に多くの海男たちが感服し、そして巨額の利益をこのルータオにもたらした人物でもある。半年前にキヨテルとリリィにある情報を伝えて以降再び大海へと漕ぎ出し、一通りの貿易を終えてつい先日帰国したばかりであった。そのミキはキヨテルたちのテーブルに辿り着くと遠慮なく腰を下ろし、そしてリンダに向かってこう言った。
 「とりあえず、お勧めのお酒を頂くわ。」
 「畏まりました、ミキ様。」
 その対応にリンダは普段どおりに柔らかな笑顔で応える。続けて、キヨテルとリリィの二人に向かってリンダはこう訊ねた。
 「お二方も、食前酒をお持ちしましょうか?」
 「僕もお勧めを。」
 「私も。」
 それぞれがそう答えたことを受けて、リンダは丁寧にお辞儀すると、厨房へと下がってゆく。リンダが席から離れると、キヨテルは周囲に聞かれまいとしたのか、慎重に声を落としながらこう言った。
 「やはりあの娘・・ミキが言っていた、金髪蒼眼の少女はリン様である可能性が高い。」
 その言葉に、ミキは小さく、そう、とだけ答える。その言葉に反論するように、リリィは口を尖らせながらこう言った。
 「別に金髪青目が珍しいわけでもないでしょう。それなら、私だってそうだし。」
 その言葉に対して、キヨテルはまるで講義を行う教授のように丁寧な手つきで自身の眼鏡に右手を当てると、静かな口調でこう言った。
 「残念なことに、全く異なる。リリィは確かに金髪青目だが、瞳孔は黒色だろう。」
 「そりゃ、そうだけど。」
 納得できない、という様子でリリィはそう訊ねた。それに大して、キヨテルは変わらずに声を落としたままでこう答えた。
 「だが、黄の国の王族は、瞳孔部分も含めた全ての目の色が蒼い。」
 続けて、キヨテルは解説を続けようとして、やめた。リンダが一本のボトルと三人分のグラスを持って現れたからである。
 「今日はホットワインに致しましたわ。ぜひ身体を温めてくださいまし。ランチもおまかせで?」
 慣れた手つきで給仕をしながら、リンダは三人に向かってそう訊ねた。この寒い時期にホットワインはありがたい、とキヨテルは考えながら、リンダに向かって了解の意を表すように頷く。他の二名も同様であった。その反応にリンダはありがとうございます、とお辞儀をしながら答えると、再び厨房へと下がっていった。誰とも成しにボトルを手にして、湯気が心地よく香るホットワインをそれぞれのグラスに注ぎ込む。そして、再会を祝うように小さく互いのグラスを重ね合わせた。
 「話はどこまでだったかな?」
 一口、ワインを含んだ時点でキヨテルは全員に確認するようにそう尋ねた。ふわりとした甘さが口の中を包み込む。相変わらず、店主であるゼンが目利きした酒は旨い、という感想をキヨテルは抱いた。
 「瞳孔も含めて、目の全体が蒼いということ。」
 補足するように、ミキがそう答えた。その言葉にキヨテルはああ、と頷き、そしてこう答えた。
 「実際、ルータオでミキが目撃した情報と、赤騎士団が訪れる直前にロックバード卿がルータオを訪れていることから推測して、ロックバード卿の領地であるルワールで情報収集をした。間違いなく、今ルワールに隠れているあの娘は黄の国王族の関係者だ。」
 「でも、彼女は処刑されたでしょう。メイコの反乱の時に。」
 リリィがそう訊ねた。そう、それはキヨテル自身も疑問に感じているところであった。悪ノ娘リンはカイト皇帝の手により、公開処刑されたはず。それは間違いがない。だが、ルータオに関する情報に詳しいミキの話によれば、このルータオに在住していた金髪蒼眼の人物は年頃の、丁度悪ノ娘と同年代に当たる少女であるという。その謎は未だに解かれてはいないけれども。
 「とにかく、何とかしてロックバード卿とのパイプを構築してみよう。」
 キヨテルがそう言ったとき、再びリンダが三人前のランチプレートを抱えてテーブルへと現れた。
 「チップスアンドフィッシュに、冬野菜のスープですわ。」
