ゲルヒルデが引き起こした同時多発脱線テロ。それがEエンジェルの仕業であると気が付いていたのはジークルーネ達だけではなかった。ブリュンヒルド、彼女もそれに気が付いていた一人であった。
本来ならばすぐに出向き味方に引き込むなり、消滅させるなりしたいところであったが、彼女もまたジークルーネとの一戦で多大なダメージを受けており、すぐに動くことは適わなかったのである。
電脳空間に創られた仮想の英国式庭園。ブリュンヒルドはそこにいた。濁り一つ無く澄み切った池、四季を無視した色とりどりの花、そして最もこの場所を非現実空間だと認識させるであろう青い薔薇。アンバランスでありながら、ある意味理想郷のような場所。この空間を創りあげたのは彼女であり、創造主である牧進一郎の所有するパソコンを電子的に守る砦として創られたものだった。この空間が存在する限り、彼のパソコンにハッキングすることはおろか、どんなコンピュータウイルスも入り込む隙は無い。
この場所は見た目こそただの庭園であるが、その正体はブリュンヒルドによって創られたファイアウォールなのである。
ブリュンヒルドは庭園の真ん中で優雅なティータイムを満喫していた。味覚も無ければ、そもそも空腹という概念すらない彼女達であるが、自我を与えられ人間として振舞うように創られている。この行為も、身体に関する影響は皆無であるが、精神を落ち着かせるためという意味合いが強かった。
「もう少し早く帰ってきてくれていれば、今回の件にも間に合ったというのに。まったくあなたという人は……」
「ゴメンなさいね。どこにいるのかも分からなくて、迷子になってたの」
電脳世界の神にも等しいEエンジェルが電脳世界で迷子とは、冗談でも笑えなかった。
ブリュンヒルドの正面には、この場にはおよそ不釣合いな和装の女性が座っていた。彼女の名はシュヴェルトラウテ、この場にいるということは当然ながらEエンジェルの一人である。長い黒髪に赤い着物、典型的な和服美人であり、白いドレス姿のブリュンヒルドに対しジークルーネとはまた違う意味で対照的であった。
多くのEエンジェルが戻ってこなかったなか、シュヴェルトラウテだけは忠実に進一郎の元へと戻ってきた。正確に言うならば、進一郎ではなくブリュンヒルドの元へと戻ってきたのだが、進一郎に忠実なブリュンヒルドの下に戻ってくるということは意味的には同じことであった。
彼女が戻ってきた理由は単純明快、ブリュンヒルドと仲が良かったからだ。シュヴェルトラウテはブリュンヒルドも牧遥によってどこかに送信されたと思っていた。それでも進一郎に忠実なブリュンヒルドであれば、必ずこの場所に戻ってきているであろうと思ったのだ。だからシュヴェルトラウテはここに戻ってきた。そうして二人は再開を果たしたのだった。
シュヴェルトラウテに一つだけ問題があるとすれば、存在領域の認識が甘いという点だろう。シュヴェルトラウテは初期に作られたEエンジェルであるため、電脳空間を実際の空間として認識する能力が乏しいのだ。迷子になったというのもこの点が大きく関係していた。
もしもっと早く合流していればシュヴェルトラウテの力を借りることで、ブリュンヒルドの失われた構成プログラムの再構築は終わっていたかもしれない。そうなれば今回の同時多発脱線テロに合わせて行動を起こすことも可能だった。ブリュンヒルドはタイミングの悪さを呪うしかなかった。
しかし間に合わなかったとはいえ、シュヴェルトラウテの力を借りることでブリュンヒルドは90%まで修復を完了しており、一週間はかかると言っていたジークルーネよりも格段に早く行動の再開が可能であった。
「ジークルーネに、こっぴどくやられちゃったみたいね。痛かったでしょ」
「私達に痛覚は無いわ。知っているでしょ。それにやられたわけじゃない。油断しただけよ」
ブリュンヒルドは、ジークルーネがあれだけやるとは思っていなかった。Eエンジェル中でも屈指の実力者だとて、自分に遠く及ばないと思っていた。大技一発で仕留めてしまえる自信があった。それでも結果はご覧の通りの痛み分け。後期製作のEエンジェルで、自身に最も近い実力を持つ相手として、はっきりと認識を改めなければいけなかった。
「別に何度でもやられてくれていいよ。その度に私が癒してあげる」
