四月二十八日

 第一に、お前はなぜそんなに悩ましい顔をしているのか?一体、悩む必要がどこにあるというのか?お前は、ハワード・カーターを真似て、あるいはハインリヒ・シュリーマンを夢見て、へぼな考古学者の様にありもしない伝説の墓穴や古戦場をほじ繰り返し、ただ自分の自己満足のために周囲を攪乱し、それで快哉の声をあげ、欣喜雀躍としている。そしてまた、お前はどうでもいいような枝葉末節の事柄を見過ごそうとはしない。他人は何とも思っていないのに、なぜおまえだけが口を利かなくなるのか?『イワンの馬鹿』の女形のように自分自身の愚かさを、お前は決して認めようとはしない。――つまり、頑迷にも現実をありのままに認めようとはしないのだ。愚昧というか、莫迦というか・・・要するに正しい自己分析の方法を決定的に欠いているのだ。そのくせ、自分自身の現実が、つぎからつぎへと暴露されてゆくのを恐れている。そして、『憂鬱なる党派』の高橋和巳のように悶々と陰陰滅滅と、苦悩教の教主の様に悩む。何が面白いのか?自己欺瞞の衣を纏って、自分自身を常に偽り、粉飾し、脚色し、必死になって、よせばいいのに本当の自分を隠そうとする。もうよした方がいいのに、やめたほうがいいのに、お前にもその愚かしさが十分わかっているはずなのに…いったいなんの得になるのか?
 第二に、お前はなぜ日記を書くのか?一体日記を書くとどんないいことがあるというのか?和泉式部の『和泉式部日記』や紀貫之の『土佐日記』や藤原道綱母の『蜻蛉日記』や樋口一葉の『一葉日記』や永井荷風の『断腸亭日乗』じゃあるまいに、だれが読むというのか?何も生み出さない日記を書いてどうする気なのか?夜の夜中の二時過ぎに、お前はもう眠くて眠くて仕方がないのに、体がだるくてしょうがないのに、なぜ?なぜ、こうして日記を書くのか?・・・わからない。日記さえ書かなければ、何も考えることも、悩む苦労も書き記す必要はないではないか?お前はそれをよく知っているはず。何事も、書き記すという確認の形式を踏まなければ、全てが時間の流れの中に渾然一体となって、見境がつかなくなるはず。気を紛らわせるというのは、その代表的な方策。そのことを、お前は知りすぎるほど知っているはず。――それなにになぜ?
 第三に、お前はなぜ現実を認めないのか?現実さえ認めれば、お前はルネサンス人、レオナルド・ダ・ヴィンチの心のように自由ではないか。考えることも、悶えることもない。現実にお前自身がお前の理想を胚胎しきれなくなって、死産の陣痛にあえいでいるではないか。言いたくてならない時、したくてならない時、なぜすぐにそれをしないのか?なぜ、思考を媒介とするのか?ルネ・デカルトの『哲学原理』の「コギト・エルゴ・スム」でもあるまいに、お前は、自分がそれをしたいということを思考するまでもなく知っているではないか。ここまで書き連ねてきても、依然としてお前は改めようとはしない。――つまりお前は、自分自身の空中の楼閣のために、したいこともできずに、ただ黙りこくって、そして理想に苛まれる。一体全体、お前は、それが愉しいのか?楽しいのなら、なぜもっと嬉しそうな仕種をしないのか?そうやって、一度でも楽しいと思った時があったのか?いや、いや、お前は決して楽しんではいない。満足しているだけ。詰まんない自己満足に溺れているだけ。
 最後に、お前は、事物の虚しいことを知りながら、なぜに日記を書くのか?『般若波羅蜜多心経』の「色即是空空即是色」であるならば、このインクとこの紙片にどれほどの意味があるだろうか?どうせ日記に書き記すことのできない、表現不可能な心証ならば、何も眠いのをこらえてまで書くことはないではないか。それでもお前が日記を書くのは、結局、一知半解どころか、お前は何も知ってはいないからだ。結論を言おう。現在お前は、自分自身がどうしても現実を認められないということを知っている。そして、在りもしないものを追い続けている。それだけのこと。そこで、お前に忠告しよう。一体お前は、在りもしないものが、あるはずのないことを、はっきりとわかってるのか?そして、そのことがもしわかって居るとしたら、お前は、永久にお前の追い求める心を満たしてはくれない全世界を否定するか、それとも、永久にお前の追い求める心が満たされないままでいることを知っている自分自身を否定するか、そのどちらかの道しか、お前の取るべき道はない。いずれにしても、お前は生きる意味を見いだせないでいる。それでもだらだらと生きていることは罪深いことだ。死に値する。そこで歌が生まれる。

  我が骨灰は 天に撒け
   余りにも 罪深き我なれば
  我が来世は 空にあり
   余りにも 罪深き我なれど
    ああ 神よ ついに汝が姿 我は見ず
ああ 神よ ついに汝が愛を 我は知らず
  我が骨灰は 天に撒け
余りにも 罪深き我なれば

  我が亡骸は 鳥に付せ
余りにも 信薄き我なれば
  我が幸せは 黄泉にあり
   余りにも 信薄き我なれど
    ああ 君よ ついに偽りに 我は死す
ああ 君よ ついに真実を 我は告げず
我が亡骸は 鳥に付せ
   余りにも 信薄き我なれば

  我が卒塔婆は 山に置け
   誰一人 嘆かない我なれば
  我が墓碑銘は 川に書け
   誰一人 身寄りなき我なれば
    ああ 人よ ついに無為のまま 我は去る
    ああ 人よ ついに何事も 我は為さず
  我が過去帳に 唾を吐け
   それだけに 値する我なれば

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土岐明調査報告書『千鶴子の日記』四月二十八日

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投稿日:2022/04/01 08:21:14

文字数:2,332文字

カテゴリ:小説

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