――ぎゅん……ぎゅんぎゅん
「はぁー」
 いまいちノらないギターの音に、弦巻マキはため息をついた。
「マキさん、どうかしたのですか?」
 心配そうにマイクを握った結月ゆかりが顔を見てくる。
 ゆかりが端を発したのか、他のjamバンドメンバーも演奏やめて、心配そうにマキを見に来た。
「……しんぱい」
「大丈夫かニョロ?」
「体調が悪いのですか」
「ぼく、薬をたくさん持っています」
 心配そうな面々に慌ててマキは、
「……そんなんじゃないの。ちょっと、スランプというか」
 マキは右手を頭に当てて困ったように言った。
「うまくノらない」
 少し深刻そうに言う。
「困ったニョロ。マキちゃんがいないと困るニョロ」
「あははは。そんなんじゃないよ」
 マキは腕を組んで考える。
「うーん、やっぱりスランプかなあ」
「マキさんも、そんなことあるんですね」
「ゆかりちゃんひどいなー。あたしにだってスランプはあるよ~」
 雑談が始まっていく。
 このままだと練習にならないことに、マキさんは少し責任を感じていた。
「ちょっとあたし、しばらく休むことにしたい」
 雑談がこれ以上深まらないように、マキは機先を制した。
「あたしのことは別に良いから、みんなで練習していて」
「そうと言っても」
 ゆかりは困った様子で手を広げた。
「マキちゃんはどうするニョロ?」
「あたし、ちょっとやりたいことがあるんだ。そっちを始めてみようかな」
 そういうとゆかりは他のメンバーを集めてマキから離れて話合ってから。
「分かりましたマキさん。十分休んでください」
「こっちは大丈夫ニョロ」
「マキ先輩、わたしたちは大丈夫です」
「……問題無い」
「ぼくも」
「あはは、みんなありがとう」
 マキはこれ以上メンバーの邪魔にならないように、スタジオから出て行った。
 着替えてしばらくすると、また音色が少し漏れ聞こえてきた。
 マキは安心した。これ以上足を引っ張るわけにはいかない。
 マキは少し思案して言った。
「これからどうしよっか」
 あてが無いわけではなかったが……。
 マキがこれから向かう場所は、未知の領域だった。


 そいつと出合ったのは、学年での同窓会の時だった。
 高校の同窓会だから集まりが悪いのは当たり前。それを承知で学年で一気に呼んだときに、そいつも混じっていた。
 大きな部屋を貸しきって、学年でクラス入り乱れてそれぞれ席を陣取っていた。
 マキはその時はたいして気にしてなかった。
 そもそも女子は女子グループで集まっていたし、男子は男子グループになっていた。
 けれど、お酒が入るうちにしだいに混ざり始めたときに、その事件は起こった。
 突如、男子の集団で拍手が起こり、一人の男が立ち上がった。
 マキは顔を見てもその時はなんも感情も沸き起こらなかった。
 しかし、その男が酔った勢いでヴァイオリンを弾いたとき、マキの心臓は高鳴ったのだった。
 アルコールが原因? 違う……。
 じゃ、悪いものを食べたか? それも違う……。
 このお店は良いとまでは言わないけれど、悪いとも言えないようなお店だった。
 じゃあこれは何?
「どったニョロ?」
「え、いや」
 マキは何事もないように、ビールを口に流し込んだ。
「なかなかアイツ、やるニョロね」
 鼓リズムは歓心したように言った。
「そう思う?」
「酔っているのに、音が乱れてないニョロ」
 マキは知らない奴なのに、褒められて嬉しくなってしまう。
「あいつ、たしか隣の音楽室でたまに弾いていたニョロ」
 その頃の記憶は、ギターの練習ばかりしか残っていない。
 マキは少し、残念そうに
「名前なんだっけ」
「佐倉健(たける)ニョロ」
「へ、へえ」
「まああたしらには関係ない世界ニョロ。そんな奴よりも、この同窓会で集まった中で、バンドやっている人いないか、そっちの方が重要ニョロ」
 リズムはテーブルに乗せられた料理を無造作に口へつっこんだ。
 ――健くんか
 その後同窓会は二次会へ進み、とうとうマキは佐倉健と接触できなかった。
 これが、マキの心に付けた種火を大きくしたのかもしれない。


