届かないと分かっているのに、手を伸ばす気にはならない。
それは結局、私とそれの間にどれだけの距離が横たわっているのかを突き付けるだけなんだから。
諦めるしか道はない。
だけど、それすら簡単には出来なくて…
<私的空想パレット・3>
出来の良い年上がいるっていうのは、かなりのプレッシャーだと思う。少なくとも、私にとってはそう。
「…」
私は布団に包まりながら、何となく携帯を開け閉めしていた。かちゃ、ぱち。かちゃ、ぱち。暗い部屋の中に光が満ちては消える。
目的もなく繰り返される、硬質な音の連なりと光の明滅。
かちゃ。
もう一度画面を開いて、そこに写った写真をじっと見る。
…やっぱり、可愛いよねえ。
複雑な気分で、私は彼女―――従姉のミクちゃんの姿を見つめた。
…なんで、気付かれたんだろう。
ぱちん。
勢いをつけて携帯を閉じて、枕元に放り投げる。過たず布団に着地した橙色の長方形はやんわりとその身を沈ませて静かになった。
―――他の人からはそう簡単に分かるはずないと思ってたんだけどなあ…
あっさりと私の内側に触れてきた眼鏡っ子の淡々とした口調を思い出して、少し複雑な気分になる。感情的な言葉で言われたらそれはそれで反発しちゃっただろうけど、内面に触れられる側としては、その、もう少し気遣いが欲しいというか…まあいいや。
私にはコンプレックスがある。
それはつまり写真の少女で、二つ上の従姉。名前は初音ミクちゃん。
さて、この人の何がどう私にとってのコンプレックスなのか。それはもう、会ってみれば分かる。
私が見る限り、ミクちゃんには短所がない。
あ、いや勿論ちょっと早とちりだとかネギが入ってない食事にボイコット仕掛けるとか(叔母さんに聞いたらどうも日常茶飯事らしい)、そういうのならある。
だけど、どうも…何て言うのかな、それが「困ったちゃんだなあ」で済んで、「こいつ嫌い」にまで発展しないような感じなんだよね。一般的に考えて。…いや、「ネギを食うとは許すまじ!」みたいな趣味の人もいるかもしれないけど、そこはまあ一般的にってことで。
顔良し性格良し頭良し。運動も出来ればカリスマ性もある。更にちょっとした欠点として、人間としての少し抜けた可愛さも持っている。
つまり完璧。本当に天使みたいな人だなあ、と思う。
私はずっと…それこそ小学校に上がった辺りから彼女の事が目標だった。
その眩しいくらいの姿に辿り着きたくて、自分なりにあれこれ試行錯誤してみたりして。
でも。
「…やっぱり無理だぁ」
ぬああああ、と奇声を発しながら布団の上を転げ回ってみる。客観的に見たら明らかに変人だけど、どうせ見ている人なんていないし。好き勝手したって誰に迷惑掛けるわけでもない。
(単に、窮屈そうだと思っただけなんだけど)
…その通りだよ。
目をつぶり、頭の中からその静かな声を追い払う。
その通り、だけど。
だけど。
その後が続かなくて、私は掌を固く閉じた。
「うわぁお、体育ヤダー…長距離とか細切れにしたい…」
「同じく」
「でも細切れにしたら短距離を何本もって事じゃない?あんまり変わらないような気がする」
「…」
「…」
なんとなく美術室に足が向かなくなって数日。元からそう頻繁に行っていた訳じゃないから、この位間が開くのもままある事だったのだけど、今はその日にちの開きが少しだけ気に掛かった。
教室内で交わされている会話をぼんやりと聞きながら、体操着に腕を通す。
室温より冷たい布の感覚が気持ちいい。陽射しもそう強くないみたいだし、体を動かすには絶好の陽気だと言えるかもしれない。
…長距離か。
会話の単語を耳が拾って、ぼんやりと今日の授業に思いを馳せる。
嫌いな種目じゃない。
かと言ってそんなに好きな訳でもない。
まあ、頑張ったからって何がどうなるわけでもなし、程々にやろう。陸上部に入ってる訳でもないし、どうせ皆割とぐだぐだになっちゃうだろうっていうのは今までの経験から簡単に推測出来るから。
「リーン?」
「ぅわぁっ!?」
考え込んでいた所にいきなり近くから声を掛けられ、私は思いきり体を跳ねさせた。
あはは、と笑われて、恥ずかしさで顔が真っ赤になる。
「お、何その反応かーわいい!」
「うぅ、やめてー」
「やなこった!いぇーい、皆の者、この子の髪をぐしゃぐしゃしてしまえー!」
「サーイエッサー!」
「了解であります!」
「よしきた任しとけ!」
