そうしてしばらくすると扉をノックする音がした。おそらくカムイくんだろうと思った。
「カムイくんですか? リン様なら今はいませんわ」
私の扉越しの呼び掛けに対して、扉の向こうの人物はガチャリという音とともに部屋に入ってきた。
部屋に入ってきたのはスミレの花のような色の髪を後ろで一つにまとめ、若干冷たそうな目をした端正な顔立ちで、ロングコートのような大臣用の服を着た青年──つまり予想通りのカムイくんだった。
その表情は平静を装っていたが、口調にはあきれの色があらわれていた。
「テトさん、リン様はどちらへ?」
「たぶんレンのところですわ。もう時間ですの?」
私は片付けに没頭していて時計を見ていなかった。そこで時計を見ようと視線を上げたちょうどその時、
「ゴーン、ゴーン」
と鐘が私に時間を教えてくれた。
この鐘の音はリン様が大好きな音だった。理由はこの鐘が鳴る時間……もう三時だった。
重厚な鐘の余韻が収まらないうちに、カムイくんは鐘の響きとは違う意味で声を重くして言った。
「時間は聞いての通りです。まったく、式典の直前だというのにリン様は……テトさんもどうにかして止めてくださればよかったのに」
「あらあら、黄ノ国一の優秀な大臣で求められないおてんば王女を一介の侍女に止められるとお思いですの?」
そう言ってカムイくんを茶化しながら、私は部屋のほぼ中央にある木製の椅子を一脚ひいて彼に座るよう促した。
カムイくんは軽い会釈ののち、
「よく言いますよ。リン様に品格というものを教えきれたのは、あなただけではありませんか」
と言いつつ椅子に腰かけた。口調は相変わらずだった。
「だからと言って私の言うことをすべて聞いてくれるわけではありませんわ。王女の部屋に移らずにこの部屋に居続けたこととか……それよりまだかかりそうですし、何か飲みます? そこにワインがありますけど……本当にリン様はどこからこんなものを手に入れてくるのやら。この前はウイスキーなんかがあったんですよ」
私はカムイくんの返事は聞かず、他愛のない会話をしながら勝手にワインの封を切り、グラスにワインを注いだ。そして私はグラスを持ったままテーブルをはさんでカムイくんの正面に座り、それぞれの前にそのグラスを置いた。
カムイくんはその間ずっと無言だった。
「では、リン様の王位継承を祝って乾杯!」
「……乾杯」
チリンと気持ちいい音を立て、私たちはグラスを当てた。そしてお互いその赤き液体を一気に飲み干した。
「ん~♪おいしいワインですわね。この酸味はおそらく旧赤ノ国辺りのものですわね。この前のウイスキーもなかなかでしたし、今度リン様にお店を教えてもらいましょうか。どうですかカムイく……ん?」
なんだか様子がおかしかった。どうも気分がすぐれないようだった。
私の声は勝手に上ずった。
「一体どうされたんですの!?」
私は席を立ち、反対側のカムイくんのもとへ駆け寄り、手を握った。すると弱々しい声が返ってきた。
「い、いえ心配なさらないでください。あの九年前以来ワインはどうしてもダメで……しかしテトさんの手前断ることもできず飲んでみましたが、すみません。もう大丈夫です」
そう、ちょうど九年前私の弟や妹たちに毒の入ったワインを飲ませた少年はまさに彼だった。あの時は淡々と弟たちを殺したように見えたが、実はそうではなかったらしい。あの瞬間は私の生きる気力を奪うと同時に彼の心にも大きな傷を負わせていたのだった。その傷は九年たったこの日でも癒えてはいなかった。
「カムイくん…………」
カムイくんが決して悪人ではないということはこの九年間でよく理解していた。しかし、この出来事は、その理解が間違っていなかったということを私に確信させてくれた。
そして、そのまま私がカムイくんの手をとり、お互いに見つめあうような状態のところへ、
「失礼します。警護兵の方、配置終わ…り……あっ、部屋間違えました。失礼しま──」
「「待ていッッ!!!」」
この超ベストなタイミングで、リン様がいるはずの部屋に警備の報告に入ったのは黄ノ国の軍隊の副隊長だったネルちゃんだった。黄色のコートのような冬用の軍服に身を包み、コートの中でその身丈ほどあろう大剣を肩にかけていた、部下からの信頼も厚かった若き副隊長は、苦笑いとともに長い黄色の髪をなびかせ、Uターンしようとしていた。
ツカツカツカ、ガシィッ!!