 今日で自室にこもって一ヶ月になる。
 時刻は昼時。そろそろおなかが空いてきた。
 そろそろ食事に取り掛かりたいところだけど、今はまず、やることがあった。
 バイオリンの調整である。
 俺はとあるコンサートで挫折して以降、弾かないけれどバイオリンの調整だけは日課として残っていた。
 今日もさっそく、弾いたわけでもないバイオリンの調整に向かう。
 しかし、
「……くそ」
 バイオリンの調整を行っているときに、あの同窓会が頭を過ぎって行った。
 俺は手を止めて、しばらく考える。
 弦巻マキさんは、昔も今も、相変わらず巨乳だな、と。
 いやいや重要なことはそっちじゃない。
 今も彼女がバンドを続けていることが重要だった。
「……俺がクラシックコンサートを開いているのも驚きだろうな」
 俺――佐倉健(たける)は、バイオリン奏者。
 ……のはずだったのだが、ちょっと恥じることがあって、俺は新たなコンサートを開けないでいた。
 このままではいけないのは分かっているはずなのに、弾けなかった。
「はぁ~」
 深いため息。
 その間にも調整は進んでいて、バイオリンの調整があと少しで終わるときだった。
 ――ピンポーンピンポーン
「こんなときに宅急便か」
 せっかく遠いところから運んできてくれる運ちゃんを困らせるわけにはいかないな。
「はーい」
 俺は玄関に向かって叫んで、そのままドアスコープで確認もせずドアを開けた。
 ドアの前には、金髪の美少女が立っていた。
 それも、さきほど巨乳の妄想したあの娘だ。背にはギターのケースがある。
 俺の思考は急速に冷やされて、固まっていく。
 それが溶かされたのは、マキさんの少し鼻にかかった元気な声だった。
「やあ、健くん、ひさしぶり」
「や、やあ……いかようで?」
 俺は必死に視線を首より上に留めて、失礼のないようにする。
「健くんのコンサート、聴きたくて」
 俺はさきほどとは違った意味で固まる。
「その、ちょっと話そう?」
 近所に知られるのはまずいな。
 俺は平静を装って、ドアを開けて中に入れる。
「お、おじゃましまーす」
 まさかという思いを抱くから、そんな緊張した声で言わないで欲しい。
 俺は鍵をあえてかけずに、それをわざと強調して、部屋へ案内した。
 どうせなら、挫折する前に来てくれれば良かったのに、と思う。
 今の俺は、これがありのままだった。


 さてどうしようか。
 お茶とお茶菓子を出してから、なにもすることも無くなった。
 互いに相手の出方を伺うから、始末に悪い。
 だから俺は仕方なく、今の状況を言った。
「その、……弾けないんだ」
 マキさんは神妙に頷く。
「あたし、調べてみて驚いたんだ。健くん、どうしたの?」
 それは俺も知りたい。
「……あたしも、同じかもしれない。何かが足らなくて弾けない」
 マキはギターをケースから取り出して、ぎゅんぎゅん鳴らすが、ココロが入ってないのが分かった。
「えへへ。でもあたし、この原因が分かっているんだ」
 俺はマキさんの目でまっすぐ見つめられて、ドキっとしてしまう。
 そして、同窓会で気にも留めず封印さえした気持ちに気づいてしまう。
「俺が、こんな状態でなければな」
 俺は弾こうとして調整途中のバイオリンを手に取る。
 しかし、少し進んだところで手を止めていた。
「ねえ、あたしと別の音楽、やってみようよ」
 マキさんはそれを決して否定せず、さりとて肯定もせず。
 それらを包み込むように俺を肯定してくれて。
 俺は恋に落ちたことを自覚した。
 勇気を振り絞って、中途半端に差し出された彼女の手を取った。
「す、好きだ。一緒に、鳴らさないか?」
「うん! あたしも響かせたい」
 それが俺たち二人の始まりだった。