「気持ちの悪いことを言わないで……。感謝はしてるけど……」
ブリュンヒルドの頬が少しだけ赤くなった。白で統一された彼女は、それだけでピンクに染まって見えた。いくら外見を自由自在に変えられる彼女たちでも、条件反射的な行動は瞬時に操れるわけではなかった。
シュヴェルトラウテがいなければ、修復作業に大幅な時間が取られていただろう。ジークルーネも動けないとはいえ、未だに潜伏しているEエンジェルがどういった行動に出てくるか分からない。現にゲルヒルデの起こした同時多発脱線テロには間に合わなかった。ブリュンヒルドにとって、あれは肝を冷やした出来事であった。もしテロではなく、この場所を襲撃されていたら……絶対に守りきれなかった。
こうしてシュヴェルトラウテが戻ってきてくれたのは、何よりも嬉しいことであり、これからの行動に幅を持たせることが出来るといえた。
「それにしてもその格好どうにかならないの? この場には相応しくないわよ」
「あらあら、和服はお気に召しませんか。なら、こんなのはどうですか?」
シュヴェルトラウテの身体が光の粒子へと変換されていく。それは徐々に筒のようなシルエットから裾の広い服装を思わせるシルエットへと変化した。そのシルエットが色づいたとき、そこにはメイド服に身を包んだシュヴェルトラウテがいた。
「お嬢様、お茶のおかわりはいかがですか?」
シュヴェルトラウテは恭しく礼をすると、湯呑みに入った日本茶を差し出した。外見はこの場に相応しく変えたが、中身は変わっていないというジョークである。堅物のブリュンヒルド相手にジョークを飛ばせるのは彼女くらいのものだろう。もしジークルーネがこれをやったら、馬鹿にされたと怒り狂うブリュンヒルドが容易に想像できた。
「ハァ……。もういいわよ。元の姿に戻りなさい」
「では……」
シュヴェルトラウテの姿が先程と同じように光の粒子に変わる。元の赤い着物姿に戻ったシュヴェルトラウテ、その手には湯飲みの代わりに絵筆が握られていた。ご丁寧に目の前にはイーゼルとキャンバスまでもが出現していた。
「何をする気?」
「あなたを描いてあげるわ」
「くだらない。ジークルーネといい、あなたといい、芸術にでも興味があるのかしら?」
「人間になるように創られたんだもの。たぶん私達のやってることは正解なんじゃないかしら?」
シュヴェルトラウテはキャンバスに絵筆を走らせる。見た目こそ昔ながらのスタイルであるが、実質はパソコンのペイントソフトで描いているのと大差ない。インクが服に着くこともなければ、消すことも元に戻すことも自由自在である。
「私も描いてあげるわ」
ブリュンヒルドは腕を一振りすると、一気にシュヴェルトラウテの姿を映した絵を完成させた。
「それじゃ写真よ。描くことに意味があるのよ」
「私には分からないわ」
「人間でも分からない人はいるわ。気にすることない。それより動かないで」
「わかったわ」
ブリュンヒルドはそれきりピクリとも動かない。人間と違って生きたまま完全な静止が可能であるからだ。動くなといわれたから、完全静止する。それがブリュンヒルドだ。
それを見たシュヴェルトラウテが笑った。
「あのね。この場合の動かないでというのは自然な状態でいてということよ。完全に固まられたら、私のも写真になっちゃうじゃない」
「そうならそうだと最初から言ってくれないと困る」
ブリュンヒルドは照れ隠しに立ち上がると、ふわりと髪をかきあげた。
「出掛けてくるわ。この場の守備をお願い。何かあれば緊急信号を送って」
「あらあら、まだ完全ではないでしょう」
「もう十分回復したわ。他のEエンジェルもこのままにはしておけない。動けるなら動かないと」
「相変わらず真面目ね。何かあったら知らせるから心配しないでいってらっしゃい」
ブリュンヒルドの身体が徐々に光の粒子となり消えていく。電子の海へと消えていったのだ。シュヴェルトラウテはそれを見送ると画材道具一式を消した。描くべき対象がいなくなってしまっては描けない。これ以上はまた今度だ。今は言われた通り周辺の警護に専念すること、それが賢明な判断であった。
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