22.帰朝調査報告

 安禄山に先着していた南條が労いの言葉をかけた。土岐はショルダーバッグを肩から下ろした。座るところがない。おろおろしていると老婆が調理場から丸椅子を持ってきた。土岐は狭いカウンターに貼りついた。小皿や小鉢やコップが山積みになっていた。
「無事の帰国を生ビールで乾杯だ」
と南條が声を掛ける。老婆は土岐の顔を見ながら震える手首で生ビールをジョッキに注いだ。ジョッキを置くところがない。持ったまま素早く飲み干した。背筋に悪寒が走った。喉が乾いていたのでうまかった。土岐はショルダーバッグを膝の上に乗せ手帳のページを一枚破りながらメモを書き始めた。最初の1枚を南條に見せた。南條は説明してくれと言いたげにメモから目線を上げた。
「アメリカでは大量の行方不明者がいて、一番多いのは少女です。一説では変態者の犠牲になっているらしい。永山奈津子がドリムランド職員の家で十数名の人たちとひそかに会っていました。仮装パーティーみたいでした。また、林さんの記憶では、永山奈津子の写真をどこかで見たような気がするとのことでした」
 次に土岐は紙に、
〈メソポタミア文字=nかj〉
と書いて説明した。
「夜目遠目で、はっきり見たわけではないんですが、感じとして例のメソポタミア文字は斜めになっていたのでnかjです。確認したわけではありませんが、その家に集まった全員がそのバッジをつけていたようで。でも金文字ではなくって陶器でもないようでした。家の主の名前はジェイムズ・ノイマンで頭文字J・Nで一致します」と土岐はもう一枚書いた。
〈3411=住所+ナンバープレート〉
「なんだ、これはこっちと全く同じじゃねえか」
「奈津子が連中と密会した民家の住所番号が3411でそこに集まってきた五六台の車のナンバーが州は違うんですが、全て3411でした。その集会は毎年、同じ家で同じ時期にやっているそうです。同じ時期というのはホスピタリティコンベンションのあるときです。家の住民はドリムランドで着ぐるみの仕事をしているそうです」
「その、ホステスさん今晩小便、ってえのはなんだ?」
「いえホスピタリティコンベンションです。企業研修会のようなものでしょうか。いかに客に接遇するか?サービス業の真髄を討議したり、報告したりする会のようです。まあ、テーマパークというのはリピーターがいないとゴーイング・コンサーンとして成立しませんから、そういったことが重要になるんだと思います。とくにアナハイムから始まって、フロリダ、東京、パリ、ホンコンと世界展開してきたんで、文化の違いでホスピタリティの概念が異なるとか」
「昼間はそういう会議に参加して夜は少女殺人の相談てえこと?」
と言いかけたときに、三人連れの客が勘定を済ませて、出て行った。テーブルは片付いていなかったが、二人は空いたその席に移った。
「明日CDLに行きます」
と土岐が椅子を引き寄せながら提案した。南條が聞く。
「行ってどうする?」
「永山奈津子に会ってきます」
「逢ってどうする?」
「気付かれないように尋問してみます」
「それは無理だ。お前はどしろうとだ。尋問はできるかもしれねえが、気付かれるから、奈津子は答えないか嘘をつく。間違いなく失敗する。それに明日は代休で休みじゃないか」
「いえ、成田から電話で確認したら、明日出社するそうです」
「逢うのはいいが尋問はやめとけ。やぶへびだ。こっちはまだ何の証拠も集めちゃいねえ。気付かれて湮滅されたら元も子もない」
「それじゃ尋問はやめときます。それとなく言ってみて彼女の反応を見てみます。それから永山クリニックの住所の1の41の3と3411のナンバープレートは何か関係があるんでしょうか」
「偶然にしては数字が一致しすぎている。長田の大阪の住所も11の4の3だ。出てくる数字が1と3と4だ。なんの脈絡もない」
 疲労と時差とアルコールで土岐は朦朧としてきた。南條の話が間歇的に次第に遠くなるのを感じていた。南條が思い出したように、
「CDLの前に、大阪に行ってもらえないか。長田の身辺を洗って貰いたい。このメモに住所が書いてある。大阪府警の小関に話を通しておく。とりあえず、明後日の月曜日、新幹線に乗ってくれ。詳細はメールする。ほんとは、おれが行きたいところだが、名目がない。出張願を出しても、通りそうもない。有給はすでに全部使い果たしちまったし、申し訳ないけど。永山奈津子の方はその後でもいいだろう。それから、これは裏金だ」
