朝顔

幸福とはこの事か。
美しい女性だった。
容姿ではなく、心がだ。
少なくとも、俺からしたら綺麗だった。
汚れを知らないのか、彼女は俺に笑顔を向けた。
嫌われ者だからこそ、叶わない夢だからこそ、
せめてもの慰めの為に、
見えない何かに恋をしようと思った。
……………………………………
目が覚めた。
いつもの寝床に、女がいた。
瞳を閉じたまま、静かな寝息をたてている。
男は、起こさないように気を使い、
そっと身支度を済ませた。
男の仕事は、いたって単純だった。
防護服を着て、定位置に立ち、
朝から晩まで加工作業をするのだった。
つまらぬ仕事だった。
男はそれでもやるしかなかった。
自分の行いが、少しでも誰かの生活を豊かに出来る事を願いながら、ひたすら頑張った。
そう思わなければ、壊れてしまう気がした。
男は、職場でも嫌われていた。
仕事は出来るが、人との対話が苦手なせいで、
周りからよく煙たがられた。
仕方がない事だと割り切っていたものの、
時折聞こえてくる男への嫌味が、
彼の心を抉った。
それでも彼が死のうと思わないのは、
最愛の女がいるからだった。
男は、仕事を終えて帰宅した。
男が帰宅すると、女はシャワーを浴びていた。
男は、着替えを済ませると、
帰りに買って来た食材で料理を始めた。
女と自分の二人分の食事を作り、
テーブルに並べた。
軈て、シャワーを浴び終えた女がバスタオルを巻いて風呂場から出てきた。
男は女を手招きし、席に着かせた。
男が食べるよう促すが、
女は一口も料理に手をつけなかった。
「いつもの事だ」
と言いながら、男は女の分まで食べるのだった。
その晩、男は女に自身の夢を語った。
男は、アニメ制作会社を立ち上げようと試みた。
しかし、今の金銭的状況や、
技術面での不足などを理由に諦めた。
男は、小説家になりたかった。
少年時代から幾つかの短編作品を書いてきたが、
出版すら出来ずに終わった。
出版社の担当者は男に、
書くのをやめろと告げてから連絡を切った。
それから男は、書くことを辞めた。
男は次に、作曲家になりたいと思った。
自分の言葉で誰かを救いたかった。
そして、何十曲の歌詞を書き、
元々あった古いノートパソコンを使って作曲をした。
だが結局、誰一人として男の曲を聴くものはいなかった。
そもそも、まともな知識も才能もないのだから
当然の事だった。
それに、全部自己満足でしかないと気づいてしまった。
男は、作曲を辞めた。
もう、全部分かっているんだ。
本当は、隣に誰も居ないことくらい、
男にも分かっていた。
女を抱いた事も、手を繋いだこともない哀れな男は、
ひとりぼっちの部屋で、声を荒らげながら泣いた。
「ふざけるな!ふざけるな!ふざけるなー!!」
男の叫びは、虚しく部屋中に響き渡った。

END

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

花言葉(朝顔)

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投稿日:2023/02/09 13:40:45

文字数:1,181文字

カテゴリ:小説

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