 マキは体から溢れるパワーを楽器に注ぐ。
 ――ぎゅんぎゅん!
 それをバンドメンバーたちが目を点にして見る。
「ど、どうしたニョロ」
「先輩、すごいです」
「あたしにだって、こくらいできるんだぞー」
 マキは乗りにのって、ギターを弾く。
 熱が入りこみ始めて、いつの間にか我を忘れていると、気づいたときには他のメンバーは楽器を鳴らしておらず、マキの独壇場になっていた。
 ――ギュギュン!
 最後の締めを終えると、メンバーたちの拍手が響く。
「マキさん、変わりましたね」
 ゆかりは歓心を通り越して、呆れ気味だった。
「どうしたニョロ。ほんとどうしたニョロ?」
 リズムは顔をつっこんできて、疑問を口にする。
「おしえなーい」
 マキとしては、まだ話すつもりはなかった。
 これはまだ、二人だけの秘密。おいそれと言いふらす必要はない。
「あやしいニョロ~~~」
「…………」
 一人だけ、気づいてそうなのが居るが、彼女なら大丈夫なはずだ。
 だから、余計なことを言わないように、さりげなく目で指示をする。
「……………」
 カナは分かってくれたようだった。
「怪しいニョロ怪しいニョロ」
「マキ先輩、わたしにも教えて欲しいです」
「天才な私も、負けてられません」
「うん?」
 マキは帰宅後の教育を楽しみにしていた。


「こ、こうか?」
 俺はバイオリンの調整だけはこなして、夜に来る彼女を待ちわびる日々を過ごしていた。
 今日もまた、彼女のギター講座を受けていた。
 二人だけのレッスン。
 俺もマキのぎゅんぎゅんに必死にあわせようとするが、なかなか上手くいかない。
 でもたまに、俺のぎゅんぎゅんとマキのぎゅんぎゅんが合わさる瞬間がたまにあった。
 その時の興奮は、唇を合わせたときの興奮以上だった。
 だから、俺たち二人は互いに顔を合わせるたびに、それをギターで目指していた。
 あ――
 また来た。このゾーンだ。
 俺とマキは自然と背中合わせに立って、ギターをぎゅんぎゅんと鳴らした。
 すると、防音室に居るほかの楽器も踊ってくれるような錯覚を覚える。
 ギター以外の楽器すべてが観客になっていた。

「ふー」
「今日もやれたね」
「うん」
 互いに背中で汗を感じて、俺たち二人は自然と笑いあう。
 そして、顔を互いに合わせようとするときの感覚。
 俺とマキは互いに視線を合わせ、重なりあう。
 これらが俺らの日常になっていった。