 リンダがそう解説を加えながら、三人前の料理をテーブルに並べる。その作業が終わると、リンダはもう一度お辞儀をしながら、こう言った。
 「それでは、ごゆっくりとお過ごしください。」
 そう言って、再び厨房へと戻ってゆく。その後姿をちらりと確認してから、キヨテルは再び口を開いた。
 「それで、帝国軍はどうなった?」
 「大負け、よ。」
 白身魚のフライにナイフを入れながら、ミキがそう答えた。
 「あの帝国軍が?」
 信じられない、という様子でリリィがそう訊ねた。それはキヨテルも同様であった。果たして、どれ程の敗北を喫したのか、と考えた二人に向かって、ミキが落ち着いた様子でこう答えた。
 「極秘情報だから、他言無用よ?」
 当然、という様子でキヨテルとリリィが頷いた。その二人を眺めながら、一口サイズに切り分けた白身魚を口に含み、咀嚼してから、ミキはこう答えた。
 「死者、行方不明者九万人以上、らしいわ。」
 「九万人?」
 思わず叫びかけた自身の口を押さえ込むように、キヨテルはそう言った。確かルーシア遠征に参加した兵数は十万人のはず。その大半を失ったというのだろうか。そう考えたキヨテルに対して、ミキは冷静に頷くと、こう言った。
 「せっかくの美味しい料理が冷めてしまうわ。」
 その言葉に触発されたかのように、リリィがナイフとフォークを手に取った。一方、キヨテルは尚も信じがたい、という様子でこう訊ねる。
 「間違いのない情報なのか?」
 「あるわけがないでしょう。私の情報網を舐めないでね。」
 ミキはその商売柄、全世界の情報を一手に集める立場にある人間だった。その情報網は一国家にも匹敵すると言われている。無論、その情報網を動かすだけの資金も豊富に抱えていたからこそ、この様な事が出来るのである。何しろ、正式には公表されてはいないが、ミキの資産は数万リリルと噂されているのである。資金だけ見れば、ミルドガルド帝国の国家予算にも匹敵するだけの力を持ち合わせている人物がこのミキという人間であった。
 「ならば、僕たちには絶好の機会が訪れているということか。」
 ようやくナイフとフォークを手にしたキヨテルが、白磁の皿に添えられたポテトをフォークで串刺しにしながらそう言った。その言葉に、ミキは僅かに首をかしげると、こう答える。
 「どうかしらね。未だ帝国軍は五万以上の兵力を有しているから。」
 そのミキに対して、キヨテルは不敵に笑うと、こう答えた。
 「仕方ないさ。多少のリスクは承知の上、だ。」
 「で、具体的にどうするの?」
 白身魚のフライを半分ほど平らげたリリィが、箸休めとばかりにそう訊ねた。その問いに対して、キヨテルは状況を確認するように、こう言った。
 「赤騎士団一千名に、ルワールの守備兵が五百名。合計千五百名。これでは勝てない。」
 「そりゃ、誰もがそう考えるわよ。」
 悪態を付くようにリリィがそう答えた。そのリリィを宥めるようにキヨテルは瞳を細めると、続けてこう答えた。
 「もう一人、黄の国との関係が深い剣士の力が必要だ。」
 「居場所、つかめたの?」
 再び、リリィがそう訊ねた。そのリリィにキヨテルは力強く頷くと、こう答えた。
 「大陸最強の剣士・・ガクポ殿は、今、旧緑の国パール湖の周辺にその拠点を定めているらしい。」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハーツストーリー 41

みのり「ということで第四十一弾です!」
満「今回は他社ボカロ大集合だな。」
みのり「元々、裏方は他社ボカロにお願いする予定だったからね。」
満「ということで、第三章も宜しく頼む。リン達が出てくるのはもう少しだけ先だな。」
みのり「ということで、次回も宜しくね☆」

閲覧数:244

投稿日:2011/04/17 00:32:05

文字数:5,766文字

カテゴリ:小説

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