「こちらです。皆様は左手の部屋でお待ち下さい。」
「羽鉦さん…。」
「大丈夫。」
心配そうな香玖夜を詩羽に任せ、何年振りかに戻った家を進む。静けさの中に遠くで人のざわつく声がする。久し振りに踏みしめる廊下は、ただ冷たくて冷たくて、だけどどこか懐かしい。重々しい扉を開くと、仰々しい部屋に並んだ重役達、その中央に目を向ける。
「久し振りだな、羽鉦。」
「お久し振りです、総帥…。」
「羽鉦様!よくも総帥の前にぬけぬけと出て来られますな!
聞けば今回の事態は貴方の部下が引き起こしたそうではありませんか!」
「【MEM】研究所に楯突く様な真似をなさるおつもりですか?」
「今直ぐにでも責任者の職を辞するべきかと…!」
重役達が此処ぞとばかりに責め立てる。多分こいつ等だっていざとなれば霊薬に頼り、BSになれば抑制剤に頼り、治療薬が出来れば何食わぬ顔でそれを使うだろうに…。全く…こんな奴等も救おうって言うんだからな、あいつは。悪いな、騎士、俺はお前みたいに優しくない。机の上で誰かを責めるしか出来ない奴に遠慮するつもりは毛頭無いよ。
「それで…何しに来た?」
「私は【MEM】を潰します。研究所も、『処刑派』も、霊薬に関わる全てを抹消し、
BSの根治薬を完成させます。」
「な…何を言っているんですか!羽鉦様!」
「霊薬を抹消ですと…馬鹿な…そんな事をすれば…!」
「総帥!即刻羽鉦様を…!」
「そもそも我々はBSを保護しているのであって【MEM】とは言わば…。」
「黙れ!…霊薬が何を生み出すのか知らないとは言わせない!その場しのぎで治癒
出来ても、後に残るのは新たな苦しみだけだ!そんな物を野放しにして何が保護だ!
何が未来だ!人が獣に落ちて行くこの世界の!…何処が奇跡だ!!」
甘えていた、誤魔化していた、自分に出来る事は何も無いと言い聞かせて、痛みも苦しみも騎士一人に背負わせていた。一緒に居たのに、あいつの本当の心を判ってやれなかった…。どんな思いで治療薬を作ろうとしていたのか…俺は…俺は…!
「それは施設責任者としてのお前の答えか?羽鉦。」
「いいえ…。」
手にしたナイフを髪に当てると、そのまま勢い良く引いた。微かな重みと共に髪が床にサラリと落ちた。
「羽鉦…!」
「闇月羽鉦は今死にました。俺はただの羽鉦として大事な友達を助けに行きます。」
「責任者を辞すると言うのか?」
「俺はあいつ等がずっとずっと苦しんで、全てを捨てて迄守ろうとした物を、
一人の人間として守りたい!だから行かせて下さい!このままでは奇跡と言う
名の下に全てが失われてしまうんだ!」
「友達を助ける為に闇月家の全てを捨ててもか?」
「それが枷となるなら…喜んで。」
長い沈黙だった。誰も口を開かなかった。目の前の父は何かを確かめる様に、逸らす事無く目を見つめていた。
「…誰に似たのやら、全く…。」
「え…?」
「お前には責任者を降りて貰う。但し…。」
父は左胸のバッジを外すとそれを目の前にスッと差し出した。
「お前に【Yggdrasil】の全権を委任する。施設、人材、権限、お前の好きに使うが
良い。お前一人で何が出来ようか、それだけの覚悟があるなら人を動かしてみろ。」
「な…!総帥本気ですか?!」
「これより私は総帥では無い。」
「しかし…!」
「なぁに、大丈夫だ。今の羽鉦なら悪い様にはならんよ。」
「そんな暢気な~~!」
「父さん…。」
「行って来い。ようやく私の目を真っ直ぐ見られる様になったじゃないか。」
その笑顔に、大きな手に、涙が出そうになったなんて、一生言ってやらないと思った。騎士…スズミ待ってろ…もう二度とお前達を苦しませない!ずっと守られて来た分全部返してやる…!今度こそ…俺は大切な人達を守ってみせるから…!
「不思議な物だな。あの時私が止められなかった物を息子達が止めようとして
いるとは…。」
「総帥?」
「頼んだぞ…羽鉦…詩羽…。」
BeastSyndrome -89.切り捨てる覚悟、背負う覚悟-
ずっとずーっと遠回りしたけど、きっときっと思いは届く。
囮の髪はもう要らない、切り捨て背負って前向いて、
大丈夫、結構君も愛されてるよ。
※実は0話で一人だけ危機感を感じていた研究者さん、彼が2人の父闇月大樹さんです。
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