 そして、時間は一ヶ月を過ぎたころだった。
 俺はこのときのことを、忘れられない。
 このときのことをあえて言えば、ギターへの浮気をバイオリンに怒られたと言っていいかもしれない。
 俺はいつもと同じように玄関を開けた。
 その時に目の前に居たのは、マキさんと結月ゆかりさん、jamバンド
メンバーのみんなだった。
 マキは申し訳なさそうな顔をして、他メンバーはむすっとしているところだった。
 俺とマキはそのまま押し切られて、部屋に彼女たちを入れた。
 最初に口を開いたのは、マキさんの親友、結月ゆかりさんだった。
「……付き合うのは間違っているわけではありません。ですが」
 結月さんは腕を組んで、俺を見下ろしながら言った。
「本業はどうなのですか」
 ごもっともだった。
 他メンバーも同じように頷く。
「マキが喜ぶのは良いニョロ。だけど、問題はお主だニョロ」
「じゃ、邪魔しようというわけではありません。ですが」
「……心配」
「お邪魔虫したいわけじゃないよ」
 結月さんは指で組んだ腕を叩きながら、
「マキさんはあなたと付き合い始めてから、バンド活動もどんどん進み始めました」
 バンドメンバーが頷く。
「それは感謝しています。しかし、あなたはどうなのですか」
 それを言われると俺は面目が立たなかった。
「おれは」
「健くんは大丈夫だから」
 さらになにか続きを言おうとするマキを、結月さんは手で制す。
「三ヶ月期間を差し上げます。その間に、コンサートを開いてください。良いですね」
「……実はファンです」
「カナ、余計なことは言わんで良いニョロ」
「……失礼しました」
 マキがこちらを伺う。その表情は、心配半分期待半分だった。
「……分かった。三ヶ月後、コンサートを開こう」
「健くん!?」
 少し嬉しそうなマキの声に、俺は覚悟を決めた。
 彼女たちに俺たち二人を別れさせる強制力なんてない。
 だけど、これは俺からマキへの愛を試されている気がするのだった。
「じゃあ、決まりですね」
 すると、みんながみんな、それぞれお菓子をバックから取り出していく。
「ではなれ初めを聞きましょう」
 ……そういうことかよ!?
 ある意味で、バイオリンを弾く以上に難しいことだった。
 俺とマキさんは、互いに顔を見合わせて笑いあった。


 挫折ってのは、いつだってほんのしょうもないことから起きる。
 俺が挫折したのは、コンサートのときに、弦が切れてしまったことだった。
 ……別にお手入れを怠っていたわけではない。
 ただこれは、ひょんな偶然から起きた事故だった。
 しかし、これが俺の演奏に与えた影響は重大なものだった。
 ――弾けない
 力の加減に対する恐怖心がいつの間にか芽生えていた。
 俺はマキやみんなと別れて一人、バイオリンと見合っていた。
 それを肩に置いて、弓を持つ。
 弓を持って、弦に合わせて、、、、
 心臓が高鳴って、腕が止まった。
 硬直。
 硬直。
 硬直。
 俺はバイオリンをと弓を机に専用台において、大きく息を吐く。
「いったい、どうすればいいんだ!!!」
 嘆かずに居られなかった。
 ギターであんなに自由に弾けたのに、バイオリンでは弾けない。
 こんなことってあるんかよ!
 俺は拳を机に叩きつける。
 俺のバイオリンがその衝撃で、少し跳ねる。
 マキやみんなを悲しませるわけにはいけない。
 それは分かっている。
 けれど、またバイオリンを手に取ることがこれほど困難だとは思っていなかった。
「マキ……ごめん」
 絶対悲しませるわけにはいかない。
 そう想っているのに……今日はそう想うことしか出来なかった。

  つづく

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

弦巻マキ『ぎゅんぎゅん慣らし』前編

 物語において重要な、障害の作り方がようやく分かってきたかも。

 今回の元ネタはシェイクスピアの有名な戯曲なんですが。プロットを改定していくうちに、いつの間にか完全に別物になってしまった(元からでもあるけど)。でも、これがオリジナルの創作の醍醐味ともいえるかもしれない。
 だから、今回のお話は、その元ネタを意識しつつも、自分なりに書いたラブストーリーとなります(ラブコメではない)。もし楽しんでくれたら嬉しいです。

 お話は、プロの奏者としてぶつかった挫折を乗り越える主人公とマキさんとのラブストーリーのお話です。(注意点:題材は楽器ですが、楽器の知識は割りと適当です。そこらへんスルーしてくれると助かります)


 さて次回は、主役が琴葉茜ちゃんになる姉妹愛のお話を書こうと思っています。まああくまでも予定ですが。(関西弁をどうしようか)
 もし予定変更があった場合には、鏡音レンくんが主役の兄妹愛のお話になります。


 ……書いててマキちゃんがさらに好きになってしまった。いったいどうしてくれよう。。。

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投稿日:2018/03/05 01:31:30

文字数:5,850文字

カテゴリ:小説

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