「ネルちゃん、ものすご~い勘違いをしているようですけど、私とカムイくんは全然そんな仲ではありませんわ。わかりますわよね?」
「ハイ、この不肖ネル、決してリン様がそれぞれ一番の信頼を置かれている大臣と侍女がこんな関係にあったということは、決して口外いたしません。ではごゆっくr……」
私のネルちゃんの肩をつかむ力が強くなった。
「あ、ハイわかりました。ちょっ、テトさん、かなり痛いんですけ……いつッ、ほ、本当にすみませんでしたぁ」
涙目になりながらネルちゃんは謝った。
別に謝る必要はなかったのに……ただほんの少し記憶を消してほしかっただけだったのに。
カムイくんは体調が戻ったのか、それまでのネルちゃんと私のやり取りを意に介さないように、
「ふん、くだらない」
と言った。そしてそのまま、リン様を探しに行くことにしたのか部屋を出ようとカムイくんは席を立った。すると、黄色い髪の少女と少年が部屋に駆け込んできた。
「ごめんカムイ、ちょっと遅れちゃった」
「本当にすみません、みなさん。僕なんかのせいで遅れてしまって」
リン様とレンは飛び込んできて早々に息を切らしながら、それでもリン様は笑顔で、一方レンは気まずそうに謝罪の言葉を並べた。
そんな二人を見てカムイくんは事務的な口調で言った。
「遅れたという自覚がおありでしたら、急ぎましょう。ネル、くれぐれもリン様に大事がないよう、警護の方しっかりやれよ」
そう言われたネルちゃんは、右手でこぶしを作りそれを左胸の前に持っていき、
「ハイッ」
と答えてから、先に部屋を出た。
続いて、
「じゃぁ、二人とも、私の晴れ舞台ちゃんと見ててよね」
「えぇ、必ず見届けますわ」
「心配なさらないでください。必ず見届けます」
「では、リン様こちらへ」
リン様とカムイくんが部屋を出た。
部屋はレンと私だけになった。
「だいぶ召使いが板についてきたようですわね」
レンは召使いとしての素養を身につけるため、この二年間指導を受けていた。そのため、幼いころほどリン様と会うことはできなくなり、リン様がイラだっていた時期もあった。
「いえいえ、僕なんかまだまだですよ。テトさんに比べたらとてもとても」
笑顔で謙遜するレンに私は、
「そんなことは自明の理ですわ。それとも今のは元赤ノ国の姫であるわたくしへの皮肉ですの?」
私のこの敵意を微塵も隠していない返しにレンはタハハと気まずそうな笑顔を私に向け、
「とりあえず、行きましょう」
と言って扉へと向かった。
私はこの九年でリン様を許した。カムイくんを許した。黄ノ国を許した。両親を許した。けれども、私自身とレンだけは許せなかった。いや、許さなかった。
いまだにレンの胸元で光るロザリオに目が行った。
「どうしました、テトさん。僕の服、どこか変ですか?」
扉を開け、私を通すために扉を抑えているレンの服装はリン様と同じように黄と黒をベースにした召使いの服だった。
言うまでもなく何もおかしいところなどなかった。むしろ決まりすぎているくらいだった。
それが何となく私を嫌な気にさせた。
「いえ、早く広場へ行きましょう」
私とレンくんは並んで広場へと向かった。
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