◇◇◇ -Who killed them?
この墓には誰も埋まっていない。
それでも、人はこの墓に花を供える。
ルシフェニア共和国、首都ルシフェニアン郊外の墓地。
集団墓地の端にある小高い丘の上へ、私は花束を抱えて登っていく。
樹で囲まれた丘の上にはルシフェニア王国最後の王女、リリアンヌ=ルシフェン=ドートゥリシュの墓がある。並ぶように、グーラ病でこの世を去った先代王と女王の墓が立っている。
『悪ノ娘』と呼ばれた王女の墓は、荒らされてはいないものの、先代王と女王の墓に比べて煤けた砂埃や泥が覆っているように思えた。二人の墓にはいくつか新しい花も供えられているが、王女の墓には枯れた薔薇が一本置かれているだけだ。
そしてもう一つ。『アレクシル=ルシフェン=ドートゥリシュ』と、最後の王子の名が刻まれた墓。
先代王と同じように、この墓にも花が供えられている。
しかし、この墓の下には誰も埋まっていない。
民衆はその事を知らない。知っている者も、もうこの世には少ない。
王子アレクシルには王子として死んだ過去は無く、この墓の棺が空だという事実を。
王子アレクシルは、革命以前、大人達の勝手な後継者争いに巻き込まれ、九つの時に表向きに死んだことにされた。三英雄の一人が彼を王宮から連れ出して養子として引き取り、命を救ってくれていたと私が知ったのは──思い出したのは革命の後だ。
つまり、王子アレクシルの墓は建てられ、形だけの埋葬はされたが、その下に埋まる死体そのものは存在しなかったのだ。
その五年後、アレクシルは『アレン=アヴァドニア』として王宮に戻ってきた。
王女付きの召使として働いた彼は、常に王女の側に立ち、時に暗殺者から守り、そして、革命の折、王女の身代わりになって処刑された。
革命で死んだ彼は、王女リリアンヌとして、新たに建てられた王女の墓に埋葬された。
遺体を辱めるほど、国民の心は死んではいなかったのだろう。ただ、それだけが救いだ。革命の赤き娘や青き彼の王の助力もあったかもしれない。
王子アレクシルは、表向きにはここに埋葬されている。
王女リリアンヌも、表向きに、ここに埋葬されている。
しかし「アレン=アヴァドニア」は、どこにも埋葬されていない。
……『王女』として、彼は埋葬された。
……『リリアンヌ』として、彼は死後の祈りを受けた。
「彼」の墓は無い。「アレン=アヴァドニア」の墓は無い。
死した「彼」に、祈りは捧げられていない。
……捧げることが出来るのは、真実を知る『私』だけだ。
乾いた風が墓地を駆け抜けていく。長く伸ばした金色の髪がふわりと揺れた。
花を供え、王女の墓の前に膝をつく。
「天におわします我らの主よ──」
どうか。どうか彼に、安らかな眠りを。
◇◇◇ -Who’ll dig their grave?
ここに墓があることを人は知らない。
それでも、私は足繁く通う。
ルシフェニアとエルフェゴートの国境線に位置する、千年樹の森。
私は新たな花束と水の入った大きな瓶を抱えて、森の奥へと歩いていく。
舗装のされていない森の道を進むのは困難だが、経験と知識を駆使して目的地を目指す。
大きく開けた場所に出ると、視界に収まりきらない程の巨大な樹に私は圧倒された。何度も訪れているが、この樹の大きさには未だに慣れない。
巨大な樹──千年樹の側に、私の身長と同じくらいの高さの樹が一つ生えている。
私はその樹に歩み寄り、持っていた瓶の水を根元に優しくかけた。
私はかつて多くの人を殺した。
私が王女だった頃。私は愚かな命令を重ね、多くの人を処刑台に送り、隣国まで焼き払った。
自分の手で直接殺したわけではない。だが、私が殺したことに変わりはない。
家臣、侍従、無実の人々、──そして、緑の歌姫ミカエラ。
目の前の小さな樹。それがミカエラの墓であり、そして彼女自身そのものである。
クラリスに刃を向けられた夜。ミカエラは「人間」ではなく、今は樹木として生きているとクラリスの口から聞いた。見せられたのは、植木鉢に生えた小さな苗木。
夜が明けて、クラリスと共に千年樹の足下に植え替えた。何度も何度も謝りながら、涙を流した。
私が犯した罪は決して許されることはない。永遠に、贖い続けても足りないだろう。
けれどせめて、この樹を守ろう。クラリスと共にこの樹を守ることが、きっと私の義務の一つだ。
植え替えた頃は足首程の背丈しか無かったが、今は私の身長と同じくらいまで育った。幹や枝の太さもしっかりしてきている。
ここまで育てば、黒ローラム鳥に啄まれ折れてしまったり、下手なことで枯れてしまったりすることも無いだろう。
百年後、千年後には、今度は彼女が「千年樹」になっているのだろうか。
彼女が見守る世界に災禍が降り注がないことを、今は願うしかない。
小さな樹の根元に膝をつき、花を供え、指を組んで祈る。
「天におわします我らの主……そして、大地神エルドよ──」
どうか彼女が安らかに過ごせるよう、この樹の元に永遠の平和を。
◇◇◇ – [ ].
皆が寝静まった、深夜の礼拝堂。心臓の音と息遣いが静かな空間に溶けていく。
満月の光がステンドグラスを通して細く差し込んでいる。
祭壇に祈りを捧げ、一番前の席に座り、膝の上に手帳と本を開いた。
『歌姫と少年を誰が殺した?
「それは私よ」少女がそう言った
私の罪深き号令で 私が歌姫と少年を殺した』
『誰がお墓を掘ってくれる?
「私が」少女がそう言った
このツルハシとシャベルを使って 二人のお墓を掘りましょう』
『そしてずっと私が守りましょう
誰にも祈られない貴方に祈りを捧げるために
貴女がずっと世界を見守れるように』
栞を挟んでいた本のページの文字を目で追っていく。
童話というより覚え唄みたいだ。
手帳の端にペンを走らせ、先日寄付された童話集に載っていた詩編を書き写す。
寄付された日、このページに目を通した際、私の過去そのままを書いているようだと驚いた。
しかし、童話集の作者を確認して納得がいった。まるで、ではなく、本当に私のことだったのだ。
幾度か顔を合わせたことがある若き小説家。今はルシフェニアンのどこかに、画家の同居人と共に住んでいるらしい。その画家やクラリスから、『悪ノ娘』の真実を聞いてこの作品を書いたのだろう。
『空から鳥達が悲しみながら舞い降りてきました
哀れな二人の為の 弔いの鐘の音を聞きつけて』
──フリージス童話より引用、と最後に書き記し、私は本と手帳を閉じる。
深夜の礼拝堂。修道院の外を強い風が一つ吹き抜けていった。
轟、と森が揺れる音が遠くから聞こえる。
風で雲が流れたのか、差し込んだ月光がまるで星のように瞬いた。
私は墓守の修道女。
召使アレン=アヴァドニアを弔い、誰も知らないその墓に祈りを捧げるため。
歌姫ミカエラを弔い、誰も知らない森の中の墓に祈りを捧げるため。
私は花を抱え、足繁く通う。贖罪の為に、何度も、何度でも。
残された時間は僅かだろう。人間が生きることの出来る時間は、またたきの間にすぎないのだから。
「いつか生まれ変われるのならば……貴方たちに伝えたいことがあるの」
誰にも聞こえないように。
神様にも聞こえないように。
小さく呟き、月光の透けたステンドグラスを見上げた。
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