と言いながら南條は茶封筒を差し出した。結局、その晩は記憶を失い、どうやって自分のアパートに帰宅したのか記憶がなかった。
 翌日の日曜日は、二日酔いで寝ていた。夕方になって亜衣子に電話し、叔母の容態が落ち着く迄、もう少し、研究所を休むと伝えた。
 月曜の午前中、土岐は黒いハンチングを被って新幹線で大阪に向かった。熱海を過ぎたあたりで南條から携帯電話にメールが入った。
@新大阪で降りて、JRゆめ咲き線のワールド・シティ駅で降りると長田の写真館があるはずだ。店の名前は、長田フォトスタジオだ。昨夜渡したメモの住所だ。そのあとは明石の三州瓦の工場へ行って、隅田川で溺死した女子高生の父親の身辺調査をしてくれ。最後に、大阪府警の小関に会ってくれ@
 南條のメモを確認すると、明石の三州瓦工場の住所と長田尊広の戸籍と住民票の情報が書かれていた。長田は母親の浪江と配偶者の規子の三人暮らしだった。父親の隆は十数年に死んでいる。
 土岐はワールド・シティ駅で降りた。BMWの登録者の住所を書いたメモを見ながら運河沿いの工業地帯をマフラーを首に巻きつけてダッフルコートで歩いた。大阪の街中はそれ程でもなかったが、運河沿いでは海風が冷たかった。駅から十分程歩いたその住所には、敷地百坪程の二階建ての灰色のモルタル造りの外壁に、長田フォトスタジオという看板が掛かっていた。壁のモルタルに稲妻のような罅割れが走っている。築三四十年はたっていそうな古い建物だった。住所をもう一度確認すると11―4―3となっていた。デジャヴのような感覚が土岐の脳裏を捉えた。テーマパーク、湾沿いの運河、周辺に住宅のない店舗、番地。写真館の入口の周辺を歩いてみた。人通りがなく客が出入りする気配はなかった。玄関に近づいてよく見る。網硝子のドアノブに本日休業というプラスティックのカードがぶら下げられていた。その建物の周囲を外側から一回りして確認した。内部に人の気配は感じられなかった。玄関の両側にはショーウインドがある。七五三の記念写真や結婚式や成人式や見合い用や証明書用の写真が所狭しと展示されていた。七五三の記念写真に写っている少女に土岐の目が止まった。古い写真だった。白黒写真だがセピア色になりかけていた。飴の袋を提げ赤い着物を着ているが目鼻立ちが化粧をしているのではないかと見まごう程くっきりしていた。丸顔の美少女だ。その顔を少し細長くすると永山奈津子に似ているように見えた。帰りかけたとき浅黄色の作業服を着た5分刈りの中年の男がママチャリに乗って鼻歌を歌いながら通りかかった。
土岐は声を掛けた。男は一瞬怯えたように首をすくめた。関東弁に少し気色ばんだ。チャコールグレーのパンツの片足を地面につけた。
「この写真館ですが、ずっと休業ですか?」
「よう知らんがその筋のおっさんがやっとんのとちゃうか?」
「女性はいないんですか?」
「ばあさんとかみさんがいたみたいやけど、ばあさんの方は昔小学校の先生やっとったらしいが、もう定年とちゃうか。かみさんのほうは、WSJの掃除婦かなんかをやってるっちゅう話や」
と言い捨てて男はペダルを踏み込んだ。さらに、質問しようとしたが、男はそれをさえぎるようにして走り去った。
 土岐は明石迄足を延ばした。隅田川に入水したらしい女子高校生の父親が三十年近く勤務していたという三州瓦の工場は港の近くにあった。正面入口に低い常緑の生垣があり、ロゴつきの真鍮の社名プレートををはめ込んだ礎石の周りに三本の旗が立っていた。中央が日本国旗、両脇が社旗になっていた。通りからは何の工場か分からない。裏手の製品置き場に回ると銀鼠や濃紺や赤茶色の瓦が山積みになっている。工場を一回りしたあと正面玄関に向かった。入口は門構えになっている。3階建ビルではあったが入口が小さな切妻の瓦屋根になっていた。見上げると屋上も半切妻屋根になっていた。建物全体が嵌め殺しの大きな窓で覆われている造りとの不調和を感じた。土岐は観音開きの自動扉から受付に向かった。受付に丸い顔をした化粧の濃い若い女が茶封筒に宛名書きをしながら座っていた。
「東京支社に転勤した水野という社員について尋ねたいことが」
と土岐が市販の手帳をちらつかせながら言うと、