「ええっ、何でそんな皆乗り気、な、のぉぉぉっ!?」
四人に手加減なくもみくちゃにされて、髪がぐしゃぐしゃに崩される。
髪、長くなくて本当に良かった…もし長かったら、確実にぐちゃぐちゃに絡まって収拾が付かなくなっているところだった。まあ、それならそれで髪を結ぶなり何なり、やりようもあるんだろうけどね。
校庭に向かうために廊下を歩きながら、私達は会話の続きをしていた。
休み時間も終わりが近いけど、それを気にしている人なんてそんなにいない。教室に帰ろうとする人の波が出来るのは、授業が始まる本当に直前。中には先生が来るまでが休み時間だ、なんて宣う命知らずもいたりする。
そういう人は、結局先生方から呼出しを喰らって延々お説教されるのだけど、何故か彼等は懲りない。いっそ凄いと言えると思う。
とにかく今はまだ廊下も歩きやすいから、ふらふらと昇降口に向かう。
うう、何もしてないけど、既に疲れたような気がする。
「あ、そうだ。リン」
「え?」
走ってもいないのに既に上がっている息を、歩きながらもなんとか整えて言葉を返す。間が抜けたような一言になっちゃったけど、今はそれが精一杯。
皆、容赦なさすぎる…
そんな事を思っていたものだから、次の言葉に頭が反応する速度が遅くなった。
「アイツと喧嘩でもした?」
「………へ?」
アイツ、って美術室の彼の事?
名前、何だっけ…確か、そう、レンくん。
でも彼の話題だとすると、今ここで出て来る意味が分からない。
ぽかん、と目を見開いた私に更に言葉が飛んでくる。
「いや、アイツと仲良くなったみたいじゃんか。友達ではあるんだよね?」
「えっ…友達というか、『知り合い』というか…」
友達?そんなフレンドリーなものなのかな、あれは。
考えてもみなかった形容詞に曖昧な反応を返すと、素早くそれをスルーされた。
「…おおう。ま、いいや。この間部活に出たらなんかアイツ落ち込んでてさ。他の部員全員で何が起きたのか当てっこしてたんだ」
「待て待て、絵描けや美術部員」
「NO口出し!で、まあ、最近リンとアイツが仲良い…えと、話をするってのを思い出してさ。なんか喧嘩でもしたんかなー、と」
一体私と彼との関係をどう捉えているのやら、という気はしたけれど、とりあえずそこは置いておく。
喧嘩。…は、してないけど、心当たりが皆無って訳でもない。
まさか、もしかして、あれのせい?
「あの…」
口を開いたは良いけれど、どう言おうか迷ったせいで少し声から力が無くなる。
変に勘繰られませんように、と心の中で祈りながら、私は具体的に聞こえる曖昧な言葉を並べることにした。
あんまり細かいところまでは話したくなかったから、違和感なく受け止められるように慎重に組み立てる。
「喧嘩はしてないよ。本当にこれが理由なのか分からないけど、この間、私が一方的に機嫌を悪くしちゃったのが関係してるのかな。…怒ってるの?」
「いや、むしろ落ち込んでるっていうか、なーんか気まずそうなんだよね。常に。だから不審者っぽいんだな、これが」
「気まずそう?」
またもや飛び出した印象と合わない形容詞に、私は首を捻る。
彼が、気まずそう、なんて言葉を使われるような性格には思えない。ことに人間関係に関しては。
それは確かに、最初に会ったときは少し気まずそうではあったよ?
だけど私が思うにあれは描きかけの絵を見られたせいであって、断じて初対面の人間と何を話せばいいか分からなかった、なんて理由ではないと思う。
ただ、これは飽くまで私の主観な訳で…本当は彼は人の機微に敏感に反応するタイプだったのかな。そういえば芸術家には繊細な人が多いっていう話も…
…繊細?
繊細……
繰り返し考えてみて、その結果、一連の会話の中でも断突に感じる違和感に眉を寄せた。
……どうしよう、彼に全然似合わない……
かなり失礼な事を考えながら、頭に彼の姿を思い浮かべてみる。
でも、いくら想像の中で彼を動かそうとしてみても、金髪を後頭部で結んだその姿は我関せずといった風情で延々とキャンバスに向かっているだけだった。
…そんな、想像の中でさえマイペースにされるってどうなの。確かにらしいと言えばらしいけどさ…
ふう、と私は溜め息をついた。
とにかく、後で彼に会いに行こう。
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