「水野のどんなことについてお尋ねでしょうか?」
と関西訛りで受付嬢が聞き返してきた。
「まあ、とくに何ということではないんですが」
「では人事課の者でよろしいですか?」
と目をしばたくとマスカラが落ちそうになる。
「ええ、人事課の方で結構です」
「それでは暫くお待ち下さい。お名前を頂戴できますか?」
「東京の警察統計研究所の土岐といいます」
「東京の刑事さんですね」
と受付嬢は勝手に誤解して、内線で人事課を呼び出した。土岐は受付嬢の誤解をあえて訂正しなかった。
「今すぐきますので、あちらにお掛けになってお待ち下さい」
と受付嬢は傍らの応接セットを指し示した。言われるまま土岐は黒い革張りのソファに腰掛けた。そこから壁全面の硝子越しに玄関前の人工池が見えた。池の中には色とりどりの小ぶりの鯉が泳いでいた。ガムを噛もうとポケットから取り出して、包み紙をとこうとしたところに声が掛かった。
「お待たせしました。人事課の有馬と申します」
と小柄な三十代の男が両手を添えて名刺を差し出した。土岐も板ガムを口に加えたまま、手帳をテーブルの上に置き、ズボンのポケットから名刺を出すような素振りをした。
「あいにく名刺を切らしていまして、東京から来た土岐と申します」
 挨拶を終えて、二人は硝子テーブルを挟んでソファに腰掛けた。土岐は受付を背にして、有馬は玄関の硝子扉を背にしている。
「で、お尋ねのことはなんでしょうか?」
「実は、去年の三月迄こちらに勤務されていた水野さんのお嬢さんが、昨年夏に東京で亡くなられたんですが、ご存知でしょうか?」
「知りませんでした。お悔やみ申し上げます。当方としては既に昨年三月に退職された方なのでその後のことは存じ上げていません」
「えっ?東京支社で営業課長をされているんではないんですか?」
「営業課は本社だけで東京支店に販売課があるだけで」
と有馬は語尾のイントネーションを少し上げて言う。
「昨年三月退職されたということですが定年ということですか?」
「定年は六十で水野さんの場合は六十前で自己都合だと思います」
「どういう自己都合だったんですか?」
「さあ、詳しいことは存じあげておりません」
と言う有馬の顔を土岐はまじまじと見た。会話が途絶えた。有馬の目が落ち着きなく動いている。土岐は有馬の名刺を眺めながら訊く。
「有馬さんは愛知の本社の人事部からの出向なんですか?」
「いえ、十数年前迄は、この工場には人事課はなかったんです。人事課ができたのは、工場労働者の一部を派遣に切り替えるようになってからです。まあ、厚生年金の負担や福利厚生費や退職引当金を削って、人件費は安くなったんですが、人の入れ替わりが激しくなって、いろいろとこちらで管理したり、指導したりしなければならないことが多くなったので、人事課が必要になったということです」
 小さくうなずきながら、土岐はメモ用に取り出した市販の手帳に、
〈水野・自己都合退職〉
とだけ書き込んで、ポケットにしまった。
「どうも、お忙しいところありがとうございました」
と土岐は別れの挨拶をしながら質問がまだあるのではないかと考えていた。首をかしげているその様子が有馬には分かったようだった。
「また、何かありましたら、私の名刺の電話迄ご連絡ください」
 土岐はぼさぼさの後ろ髪を引かれる思いで分厚い硝子張りの自動扉の外に出た。ハンチングを被りなおして振り返ると、有馬が受付の前で、もう一度お辞儀をしていた。土岐は有馬の視線から逃れるように道路を右に折れ、工場裏手の製品資材置き場に再び向かった。潮風が黒いハンチングからはみ出たぼさぼさの髪をもてあそんだ。その潮風に乗って、三州瓦をパレットに載せたオレンジ色の車体のフォークリフトがモーターをうならせて土岐を追い越した。

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土岐明調査報告書「Nの復讐」22.帰朝調査報告

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投稿日:2022/04/03 05:23:22

文字数:5,193文字

カテゴリ:小説

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